日本政治の現状──高市早苗内閣発足を踏まえて

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

日本政治の現状──「変わらない政治」の象徴としての高市内閣

2025年10月21日、高市早苗氏が第104代首相に指名され、日本初の女性首相が誕生した。出来事自体は歴史的だが、政権の基本線は大きく動かない。むしろ今回の交代は、長期にわたって続いてきた与党中心のガバナンス様式を、より鮮明に可視化したと言える。すなわち、外交・安全保障は対米軸の維持、内政は物価・賃上げ・社会保障のバランス調整、財政運営は急激な転換を避ける、という「既定路線」の延長である。女性首相という新しさは、見え方や語り口を更新する一方、政策パッケージの骨格に劇的な変更を迫るものではない。日本政治の現状は、新規性の演出と、実務の継続が同居する“二層構造”として続く。その意味で高市内閣は、変化の期待よりも、既存秩序の再確認というメッセージを社会に発している。


なぜ高市内閣は「変わらない政治」を体現するのか

第一に、政権交代ではなく与党内の主導権移行である以上、政策・人事・立法運営は制度的慣性に縛られる。第二に、物価高や地政学的リスクが続く局面では、有権者・市場ともに急旋回を嫌う。第三に、与党は国会運営上、野党との個別協議や連立・協力枠組みを使い分けるため、大胆な制度改革よりも「小刻みな調整」を優先しがちだ。これらが重なると、政権の語彙は刷新されても、政策の中身は漸進主義に収れんする。さらに、与党内の力学と官僚機構の実務が合流することで、「目立つ見直し」より「既存プログラムの延長」が合理的選択となる。結果として、新内閣は“象徴の新しさ”と“運営の継続”を抱えたまま、日程を粛々と進める。これこそが、現在の日本政治に特有の安定の作法である。


閣僚人事が示す「保守的均衡」――経験と省庁調整が優先される

内閣の輪郭は人事に表れる。報道ベースの顔ぶれを見ると、外務・財務・官房など中枢ポストは経験や省庁調整力を重視した布陣で、政権の重心が「既存の政策資本」を活用する方向にあることがうかがえる。たとえば財務相に片山さつき氏が起用されたとの情報は、財政運営の大枠(基礎的収支や税制・歳出配分の考え方)を急には変えないサインとして市場に受け止められやすい。女性登用は見出しになるが、数や比率よりも役割と権限配分をどう設計するかが実務の要点だ。結果として、政策の「手触り」は局所的に変わっても、骨格は踏襲される。すなわち人事は、刷新の装いをまといながらも、運営の継続性を担保する“安全装置”として機能している。


政策運営の実相――重点は変われど基調は踏襲

高市内閣が掲げる重点は、経済安全保障の強化、外交・防衛の能力向上、生活直撃の物価対策と賃上げの両立、そして規制・税制の調整だろう。だが、これらは前政権からの継続課題であり、政策パスは“急加速ではない最適化”に落ち着く可能性が高い。安全保障では対米協調を軸に同盟の実効性を高めつつ、周辺国との緊張管理を続ける。内政では、所得・価格・雇用・社会保障の総合調整を進めるが、財政・金融・為替の大枠は官庁横断の合意により安定志向が勝る。憲法・制度改革の議論は掲げられても、国会情勢と世論の地合いから、時間軸は中長期に引き延ばされる蓋然性が高い。つまり看板の言い換えはあっても、運営の技法は変わらない。

〈合意文書の具体:経済財政〉
自民×維新の合意では、①ガソリン税の旧暫定税率を25年臨時国会で廃止、②電気・ガス補助等の物価対策と補正の早期成立、③インフレ対応型への移行として基礎控除の見直しの制度設計(25年内めど)と給付付き税額控除の導入、④租税特別措置や高額補助金の総点検と「政府効率化局(仮称)」の設置、⑤飲食料品の2年間非課税も視野に法制検討――が並ぶ。見出しは大胆に見えるが、実装は補正と法改正の組み合わせで段階的に進む構図だ。方向は従来の「物価と所得の調整」「既存制度の最適化」に収れんし、基調はやはり継続主義である。

