山本太郎が春日井市に来ます! 2025年9月13日(土) 17:30~ 勝川に!

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

山本太郎(れいわ新選組 代表)が、春日井に来ます!!

れいわ新選組代表の山本太郎が、春日井市にやってきます!!

れいわ新選組のページにもアップされていますね。

このおしゃべり会の日時や場所は?

日時:2025年9月13日(土) 17:30~

会場:ホテルプラザ勝川 4階 けやき
住所:愛知県春日井市松新町1丁目5番地

駅前の、とてもアクセスの良い場所です。
登壇は、山本太郎代表以外にもあるみたいですね。申し込み不要 入場無料です。

そして、候補者募集も兼ねているようです。

候補者大募集! 選挙説明会

おしゃべり会の後(19:30〜)、同会場別部屋にて、選挙の候補者説明会を開催!
れいわ国会議員があなたの素朴な疑問にお答えします。
こちらもぜひご参加ください!

また、以下のような注意事項もあります。

ーーーーお願いーーーー
・参加される方はマスクのご着用をお願いいたします。
・事前の参加申し込みは不要です。直接会場にお越しください。
・途中入退室可能です。
・動画の生配信・収録はお控えください。
・定員に達した場合は、入場をお断りすることがございます。
・会場でのご飲食はお控えください。
・風邪の初期症状、風邪を引いている方、熱が出ている方、その他体調がすぐれない方はご参加をお控えください。

みなさま、ぜひぜひお越しください。

山本太郎が春日井に来る、二度とないチャンスです。是非、お越しください。

私自身は(このホームページであまり公にしていないけれども、)2022年の参議院選挙の時から、れいわ新選組の応援を春日井で地道にしてきました。

2022年当時、「山本太郎が春日井に来たら良いなあ~」と夢を描いていましたが、思わずその夢がかないました。

是非とも、みなさま、春日井に山本太郎が来る時に、勝川にお越しください。

ちなみに、この「勝川」の「勝」は、徳川家康がいくさの「勝ち」と名付けた由来がある。

ちなみに、この「勝川」の「勝」は、小牧長久手の戦いにおいて、徳川家康がこの「かち川」の地で小休憩をし、縁起が良いので、「かち」を「勝ち」に変えよ!と土地の者に伝えたという言い伝えがあります。

家康 天下への士気高めた縁起の良い街

 ひょうたん形をした愛知県春日井市。勝川(かちがわ)はその南西部、庄内川を挟んで名古屋市と向き合う地域だ。JR勝川駅前の商店街に立つ看板には「家康公命名 縁起の良い街 勝川」とある。

 「勝川」と名付けたのは徳川家康だと、地元では語り継がれる。

 本能寺で織田信長が世を去って2年後。次男信雄(のぶかつ)と家康の連合軍は小牧に陣を置き、犬山に陣取る羽柴(後の豊臣)秀吉軍とにらみ合った。1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いだ。出陣した家康軍は勝川の龍源寺で小休止する。案内したのは地元の庄屋、長谷川甚助だった。

 春日井市文化財保護審議会の会長、桜井芳昭さん(78)に話を聞いた。

 これから渡る川の名を尋ねられた甚助は「徒(かち、歩き)にて渡れる川、徒川にございます」と答える。「かちがわとな。誠に縁起のよい名じゃ」。戦を前にした家康は大いに喜ぶ。「これからは戦に勝つという勝川と使うがよかろうぞ」。これが「勝川命名」のいわれだ。

 「かちがわ」は当時、この地域では庄内川を指した。水害をもたらすこともある大きな川だが、「花崗岩(かこうがん)の砂がたまり、川底が高い。歩いて渡れる時期もあった」と桜井さん。

 しかし、「地名としての勝川の起源はもっと古い」と桜井さんは言う。京都の醍醐寺領だったころの尾張国の絵図が醍醐寺で見つかり、そこには「勝川村」と記されていた。家康が訪れた約150年前になる。

 「『かち』には『川地』や『賀智』など別の漢字も使われたが、『勝』は縁起がいい。私は地元の人が付けたと思います」

 甚助は家康にぼたもちをふるまうが、箸が1本折れてしまう。顔色が変わる家康に、甚助は機転を利かせて言う。「これはまさしく天下は1本になるの吉兆でございます」。家康は笑顔になり、後に太刀や陣羽織を与えた。

 家康軍は庄内川(勝川)を渡り、長久手で勝利する。だが、勝川を発つ際、休んでいた龍源寺の阿弥陀堂(あみだどう)を焼き払う。

 阿弥陀堂を焼いたのは、のろしとされているが、住職の田口宗純さん(53)の見方は異なる。「人が亡くなると盛り飯に箸1本を立てて供える。ぼたもちに1本の箸。阿弥陀は極楽浄土。これから渡るのは三途の川かと、いずれも『死』をイメージさせた」。火を放つことで「神仏をも恐れぬと士気を高め、一気に川を渡ったのではないか」。寺は太清寺と名を変え、今も勝川町2丁目にある。

 太清寺には甚助の墓が残る。約20年前、田口さんは甚助の子孫から家康から譲られた陣羽織を見せてもらう機会があった。ところが、小さな端切れが二つだけ。日清、日露戦争に出征する兵士に求められ、「弾よけのお守り」として切っては分け与えた結果という。残ったのは紋が入った部分だけだった。

 勝川は、家康にとって天下取りへの転機となった地。それは間違いない。

 朝日新聞デジタル:家康 天下への士気高めた縁起の良い街 - 愛知 - 地域 から

真相はともかく、小牧長久手の戦いは、家康にとっては劣勢だった戦い。この勝川を通ったことで、秀吉軍に勝った家康は、天下人への道を歩み始めます。

山本太郎の志と、私たちの「生きる希望」が勝ちにつながるキッカケになればいいと思います。

はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。

私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。

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