吉松隆の交響曲と言えば?――僕が「現代の交響曲」に救われてきた話

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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

現代音楽って、ときどき「難しいもの」「頭のいい人のもの」みたいに語られますよね。でも、吉松隆の交響曲に出会うと、その固定観念がいったん壊れます。
なぜなら彼は、現代に生きながら、交響曲という“巨大な器”に、メロディもビートも、祈りも怒りも、子どもの夢も大人の諦めも、ぜんぶ放り込んで、しかも聴き手の体をちゃんと揺らしてくる作曲家だからです。僕にとって吉松隆は、現代音楽の中で稀有な「交響曲作家」――それも、交響曲がちゃんと人気を持ち、録音され、聴かれ続けているタイプの作家です。

交響曲は「制度」みたいで、「生き物」でもある

交響曲って、古典派から続く格式や型がある。言ってみれば制度です。
でも、制度は人を縛るだけじゃない。うまく使えば、巨大な力を生む“器”にもなる。オーケストラという装置をフル稼働させて、作曲家の中に沈殿している記憶や情念を、一気に外へ解放する。吉松隆が語る「交響曲とは何か」という言葉の端々から、僕はいつもそこを感じます。

6つの交響曲――僕なりの地図

吉松隆は6つの交響曲を書いています。どれも「同じシリーズ」ではあるのに、入口の質感がまるで違う。だからこそ、交響曲を“番号順に攻略”するより、気分と体調に合わせて選ぶのがいいと思っています。

第1番「カムイチカプ」――森と宇宙の、原初の回路

第1番は、アイヌ語の題名を持ち、自然や神話の気配が濃い。5つの楽章で「地・水・火・風・空」を思わせるような構造があり、作曲者の中に堆積した音の記憶が、ジグソーパズルのように組み上がっていく。ここには“自分の一生を俯瞰する”みたいな覚悟がある。

第2番「地球(テラ)にて」――レクイエムなのに、なぜこんなに生きているのか

第2番は、僕がいちばん好きな交響曲です。
作曲者は「鎮魂歌」を考えていたと言う。だけど、実際に鳴ってくる音は、ただ暗いだけではない。むしろ“今ここで生きている身体”を起動してくる。僕は第1楽章と第3楽章で、特に強く「ノれる」感覚を受けます。現代人のリズム感覚の上に、独特の音響が乗る――そのバランスが絶妙で、レクイエムなのに、死者を“遠ざける”のではなく、生を手元に引き寄せる。そういう不思議な活力があるんです。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ

第3番――情念の複合体としての交響曲

第3番は、交響曲という枠に、希望も怨念も、ロックもジャズも、民族音楽も、ぜんぶ混ぜ込んで走らせるタイプの作品。少年の頃に交響曲にときめいた感覚を、「小賢しい知性の歯止めなしに」解き放つ――この言い回しが、僕は好きです。

第4番「パストラル・トイ」――春の田園にある“おもちゃ箱”

第4番は嵐の後の間奏曲みたいに軽やかで、でも中身は緻密。鳥や玩具たちが走り回る春のイメージ、歪んだワルツ、甘いアダージェット、そして明るく駆け抜けるフィナーレ。聴き手の心のどこかにある「子どもの棚」を、そっと開けてくる交響曲です。

第5番――「運命」から始めて、僕らのドラマにする

第5番には、「運命のモチーフで始まり、最後はハ長調で終わる」という、あえてベートーヴェンを背負うような夢が語られています。
ただし、それは単なる引用芸ではなく、「ファウスト」のような人間ドラマとして組み直される。思索し暴走する自我、悪魔の冷笑、永遠なる女性性――そういう役柄が、交響曲という舞台でぶつかり合う。ここには“現代でドミソを書く”ことの反骨も、ちゃんと入っている気がします。

第6番「鳥と天使たち」――自由と傍観、その間の音

第6番は、鳥と天使という、吉松隆の根源的なイメージが前面に出る。鳥は歌い、飛び、自由で、天使は透明に浮遊しながら人間を眺めている。楽章は急・緩・急の3つで、雅楽の「右方/左方」をもじった遊び心まであるのに、楽譜は変拍子と転調が渦巻く――この“軽さと鬼さ”の同居が、まさに吉松隆だと思います。

交響曲の聴き方――「理解」より先に、まず身体を預ける

交響曲を前にすると、つい「構造を理解しなきゃ」と身構えることがある。でも僕は、吉松隆に関しては逆だと思っています。まずは身体が反応するところを探す。
たとえば第2番なら、1楽章のうねりに乗ってしまう。第4番なら、明るさの中に潜む歪みに気づく。第5番なら、ドラマの“役”の出入りに耳を澄ます。そうやって、体が先に「ここ好き」と言い出した場所を、あとから頭が追いかければいい。

それに、オーケストラって、結局は「多数の人間が同じ時間を共有して、同じ方向へ呼吸を揃える」装置でもある。音楽は民主主義だ、なんて大げさに言うつもりはないけど、少なくとも“合意形成の訓練”みたいなところはある。誰か一人の正しさではなく、全体のうねりとしての真実が立ち上がる。その瞬間を聴くと、日常のざらつきも、少し整理されるんです。

最後に、入口だけ書いておくと――
・「まず気持ちよく揺らされたい」人は第2番。
・「明るいのに凝っている」ものが好きなら第4番。
・「ドラマが欲しい」なら第5番。
・「自由と透明さ」に惹かれるなら第6番。
そして、ハマってきたら第1番と第3番で、吉松隆の“全部入り”を浴びる。こんな順番も、けっこう楽しいと思います。

だから僕は、第2番のスコアまで買った

交響曲って、聴くだけでも十分に幸せになれる。けれど、たまに「どうしてこの音の流れになるのか」を覗きたくなる瞬間がある。僕にとってそれが、第2番でした。初めてCDを買ったのも、スコアまで買ったのも、この曲。思い入れが強いんです。

吉松隆さんへ――いつか、僕の音も届けばいい

僕は吉松隆の交響曲を聴くたびに、「現代に交響曲を書く」って、単なる形式の継承じゃなく、いまの世界の速度と感情を引き受ける仕事なんだと思わされます。

さらに言えば、僕が励まされるのは、吉松隆が「現代だからこそ、旋律も和声もビートも、もう一度まっすぐ鳴らしていい」と背中で示してくれるところです。
“美しいものを美しいと言う”ことって、案外勇気が要る。特に、流行や評価軸がころころ変わる世界ではなおさらです。でも交響曲という長距離走の中で、彼はその勇気を何度も更新している。だから僕も、自分の小さな作品を書くときに、「怖がらずに鳴らせ」と言われている気がします。

もし、吉松隆さんがこっそり検索して、僕の作品に耳を傾けてくれたら――そんな妄想をしてしまうくらい、僕はファンです。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ

交響曲は、巨大で、重くて、でも自由になれる。
だから今日も、僕は吉松隆を聴きます。

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