〈社会保障〉
応能負担の徹底や医療・介護の保険者再編、都道府県の役割強化、中医協改革、年齢横断の窓口負担、3号被保険者制度の見直し等を25~26年度で制度設計→順次実行とした。痛みを伴う論点が多く、多年度・段階導入を前提としている点がまさに「変わらない政治」の運び方である。

〈憲法・皇室〉
養子縁組による男系維持案、9条改正・緊急事態条項の条文化に向けた起草協議会設置、国民投票広報やCM規制等の制度整備を掲げる。看板は大きいが、国会手続と世論喚起のプロセスは時間を要し、中長期の継続課題に位置づけられる。

〈安全保障・インテリジェンス〉
戦略3文書の前倒し改定、反撃能力ミサイルや次世代動力潜水艦の検討、自衛隊の統合作戦司令の強化、装備移転運用指針の5類型撤廃など、“積み増し”の色合いが濃い。さらに、国家情報局/国家情報会議/対外情報庁の創設へと行政機構を重層化するが、同盟基軸と官邸主導という大枠は連続し、運営はやはり最適化で進む。

〈エネルギー・人口・教育〉
原発再稼働・次世代炉、地熱や海洋資源、メガソーラー規制法制、人口減少対策本部の設置、外国人政策の司令塔強化と数値目標、高校無償化・給食無償化(26年4月)、科研費の大幅拡充――いずれも方向は既定路線で、財源・実装設計を積み上げる漸進手法が踏襲される。


連立と国会運営――パートナーが替わっても「作法」は同じ

今回、自民党(高市内閣)は、公明党との長年の枠組みから、日本維新の会との新たな連携に軸足を移したが、これは“政権維持のための最適化”という点で従来パターンの延長にある。多数形成のために政策メニューを擦り合わせ、法案ごとに優先順位を付ける。相手が誰であれ、やることは変わらない。むしろ重要なのは、連立力学が財政・規制・統治改革の「落としどころ」を一段と現実路線へ引き寄せることだ。結果、スピード感や言葉のトーンは変わっても、合意形成の作法は踏襲され、漸進的修正が積み上がる。世論にとっては“変わったようで変わっていない”が、与党にとっては“変えずに進める”合理的な政権運営でもある。

自民と維新は、「国家観を共有」し、2025年臨時国会の首相指名選挙で連携、連立政権を樹立すると明記した。さらに、各分野の実現に向けて両党の実務者協議体を設置し、合意内容を精緻化していく手順を取る。これはまさに、日本の連立政治が得意とする**“協議体→合意→段階実装”という作法の再演であり、相手が公明でも維新でも、プロセスは同型であることの証左だ。首都機能分散や副首都の役割整理など統治機構改革**も、まずは協議体で“大枠合意→法案提出”へと運ぶ。

ここで忘れてはならないのは、「権力の座に寄らなければ、何もできないという幻想」だ。連立参加や与党接近はしばしば“目的化”する。しかし、本来は政策のための手段にすぎない。合意と協議体は前進のレールである一方、チェックと検証が伴わなければ、手段が目的へと逆転し、中身の薄い“近さ”だけが残る。新パートナーを得ても、運営の段取りが変わらない以上、評価軸は“誰と組むか”ではなく、“何を・いつ・どの指標で”実現したかに置くべきだ。


野党と世論――更新の物語が見えない限り、現状維持は強い

「変わらない政治」が続く背景には、野党側の物語不足もある。批判は響くが、生活に直結する制度設計(税・社会保障・地方財政・教育・移民・防衛負担)の整合的な“組み合わせ”が提示されない限り、有権者はリスクの小さい既得の選択へ戻る。メディア環境も、日々の話題を循環させる一方で、立法過程や実装の検証を掘り下げにくい。結果として世論は短期の評価に傾き、長期の方向性に合意が形成されにくい。高市内閣が当面得るのは「新味の見出し」と「運営の継続」から来る安定だ。これを崩すのは、与党の失策よりも、実装可能で魅力的な代替案の出現である。つまり現状維持の強さは、与党だけでなく、野党・世論・メディアの相互作用が生む産物でもある。

