高市首相、衆議院解散か?のニュースに寄せて――その本質は強権性を「爽やか」に実現すること!!

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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

高市首相サイドから「衆院解散か?」のニュースが流れてきましたね。海外でも報じられました。

私は、「高市さんらしい」と感じるとともに、彼女の中にある権力欲と「憲法軽視」の動機がここに潜んでいるようにおもうので、述べてみたいと思います。

イントロ:解散観測を「政局」で終わらせない

「衆議院解散か?」という報が流れるたび、政局の駆け引きとして消費して終えるのは簡単だ。だが今回の空気には、単なる選挙日程の観測以上のものが混じっている。政権が“やれるうちにやる”という加速感をまとい、解散という最も強い政治技法を、「刷新」「決断」「スピード」といった爽やかな言葉で包み直していく。その手つきが、憲法の根幹と正面からぶつかりうることを、見過ごしたくない。

ここで問題にしたいのは、人物の好き嫌いでも、政策の右左でもない。立憲政治の要は、権力が「何を」するかと同じくらい、「どうやって」するかにある。解散が「強い政治」の象徴として語られるほど、憲法が仕掛けた“手続の重み”が、薄く扱われやすくなる。

私は、高市首相が「強い政治」を手にするために、憲法の重みを薄くさせる手段として解散権を行使するのだと感じている。


憲法41条:「国会中心」が痩せるとき、強権は始まる

日本国憲法41条は、「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定める。国会中心主義とは、単に国会で採決していればよい、という形式論ではない。公開された熟議、政府の説明責任、反対意見の尊重、少数派の権利保障――こうした“過程”を通じて、権力行使の正当性を担保せよ、という命令に近い。

ところが、解散・総選挙が「信任の一括取得」の手段として使われると、憲法41条の精神は最初に痩せ細る。選挙に勝てば「民意を得た」と言える。しかし民意は白紙委任ではない。しかも小選挙区制は、得票率と議席の乖離を生みやすい。仮に有権者全体の一部の支持で議席の多数を得れば、形式上は多数派でも、実質としては“少数の支持で国会を支配する”状態が成立する。これが「少数独裁」という言葉で指したい局面だ。

この「少数独裁」は、暴力的な権力奪取ではなく、手続の外形を整えながら、熟議と検証を空洞化させることで成立する。だからこそ「爽やか」なのだ。爽やかな物語は、権力の輪郭を見えにくくする。高市首相が狙っているのは、まさにそこであろう。


財政民主主義:予算条項は“権力の財布”を縛るためにある

強権性が最も露わになりやすいのは、実は「予算」だ。憲法は財政を細かく縛っている。

  • 83条:国の財政処理の権限は国会の議決に基づいて行使される
  • 84条:国会の議決なくして租税を課し、または国費を支出できない(国の債務負担も含む趣旨)
  • 85条:国が将来に向けて義務を負うには国会の議決が必要
  • 86条:内閣は予算を作成して国会に提出しなければならない
  • 90条:会計検査院の検査と国会への報告(事後検証の制度化)

これらは「財政民主主義」の骨格であり、国民の負担と国家の支出を、議会の公開された議論の下に置くためのガードレールだ。とくに、政府の政策は「言葉」ではなく「予算」で具体化する。経済対策の中身は、歳出配分、減税か給付か、補助の設計、公共投資の優先順位、将来負担の見通しに現れる。安全保障も、装備、人員、基地整備、研究開発、サイバー対応、情報機能の強化など、予算によって輪郭が決まる。

だからこそ予算審議は、憲法上も政治上も、最も重いはずだった。にもかかわらず、「スピード」「決断」を旗印に、疑問や異論を「抵抗」「足を引っ張る」といったフレームへ押し込み、国会を形式的手続へ追いやるなら、それは憲法が想定する権力行使から逸れていく。ここに「憲法軽視」と呼ぶべき姿勢が現れる。
ここに国会が国家の最高機関であること定めた憲法41条を軽視する高市首相の政治姿勢が垣間見える。


憲法60条:衆議院優越があるからこそ、審議は“軽くできない”

予算には憲法60条の規定がある。参議院と一致しない場合、両院協議会を経ても調わないとき、衆議院の議決が国会の議決となりうる。これは政治の停滞を避けるための設計だが、同時に、衆議院多数の力が予算で特に大きくなることを意味する。

ここに、解散→多数確保→予算押し切り、という回路が成立する。解散で議席を積み増し、衆議院優越を背景に、短期間で補正や本予算を通す。審議の厚みが薄いままでも、「手続上は通った」という外形が整ってしまう。だが憲法が本来求めるのは、外形としての議決だけではない。41条が国会を「国権の最高機関」とする以上、予算のような国家の進路を決める案件ほど、徹底した説明と検証に置かれなければならない。

衆議院優越があるからこそ、衆議院の審議は“なおさら重い”。多数派の力を、拙速に使うのではなく、納得のために使う。その逆が起きるなら、どれほど「爽やか」な語り口でも、残るのは強権性の既成事実化である。


経済と安全保障の「本音」:少数独裁の構造で実装したいもの

解散観測と「やれる手は全部打つ」という政権の加速感が結びつくとき、見えてくるのは「政策の本音」を、最短距離で実装したい誘惑だ。経済も安全保障も、社会の利害が激しくぶつかる。反対や慎重論が出るのは当然で、その調整こそが国会の仕事である。ところが、選挙勝利を「信任」の一括取得として扱い、以後の異論を「民意に反する」と切っていくなら、国会は熟議の場から追認の場へ変質してしまう。

安全保障は、とりわけ「例外」が常態化しやすい。緊張や危機の物語は、説明責任の省略と相性が良い。経済は、緊急性や景気対策を名目に、検証前の支出が積み上がりやすい。どちらも「早くやれ」という空気が生まれやすい分野だ。そこに解散で多数を固める動きが重なると、「少数独裁」の構造で本音を実装する道筋が太くなる。

ここで重要なのは、法的に“違憲の一撃”があるかどうか以前に、憲法が守ろうとした「統治の作法」が損なわれることだ。条文を暗記しているかではない。条文が要求する精神――公開、説明、検証、少数派の尊重――を軽く扱う態度が、政治全体を強権に慣れさせる。高市首相にはそういう性質がある


結び:問うべきは中身だけではなく、権力行使の作法

解散というカードは、民主主義の手続に見える。だが使い方次第で、立憲主義のガードレールをすり減らす。41条と財政条項が求めるのは、国会を通せ、というだけではない。国会を“生かせ”という要求だ。

解散観測のニュースに触れて抱く違和感は、政策の善悪より先に、権力行使の作法にある。改革や決断の言葉が爽やかなほど、過程を飛ばす誘惑も強くなる。過程が飛ぶと、少数派の声が消える。少数派が消えると、国会は国権の最高機関であることを失っていく。

だからこそ、予算の編成根拠、見積もり、想定、効果検証、事後評価、会計検査の指摘への対応を、国会の場で積み上げさせなければならない。解散で「信任」を獲得したという物語のもと、少数独裁の構造で経済と安全保障の本音を実現する――その道に進むのかどうか。問うべきは、政策の中身だけではなく、憲法に耐える統治の作法である。

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