名誉棄損 違法性阻却事由の判例革命!『夕刊和歌山時事』事件 【憲法判例が面白い2】

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

憲法判例が面白い!第2弾は、『夕刊和歌山時事』事件(最高裁昭和44年6月25日大法廷判決)です。

この最高裁判決は、憲法で言えば、21条(表現の自由)のカテゴリーなのですが、事実を真実であると誤信していた場合の表現の自由の保障について、明確な最高裁の判断を出したのが、この判例であると思います。

名誉棄損の憲法判例は・・・『夕刊和歌山時事』事件!!・・・といいつつも・・・

名誉棄損に対する考え方について、明確な答えを出した『夕刊和歌山時事』事件!! でも、実は憲法違反そのものの判断は、ストレートに避けています。

判決文から、その一節を見ましょう・

 弁護人橋本敦、同細見茂の上告趣意は、憲法二一条違反をいう点もあるが、実質
はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

『夕刊和歌山時事』事件 最高裁判決文 冒頭 から

つまり、この事件は、「憲法違反だ!」という判断をしていないのですね。

では、どういう事件なのかというと、当時の刑法232ノ2条の法的性格について、明確な判断をしたということなのです。
実は、この刑法232ノ2条は、日本国憲法が制定され、表現の自由の保障がされたことに伴い、昭和22年の刑法改正に伴い、追加された項目です。

刑法232ノ2条(当時のもの)

〔第一項〕 前条第一項ノ行為公共ノ利害ニ関スル事実ニ係リ其目的専ラ公益ヲ図ルニ出テタルモノト認ムルトキハ事実ノ真否ヲ判断シ真実ナルコトノ証明アリタルトキハ之ヲ罰セズ

これは、当時の文体です。1995年の刑法改正で平易なひらがな・口語体に改めました。ですから、今では、この条文は、以下のようになっています。

刑法第二百三十条の二

〔第一項〕前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

つまり、公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した行為が、①公共の利害に関する事実に係り、かつ、②その目的が専ら公益を図ることにあり、③事実の真否を判断して真実であることの証明があったときは、不処罰という規定なのです。

ただ、憲法21条による保障によって、設けられた規定なのだから、当然、その運用も表現の自由との調整が図られなければいけません。
しかし、立法当時の政府の見解が処罰阻却説(=真実の証明がなければ処罰を免れない)に立ち、最高裁もその立場を踏襲していたのですから、表現の自由との調整が不十分という批判が強かったのです。

ちなみに、当時における、この刑法232ノ2条の不処罰のアプローチには、以下の4つの説がありました。

『夕刊和歌山時事』事件当時における、刑法232ノ2条の不処罰のアプローチ

  • 処罰阻却説=真実の証明がなければ処罰を免れない
  • 違法性阻却無限定説=真実を誤信した場合には、相当の理由がなくても、故意がなくなり犯罪が成立しない。
  • 違法性阻却限定説=真実を誤信した場合には、相当の理由があるか過失がなければ、責任がない。
  • 構成要件該当性阻却説=行為者が客観的に証明可能な根拠をもって真実と信じたのであれば、現実に真実の証明ができなくても故意がなく、犯罪が成立しない。

当時、最高裁も処罰阻却説をとっていたのですが、表現の自由(憲法21条)の観点から言えば、「世間一般のことで、真実だと思って言いたいことを言ったら、真実が証明されないからと言って、罰せられてしまう!」という矛盾が生じるので、さすがに、最高裁も判例を変えなければいけない必要性を感じたのでしょう。特にこの事件は、報道という行為に対するものですから、尚更です。
だからこそ、大法廷を開いてまで、判例を変更したと言えるのです。

事件の概要 (最高裁大法廷に至るまで)

この事件の概要については、『夕刊和歌山時事』事件 最高裁判決文 に以下のように書かれています。

原判決が維持した第一審判示事実の要旨は、
 「被告人は、その発行する昭和三八年二月一八日付『夕刊和歌山時事』に、『吸
血鬼Aの罪業』と題し、BことC本人または同人の指示のもとに同人経営のD特だ
ね新聞の記者が和歌山市役所土木部の某課長に向かつて『出すものを出せば目をつ
むつてやるんだが、チビリくさるのでやつたるんや』と聞こえよがしの捨てせりふ
を吐いたうえ、今度は上層の某主幹に向かつて『しかし魚心あれば水心ということ
もある、どうだ、お前にも汚職の疑いがあるが、一つ席を変えて一杯やりながら話
をつけるか』と凄んだ旨の記事を掲載、頒布し、もつて公然事実を摘示して右Cの
名誉を毀損した。」
というのであり、第一審判決は、右の認定事実に刑法二三〇条一項を適用し、被告
人に対し有罪の言渡しをした。
 そして、原審弁護人が「被告人は証明可能な程度の資料、根拠をもつて事実を真
実と確信したから、被告人には名誉毀損の故意が阻却され、犯罪は成立しない。」
旨を主張したのに対し、原判決は、「被告人の摘示した事実につき真実であること
の証明がない以上、被告人において真実であると誤信していたとしても、故意を阻
却せず、名誉毀損罪の刑責を免れることができないことは、すでに最高裁判所の判
例(昭和三四年五月七日第一小法廷判決、刑集一三巻五号六四一頁)の趣旨とする
ところである」と判示して、右主張を排斥し、被告人が真実であると誤信したこと
につき相当の理由があつたとしても名誉段損の罪責を免れえない旨を明らかにして
いる

