公明党の連立離脱から見る、自公政権の「市民政治を奪った歴史」

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

公明党連立離脱と「感覚政治」の再構築

――市民と国家の共立をめざして

私は、長年の日本政治を見てきて、そこに流れる鈍い空気を「感覚の鈍化」として感じてきた。
制度が整い、数値が並び、議論が重ねられても、どこかに人間の息づかいがない。
それを最も象徴してきたのが、自民党と公明党の長い連立関係だった。
見た目の安定はあった。けれどその安定は、社会の中から“感じ取る力”を徐々に奪っていった。

私は、公明党の連立離脱を、政局の転換とは見ていない。
それは、政治がもう一度「人の感覚」に戻るための再生の一歩だと思っている。


1. 安定がもたらした「鈍化」

公明党は、長らく政治の調整役を担い、
対立の緩衝材として機能してきた。
その姿勢は、一見すると穏健で理性的に見える。
だがその安定は、政治の根にある「人として何を感じ、どう動くか」という原点をぼかしてしまった。

政治とは、計算ではなく感受の場である。
社会の痛みや息づかいを、どれだけ肌で感じ取れるか。
その感度を失えば、どんなに制度が整っていても、政治は空洞になる。
公明党が長く守ってきた「中庸」や「調和」は、
いつしか“現状への慣れ”に変わり、感覚の鈍化装置になってしまった。


2. 信仰が制度の言葉に変わる瞬間

信仰は、本来、人間の中にある「誠実に生きる力」だ。
それは誰かに従うことではなく、
自らの心の底で「これが正しい」と感じる方向に向かって動く力だ。

ところが、権力と結びついた瞬間に、
その誠実さは「動員」「票」「組織」という言葉に変わってしまう。
信仰が制度の中で“手段化”したとき、
そこにはもう生きた感覚は残らない。

私は、政治とは「感覚と制度の間の距離」をどのように保つかの営みだと思っている。
近づきすぎれば支配になる。
離れすぎれば無関心になる。
その距離の設計こそが、政治の成熟の尺度だ。


3. 憲法から見た「共立」という考え方

私が提案してきた憲法改正案は、
「行政は市民と共に立つ存在である」という考え方を根にしている。
国家は上にあるものではなく、社会の感覚と呼吸を共有する“共立体”でなければならない。

現行憲法は、政教分離や権力分立を定めてはいるが、
実際の政治の現場では、その距離感が曖昧なまま保たれてきた。
私はその空白を「制度と感覚の連結」として埋めようとした。

行政が市民の声に触れ、判断の根拠を社会に開く。
官僚も議員も、「何を感じて動くか」を問われる。
それが私のいう“感覚政治”である。
これは感情の政治ではない。
人間の感覚が制度の中に反映される共鳴構造のことだ。


4. 市民が感じ、社会が動く

政治が形式化すると、人は「考える」ことに偏り、
「感じる」ことを恐れるようになる。
しかし、社会を変えるのはいつも感覚の共鳴だ。

誰かが痛みを感じ、
誰かが不正に気づき、
誰かが声を上げる。
その一つひとつの感覚が重なり、政治は動き始める。

公明党の離脱は、
市民社会が「感じる政治」に戻るためのチャンスだ。
福祉も、平和も、人権も、宗教の所有物ではなく、
すべての市民が共に感じ取り、支え合うための公共の感性である。


5. 自民党政治が抱える「感性の空洞」

自民党は長年、公明党に「良心」や「柔らかさ」を外注してきた。
数の論理と制度運営に長けていても、
人の痛みに触れる言葉を持たなかった。
だから、公明党を“道徳の代行業”として利用してきた。

だが、その結果生まれたのは、
感性の空洞を抱えた巨大な機構だった。
人が泣いても、怒っても、
それが制度に届かない。
感覚の断絶こそが、今の政治の最大の病理である。

公明党の離脱は、その依存構造を明るみに出す。
これからの政治は、
「誰が正しいか」ではなく、「何を感じ取って動くか」で測られる時代になる。


6. 「分離」とは、もう一度つながるための距離

私は、政治と信仰、国家と市民の分離を「断絶」とは思わない。
むしろ、それはもう一度つながるための距離だと思っている。

政治が人間の感覚から離れたとき、
社会は静かに麻痺していく。
だからこそ、距離を取ることは、再び共鳴するための準備になる。

公明党が連立を離れることは、
宗教と政治がそれぞれの本来の呼吸を取り戻す過程だ。
信仰は人の内側へ、
政治は社会の外側へ――
それぞれの場所で、再び共立の感覚を取り戻せる。


7. 結語:感覚の再起動としての政治

政治とは、法と数字を動かすことではなく、
人の感覚をもう一度信じることから始まる。
私は、それを「感覚の再起動」と呼びたい。

公明党の連立離脱は、
国家が再び“感じること”を学び直すための出来事だ。
それは、政党の再編ではなく、
社会の再呼吸である。

国家は市民の上にあるのではなく、
市民と共に呼吸し、感じ、考える存在であるべきだ。
その「共立の政治」が実現したとき、
日本はようやく、
人間の感覚が制度を導く社会へと変わる。

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