日本が示すべき「平和国家」の具体的なあり方。~戦後80年談話の方向性に対して~
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
戦後80年に向けて、石破首相が談話を出すという報道がされました。
戦前、若手官僚で構成された「総力戦研究所」が敗戦予想をしたことと、斎藤隆夫の「反軍演説」がテーマとのこと。
どういうできる点もあるが、これから、日本がどのように平和を構築していくのかの視点が見えてこないので、その提言も踏まえて、私なりに思う「平和への道」の具体的方向性を示したいと思います。
目次
戦後80年を「国家責任の再設計」へ
――正直な制度と、平和のアジア外交を取り戻すために――
原田芳裕
第一部 戦後80年の原点に立つ
戦後80年の節目に、私たちはもう一度「国家とは何か」を問わねばならない。
石破茂首相が示す見解の中で、1941年、総力戦研究所が「日本必敗」を予測していたにもかかわらず、国家が破局へ突き進んだ経緯が取り上げられるという。さらに、斎藤隆夫の「反軍演説」にも触れるという報道がある。
いずれも、当時すでに「理性ある声」「制度的警鐘」が存在していたことを意味している。にもかかわらず、なぜ国家は止まれなかったのか。なぜ事実を直視する仕組みが機能しなかったのか。
この問いは、戦前の国家だけに向けられるものではない。
情報を隠す行政、議会の形骸化、専門知見を軽んじる政治、そして「異論」を敵視する風土――これらの構造は、形を変えていまも続いている。
戦前日本の失敗とは、軍事暴走ではなく、国家の自己修正機能が失われたことにあった。
それを回復しない限り、戦後日本は「戦争をしない国」であっても「誤りを止められない国」であり続けるだろう。
第二部 事実を封じる制度の罪
総力戦研究所は、開戦の4か月前に「日本は必敗する」と結論づけた。
ところがその報告は握りつぶされ、国民には知らされず、政治の意思決定には反映されなかった。
これは単なる過去の逸話ではない。
現代でも、科学的知見や行政調査が意図的に伏せられ、政策決定の場に届かない事例が繰り返されている。
たとえば、PFAS汚染のような環境問題で、地方自治体が「検査結果を出さない」「都合の悪い事実を隠す」ことが続いている。
これは、構造的には「開戦を止められなかった国家」と同型である。
つまり、日本の制度は依然として「事実に不正直」であり続けている。
正確な情報を出せば混乱が起きる、国民には理解できない、説明すると責任を問われる――そうした発想が、国家のあらゆる層にこびりついている。
制度の不正直さこそ、戦前の亡国を招いた第一の原因であり、戦後もなお未清算のまま温存されている病巣である。
第三部 「国民信託国家」という理念
私は、国家を「国民の信託によって成り立つ機関」と定義したい。
行政権も、立法権も、司法も、国民からの信託によって運用を許されているにすぎない。
したがって、信託に反する行為――つまり、隠蔽・虚偽・説明回避――は、単なる失政ではなく信託違反である。
戦後日本が抱える根本問題は、憲法の理念を制度化してこなかったことだ。
戦争放棄や国民主権という理念を掲げながら、それを保証する「信託の仕組み」をつくらなかった。
その結果、行政の裁量が肥大化し、情報公開が骨抜きになり、現場の声が政策に届かない。
この欠陥を正すことこそ、戦後80年の総括であり、「二度と同じ誤りを繰り返さない」という言葉の現代的意味である。
第四部 制度の再設計
理念を実現するためには、制度を変えなければならない。
以下に、私が提唱する四つの制度改革を示す。
1. 自衛隊・防衛省情報信託制度の創設
自衛隊や防衛省が持つ情報を、独立した第三者機関に信託し、市民が常時監査できる仕組みをつくる。
自衛権にまつわる情報は行政の所有物ではなく、命に直結する国民の財産である。
2. 異議申し立て権の法的保障
公務員・議員・研究者が行政判断に異議を唱える権利を保障し、報復・排除・懲罰を禁ずる。
「反軍演説」が議場で排除された過去を繰り返してはならない。
3. 議事録・公文書の完全公開法
国会・自治体・審議会の議事録は原則全文公開。
削除・改ざんを行った場合は、行政処分だけでなく刑事責任を問う。
歴史の闇は、光でしか克服できない。
4. 行政信託原則の明文化
行政権は国民の信託によって行使される機関であり、
信託違反(隠蔽・虚偽・説明放棄)は、違法行為として訴訟の対象にできる制度を整える。
これらの制度改革は、単なる技術的改善ではない。
国家を「正直に働かせる」ための再設計である。
第五部 戦争放棄と平和外交の再定義
憲法9条は、戦争をしないというだけでなく、国家の外交方針の根本原理を示している。