〈政治改革の扱い〉
合意は、企業団体献金をめぐる最終結論を保留し、協議体+第三者委員会で高市総裁任期中に結論とした。政党法の検討衆院定数1割削減の議員立法、選挙制度の再設計(中選挙区も含め検討)も掲げるが、いずれも協議を重ねる枠組みが中心だ。つまり、注目度の高い「政治改革」領域ですら、“まず協議体”という日本的継続主義が徹底している。これが“変わらない政治”の底堅さでもある。

加えて、野党・市民側にも改めたい思い込みがある。「権力の近くにいなければスイッチは押せない」という観念だ。しかし、政策は議席数だけで動くわけではない。一次資料の読解、地域からの実装提案、対象者のデータ提示、試行プログラムの成功例――外縁から中心を動かす経路は常にある。**「権力の座に寄らなければ、何もできないという幻想」**を外し、提案・検証・合意形成で迫ること。その積層が、連立の“中身”を変えていく。


はらだよしひろの視点――政治とは、姿勢の映し鏡である

私は、この国の政治を見ていていつも思う。私たちは「変化」を求めているようでいて、本当は「問題の本質と向き合わない変化」しか受け入れたくないのではないかと。高市内閣の誕生を、私は一種の鏡のように感じている。そこに映っているのは、政治家の姿よりも、私たち自身の心理だ。
「変わらない政治」とは、為政者の問題であると同時に、国民の意識の反映でもある。もしも私たちが本気で政治を変えたいなら、まず自分たちの感覚を変える必要がある。批判には徹底した観察を含ませ、怒りには問題直視の冷静さと提案を伴わせ、そして“分断の快感”ではなく“安心の本質=不安の本質を見抜く努力”へ。高市政権の構造は、現実主義を語った「保守のファンタジー」の完成形である。不安の本質から逃避する保守の劣化が生み出したのが高市政権なのだ。だが、現実を超えるビジョンを描けるのは、政治家ではなく私たち一人ひとりということを高市政権はものの見事に忘れている。。政治とは、遠い権力の話ではない。日々の言葉の選び方、他者との関わり方、地域への関心の持ち方――その総体が「国の形」をつくっているのだ。

今回の合意を読んで確信した。私たちは、新しい言葉に胸を躍らせながら、古い作法に安心している。協議体、精緻化、段階実装――この並びは、失敗を避ける社会には相性がよい。しかし、それは同時に、痛点に手を入れる勇気を後回しにする癖でもある。高市内閣は、その矛盾を美しく整える「腕」を持つのだろう。ならば私たち有権者は、見出しではなく工程表と実施率を見よう。要は高市政権の言行不一致を見るのだ。そこに、変わったふりと、本当に変わることの差が出る。


結論――何が変わらず、どこを見ていくべきか

高市内閣は、歴史的象徴をまといながら、実務は「変わらない政治」の作法で進むだろう。注視すべきは①中枢人事が示す政策重心(外務・財務・官房)②補正や税制の“微修正”の積み上げ③連立力学が財政・規制に与える現実的制約、の三点だ。ここが大きく動かない限り、見かけの変化に比べ、実態は維持・調整・微修正が中心となる。だからこそ市民側は、スローガンの新陳代謝ではなく、一次資料と実装の検証に軸足を置くべきだ。

総じて、今回の自民×維新合意は、**“大きな看板×段階的実装”**という日本政治の定型を端的に示した。税・物価・社会保障・安保・統治――どの論点も、年限・協議体・制度設計の三点セットで前に進める設計で、**継続主義の強み(混乱を避ける)と弱み(速度が出ない)が同居する。ゆえに注視点は、①いつ(期限)どの工程(制度設計→法案→実装)どの指標(減税規模、再分配の到達、装備・人員の積み増し)**で進捗を測るか――である。

最後にもう一度、私たち自身への問いとして置いておく。「権力の座に寄らなければ、何もできないという幻想」に呑まれていないか。近さより成果、語感より設計、発表より実装。この順番で政治を見直すことが、変わらない政治の中で本当に変える場所を見抜くいちばんの近道になる。

はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。

私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。

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