高市早苗自民党総裁は、真の「保守」として正直な政治をを貫けるのか?を述べてみた。

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

高市早苗 新自民党総裁が誕生した。そのことについて、高市政権の本質について、述べてみました。

理念なき強硬政治は、国家を弱くする
―高市早苗総裁体制に問われる「正直な政治」の条件―
原田芳裕


1 「女性総裁」の象徴を超えて

 高市早苗氏が自民党総裁に選出された。
 女性初の総裁というニュースは華やかに報じられたが、その背後で問われるべきは「政治の構造」である。
 高市氏の就任を支えたのは、旧安倍派を中心とした保守右派の結集であり、党内権力の延命という文脈にある。

 つまり、この人事は変化ではなく継続であり、刷新ではなく「固定化」である。
 自民党は再び、派閥力学と保守的支持層の均衡によって政治を運営する構図に戻った。
 それは安倍政権以降続く「権力の私物化」と「理念なき継承」を象徴している。


2 保守の理念を失った「力の政治」

 本来、保守とは伝統と責任の思想であり、社会を安定させるために自制を重んじる立場だった。
 しかし、今日の日本政治における保守は、理念としての「守る」ではなく、体制としての「維持する」へと変質している。
 権力を保つことが目的化し、政策は人気取りの道具と化した。

 政治は理性ではなく感情に引きずられ、国民の不安を利用する。
 「敵」と「味方」の単純な構図をつくり、分断によって求心力を得ようとする。
 この構造こそが、民主主義の土台を腐食させる。

 国を守るとは、外敵と戦うことではなく、生活と尊厳を守ることだ。
 しかし、現実の政治はその本質を見失っている。
 力の誇示は国家を強く見せるが、社会を脆くする。
 政治が「強さ」を演じるほど、国民の間には「疑心と恐怖」が広がる。


3 理念なき強硬路線の危うさ

 高市氏は「抑止力の強化」「敵基地攻撃能力」「核共有の議論」などを掲げるが、それらがいかなる倫理と理念に基づくのかが問われている。
 抑止力はあくまで「戦争を防ぐための一手段」である。
 しかし、それを目的化すれば「安全保障」の名の下で軍事拡張が常態化する。

 戦後日本の平和主義は、単なる理想論ではなく、悲劇の経験から導き出された現実的な選択だった。
 「二度と他国の命を奪わない」という倫理を国家原理として掲げたことこそ、戦後日本の強さである。
 この倫理を手放すとき、日本は「戦争をしない国」から「戦争を語る国」に後退する。

 真の保守とは、暴走を抑える理性である。
 国家を支えるのは強さではなく、抑制の文化だ。
 もし高市政権が「強い日本」を掲げて抑制を失えば、それは保守ではなく、単なる強権主義の再演にすぎない。


4 民主主義を蝕む「沈黙の空気」

 高市氏が総務大臣時代、放送法の「政治的公平性」発言によって報道機関に緊張が走ったことを覚えている。
 この出来事は、政治権力がメディアの自由を制御できるという危険なメッセージを放った。

 その後、メディア現場では自己規制と忖度が進み、行政官庁や自治体にも「波風を立てない文化」が広がった。
 この「沈黙の空気」は、戦前日本を破滅へ導いた官僚主義の再来を想起させる。

 民主主義の健全さは、異論の存在に比例する。
 批判が可能であること、言葉を恐れないことこそが自由社会の証明だ。
 多数派の中にも異論を尊重する場を残すことが、政治の成熟を測る尺度である。

 強い言葉をもつリーダーが真に試されるのは、反対意見を封じる力ではなく、それを受け止める度量である。
 民主主義とは、異論を管理することではなく、異論と共に生きる制度なのだ。


5 制度の正直さを取り戻せ

 近年、日本政治を覆う深刻な問題は、理念の劣化よりも制度の空洞化である。
 公文書の改ざん、議事録の未作成、情報の非公開――それは一連の事件ではなく、国家の「記録装置」の崩壊を意味している。

 記録を失った国家は、過去を学べない。
 学べない国家は、同じ過ちを繰り返す。
 これは単なる行政問題ではない。
 国家の“正直さ”が壊れつつあるということである。

 政治の信頼は、誠実さの総量で測られる。
 国家の強さとは軍備の多寡ではなく、制度の正直さにある。
 政治が「記録し、説明し、責任を取る」仕組みを再構築できるかが、民主主義の再生の鍵である。

 もし高市新体制が、行政情報をさらに閉ざし、都合の悪い事実を隠す方向に進むなら、それは「戦前型統治」への逆行である。
 強い政治ではなく、正直な政治こそ、国家の持続を保証する唯一の道である。


6 平和国家の再定義 ― 戦わない勇気

 戦後日本は、戦うことを放棄する勇気をもって立ち上がった。
 この理念を理想論と笑う人がいるが、私は逆に、それこそ現実に耐える知恵だったと思う。

 「戦争をしない国」という理念は、単なるスローガンではない。
 戦争を防ぐために、武器ではなく信頼を築くという国家戦略である。
 それは外交の敗北ではなく、最も高次の外交戦略である。

 いま日本が必要とするのは、武力による抑止ではなく信頼による抑止だ。
 相手を威圧する代わりに、対話の回路を増やす。
 武器を輸出する代わりに、環境・医療・教育で支援を行う。
 恐怖ではなく、正直さで信頼を得る。
 その誠実さこそが、外交における最大の抑止力になる。


7 アジアの平和と核廃絶外交へ

 21世紀のアジアは、いまも軍拡と覇権競争の影に揺れている。
 だが日本が担うべきは、その流れの中で「共存の設計者」となることだ。

 第一に、過去の戦争と支配の歴史を共有する「アジア歴史対話会議」を常設化し、互いの記憶を制度的に語り合う場を作る。
 第二に、環境・水・資源・食料を共同管理する地域協調機構を設立する。
 第三に、核兵器禁止条約への加盟を決断し、唯一の被爆国として核廃絶の先頭に立つ。

 核抑止に依存したまま「平和国家」を名乗ることはできない。
 日本は「核の傘」ではなく「非核の傘」を構想し、核の論理を超える外交を目指すべきだ。
 それが、広島・長崎の記憶に応える唯一の道である。


8 民主主義を「働かせる政治」へ

 私は、権力を否定するために政治をしているのではない。
 権力を「働かせる」ために政治をする。
 その働きが市民のためになっているかを検証し、誤りがあれば修正する。
 それが政治家の責務であり、主権者である国民の義務でもある。

 高市政権がもし、国家を「所有物」とみなすなら、私は断固として対抗する。
 しかし、彼女が国家を「信頼に支えられた公共財」として扱うなら、私は協力を惜しまない。
 政治とは信仰ではなく、監査である。
 民主主義とは不断の点検の営みであり、その怠慢こそが国家の老化を招く。


9 結語 ― 理念の復権を

 高市総裁の誕生は、日本社会が「強さ」と「正直さ」のどちらを選ぶかという試金石である。
 国家を誇示する時代は終わった。
 これからの政治は、国家を働かせる時代である。

 戦後80年を迎えるいま、日本は再び岐路に立つ。
 「戦う国家」に回帰するのか、それとも「正直な国家」として成熟するのか。
 私は、後者の未来を信じたい。

 国家とは、私たちの生活の裏に潜む責任のシステムであり、
 その責任を正しく機能させること――それが政治の使命である。
 理念なき強硬政治は国家を強くするどころか、国を内側から蝕む。
 だからこそ、今こそ問われる。
 強さより、正直さを。権力より、誠実さを。
 これが、未来の政治に向けた私の答えである。

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