引用先を明示すれば、著作権は侵害したことにならない?

――憲法21条による表現の自由の保障から、著作権法32条が生まれた

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

私たちは、日々さまざまな文章や画像、音楽、映像などに囲まれて生きています。
SNSで誰かの言葉を引用したり、ブログで新聞記事を引用したり、論文や講演の中で他人の意見を紹介することもあるでしょう。
そのとき、頭をよぎるのが――「これって、著作権侵害になるのでは?」という不安です。

けれども、日本の著作権法には、きちんと「引用の自由」という規定が設けられています。それが著作権法第32条です。
この条文は、一言でいえば「他人の著作物でも、正当な目的と方法で引用する限り、自由に使ってよい」とするものです。
そして、この条文の根底には、**憲法21条が保障する『表現の自由』**があるのです。

■ 憲法21条と著作権法32条の関係

憲法21条は、こう定めています。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。

つまり、私たちは、自分の考えを表現し、他人の表現を引用し、議論し、批評する自由をもっている。
表現の自由があるからこそ、社会は多様な意見がぶつかり合い、進化していくのです。

しかし同時に、表現には「創造の成果を守る」側面もあります。
人が労力と感性を注いでつくった作品――文章、写真、音楽、映像――には、その人の人格と努力が込められている。
これを勝手に盗用されてはたまりません。
この保護を担うのが著作権法です。

ですから、**「表現の自由」と「著作権の保護」**は、常に緊張関係にあります。
一方では自由を最大限に認めたい。しかし他方では創作者を守りたい。
この両者のバランスを取るために設けられた仕組みこそが、著作権法第32条なのです。


■ 「引用」は、表現の自由の実践そのもの

第32条の第1項は、次のように定めています。

公表された著作物は、引用して利用することができる。
この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道・批評・研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

この一文の中に、「表現の自由」の精神が凝縮されています。

たとえば、社会問題を論じるときに、新聞や官庁の発表、他人の論文、あるいは芸術作品を参照することがあります。
それらを正確に引用し、出典を明らかにすることで、議論の透明性と信頼性が保たれます。
これは、単なる「他人の言葉を借りる行為」ではなく、自分の表現を補強し、社会的対話を生むための行為なのです。

もしも他人の表現を一切引用できない世界があったとしたら、学問も報道も成り立たないでしょう。
私たちの言葉は、いつも誰かの言葉に触発され、反論し、重ね合わされて生まれます。
そうした「知的対話の連鎖」を守るために、32条は存在しています。


■ 引用が許される条件 ――「正当な範囲」と「公正な慣行」

ただし、引用が許されるのは「無制限」ではありません。
条文にある通り、「公正な慣行に合致し」「正当な範囲」で行う必要があります。
具体的には、次のような基準が一般的に認められています。

  1. 公表された著作物であること
     未発表のものを引用するのは原則として認められません。
  2. 引用部分が明確に区別されていること
     本文と引用を明瞭に区別し、誰がどこを述べているかが分かるようにする。
     たとえば「」で括る、出典を明示するなどです。
  3. 主従関係があること
     自分の文章が主であり、引用部分は従でなければなりません。
     引用に依存した作品は「転載」や「盗用」と見なされます。
  4. 引用の必要性があること
     単なる飾りやボリューム稼ぎではなく、引用しなければ自分の主張が成立しないこと。

これらを満たしていれば、著作権侵害にはあたりません。
つまり、「引用先を明示して、引用の目的が正当であれば、法的にも認められる」ということです。


■ 判例にみる「引用の自由」

有名なものに、昭和55年の「パロディ・モンタージュ事件」があります。
この事件では、写真作品を部分的に使ったコラージュが問題となりましたが、裁判所は「引用部分と創作部分の主従関係が明確でない」として、引用の成立を否定しました。
逆にいえば、主従関係と明確な区別さえあれば、引用は広く認められるということでもあります。

また、近年の知的財産高裁の判断では、「引用は社会的議論を支える基本的行為であり、憲法21条の趣旨を踏まえて柔軟に認めるべき」との見解も示されています。
引用は単なる技術的な免除ではなく、民主主義社会に不可欠な表現の一形態として位置づけられているのです。


■ 第2項 ―― 公的資料の転載も「表現の自由」の延長線上に

著作権法第32条第2項も重要です。

国や地方公共団体が公表した広報資料、統計、報告などは、転載することができる。ただし、転載禁止の表示があるものを除く。

つまり、国民が政治や行政を監視し、情報を共有するために、一定の資料転載が認められている。
これもまた、「知る権利」と「表現の自由」を支える制度です。

たとえば、私は春日井市のPFAS問題に関する行政資料を引用して論じることがあります。
その際、「転載禁止」と明示されていなければ、法的に引用が許される範囲です。
むしろ、こうした市民による情報発信こそ、行政の透明性を高める「公共的引用」といえるでしょう。


■ 引用は、創作と社会をつなぐ「橋」

引用は、単なる法律上の免責規定ではありません。
それは、表現と表現をつなぐ橋であり、社会を動かす「知のリレー」です。

憲法21条が保障するのは、「自由に考え、自由に語り合う社会」です。
著作権法32条は、その自由が暴走しないように、創作者への敬意を保ちながら支える「知的マナーの法」です。
言い換えれば、32条は「表現の自由のための制約ではなく、自由を支えるためのルール」なのです。


■ まとめ ―― 明示と誠実さが、自由を守る

したがって、引用先を明示し、引用の範囲を正しく守っていれば、著作権を侵害したことにはなりません。
むしろ、それは憲法21条の理念にかなう、健全な表現活動の一部なのです。

ただし、その自由は「他者の表現への敬意」によって支えられています。
出典を示し、改変を避け、正確に引用すること。
それは単なる義務ではなく、表現者としての誠実さそのものです。

社会をよりよくする議論や創作は、過去の言葉の上に積み重ねられていきます。
その積み重ねの秩序を守るために、憲法21条と著作権法32条は、静かに手を取り合っている。
私はそう考えています。

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