しかし日本は、経済的にも軍事的にも、他国の軍事戦略構造に組み込まれすぎてきた。
本来、戦争放棄外交とは、「どの国の軍事戦略にも加担せず、依存もしない外交」である。
武力による抑止ではなく、信頼による抑止を構築する。
他国を敵視せず、どの国からも脅威とみなされない立場を確立する。
それは理想主義ではなく、長期的安全保障の現実的戦略である。
経済援助、文化交流、災害協力、医療技術の共有――
そうした「非軍事的抑止力」を積み重ねることで、国際社会での影響力を強める。
それが、徹底的な戦争放棄外交の実践形である。
第六部 平和なアジア外交の構想
アジアの平和は、アジア自身がつくるしかない。
日本はその先頭に立つべきだ。
そのために必要なのは、3つの柱である。
(1)歴史共有のための対話プログラム
植民地支配・戦争加害・被害の記憶を、相互に語り合う「共同歴史対話会議」を常設化する。
真実を直視する勇気こそ、和解の第一歩である。
(2)経済・環境の協調外交
アジアの環境破壊・水資源・エネルギー危機に対し、協働で解決する枠組みをつくる。
水や空気を共有する地域において、軍事的対立や関与は本質的に無意味である。
(3)文化と教育の連携
学生・研究者・芸術家の往来を支援し、共通の価値観を醸成する。
対立の克服は、教育から始まる。
これらの外交は、「謝罪外交」でも「媚びる外交」でもない。
それは、真実を共有することを基盤にした成熟した国家外交である。
第七部 核廃絶外交への使命
日本は、唯一の被爆国でありながら、核抑止の傘に依存している。
この矛盾を正さない限り、「核なき世界」は空論になる。
私は提案する。
日本は核兵器禁止条約(TPNW)に正式加盟し、世界的な核廃絶外交の推進国になるべきだ。
そのためには、以下の段階を踏む必要がある。
- 核依存政策の再評価
抑止力理論を検証し、「核の傘」が本当に安全保障に寄与するのかを国会で公的に議論する。 - 非核地帯の拡大外交
アジア全体を「非核兵器地帯」とする構想を打ち出し、各国の信頼醸成に努める。 - 核廃棄技術・検証機関の主導
日本の科学技術力を活かし、核廃棄・検証の国際メカニズムを主導する。 - 市民社会の参加
広島・長崎の被爆体験を世界的教育資源として共有し、草の根の核廃絶運動と外交を連携させる。
核廃絶は理想論ではない。
それは、戦争放棄の実現に不可欠な人類の自己抑制の制度化である。
第八部 戦争放棄外交の実践原理
徹底的な戦争放棄外交とは、単に「軍事を持たない外交」ではない。
それは、軍事以外の力を最大化する外交である。
- 一貫不侵原則
いかなる状況でも、先制攻撃や報復攻撃を行わない。
この原則を明文化することが、日本の最大の抑止力となる。 - 危機予防外交の制度化
衝突の兆候を早期に察知し、地域協議会や国連を通じて未然に防ぐ体制を整える。 - 経済・制度的抑止力の確立
法的信頼性、経済安定性、外交誠実さ――これらこそ国家の安全保障資源である。 - 外交倫理の透明化
秘密協定や密約を廃し、外交交渉の原則・方向性を国民に公開する。
国家の信用とは、透明性の総量である。
第九部 「生活責任国家」という理念
私の掲げる理念は、「生活責任国家」である。
国家とは、国民の生活の根底に潜む責任のシステムである。憲法で言えば、基本的人権の保障であり、その保障のシステムこそが、生活責任国家のありようである。
それが正しく働いているかを常に確認することこそ、政治の仕事だ。
この理念は、戦後民主主義を超えた次のステージを示す。
戦争放棄を理念として掲げるだけではなく、生活の中に平和を実装する制度を設計すること。
それが、戦後80年の課題である。
第十部 未来への約束
戦後80年という節目に、私たちは再び選択を迫られている。
国家を「正直に働かせる」か、「方便で動かす」か。
平和を「祈り」として語るか、「制度」として築くか。
国家は、遠くの権力ではない。
それは、私たち一人ひとりの生活の中に息づく信託装置である。
その信託が裏切られぬよう監視し、再設計し続けることが、民主主義の本質だ。
戦争を放棄するとは、武器を持たないというだけではない。
それは、事実から逃げない国家を選ぶ勇気である。
そして、どんなに苦しくても「正直さ」で外交を貫く国家こそ、真に強い国である。
戦後80年のいま、日本が問われているのは、
「正直に、平和に、生きる国家」をもう一度選べるかどうかである。
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私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。