『夕刊和歌山時事』事件 最高裁判決文 から

かいつまんで言えば、「夕刊和歌山時事」に載った記事が、名誉棄損にあたるから、一審・二審は有罪判決を出したよ(罰金3000円)!ということなのですが・・・、重要なのは被告弁護人が「被告人は証明可能な程度の資料、根拠をもつて事実を真実と確信したから、被告人には名誉毀損の故意が阻却され、犯罪は成立しない。」旨を主張したにもかかわらず、ニ審は「被告人の摘示した事実につき真実であることの証明がない以上、被告人において真実であると誤信していたとしても、故意を阻却せず、名誉毀損罪の刑責を免れることができないことは、すでに最高裁判所の判例(昭和三四年五月七日第一小法廷判決、刑集一三巻五号六四一頁)の趣旨とするところである」と判示したことです。
要は、この事件も二審までは処罰阻却説にたって、「真実の証明がなければ処罰を免れないよ~」と言ったのです。

でも・・・報道ですからね。いくら何でも「完璧に真実の証明が出来なければ処罰されてしまって当たり前!」では、憲法21条に反してしまわないか? と思うのも当然な話です。全く根拠なく報道したら、名誉棄損として処罰されるのは当然。しかし、取材をして、事実と思われる「根拠」が集積した上での報道であれば、それが誤信だったとしても、処罰の対象となってしまうのは、憲法21条の趣旨にあまりにも外れてしまうと思うのです。

それで、それまでの判例の問題点を直視し、改善したのが、この事件の一番の魅力なのです。

大法廷は、判決によって、どう判例を変えた?

では、この事件は、どのように判例を変えたのでしょうか? 端的に言えば、こうなります。

刑法232ノ2条の趣旨は何か。

人格権としての個人の名誉の保護と表現の自由との調和を図ったものである。

※精読憲法判例〔人権編〕 343頁より引用。

判決文では、以下のようになっています。

しかし、刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法
二一条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら
両者間の調和と均衡を考慮するならば、

『夕刊和歌山時事』事件 最高裁判決文 から

名誉権と表現の自由の調整はどのように行えば良いか。

真実であることの証明がない場合でも、行為者が事実であることを誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠にてらし相当な理由があるときは、故意の犯罪がなく、名誉棄損の罪は成立しないとすることで成立する。

※精読憲法判例〔人権編〕 343頁より引用。

判決文では、以下のようになります。

たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。これと異なり、右のような誤信があつたとしても、およそ事実が真実であることの証明
がない以上名誉毀損の罪責を免れることがないとした当裁判所の前記判例(昭和三三年(あ)第二六九八号同三四年五月七日第一小法廷判決、刑集一三巻五号六四一頁)は、これを変更すべきものと認める。

夕刊和歌山時事』事件 最高裁判決文 から

要点をいえば・・・

  • この判決まで・・・・・真実の証明が完璧でなければ、名誉棄損じゃ!!
  • この判決以降・・誤信でも、確実な資料、根拠に基づいたものであれば名誉棄損にはならないよ!

ということになります。

この判決の意味・・・表現の自由・報道の自由から見て。

この判決の意義というのは、憲法21条の観点から言えば、表現の自由、特に報道の自由から見て、大きな意義あると思います。

若し、この判例がなく、今も処罰阻却説による法の運営がされていたとしたら・・・・ 事実であることを立証できない表現は全て名誉棄損として罰せられてしまう!! ということになってしまいます。

今のインターネット全盛の時代に、あらゆる表現はインターネットのラインにのって、世界中に拡散します。内容によっては、誤信も真実であるかのように拡散します。

でも、真実を完璧に立証するというのは、とても困難が伴い、ハードルが高すぎるのが現実です。

となれば、表現の自由を名誉棄損の観点から保障するためには、真実を「事実」から追求していくことの保障は最低限なければいけません。

そのことを明確に法理として謳い、今の時代に繋がっている、この判例は一見の価値があるものだと思うのです。

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