皇位継承は「人権」の問題でもある――旧宮家養子案、女性皇族の身分保持、直接皇族化の危うさ

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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

中道が旧宮家の男系男子を養子にする案に容認する記事が出てきました。

中道、男系男子の養子案を容認の方向 12日に党見解を正式決定

 皇族数の確保策を検討している中道改革連合は7日、旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えることを容認する方向でおおむね一致した。女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つことについてはすでに賛成する方針を固めている。

 女性皇族の配偶者・子への皇族の身分付与に関しては「立法府の総意にのっとって適切に対応する」とし、賛否を明示しない方向。党内調整を経て、12日に党としての見解を正式決定する。

 「安定的な皇位継承に関する検討本部」の会合で、笠浩史本部長が旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えることを容認する案などを提示した。笠氏は会合後、記者団に「おおむね理解されたものと受け止めている」と述べた。

 与野党協議では①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つ②旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える、の2案が焦点となっている。与党は①②案のいずれにも賛成しており、中道も賛成する方向となったことで与野党協議が加速する可能性がある。

中道、男系男子の養子案を容認の方向 12日に党見解を正式決定 [中道改革連合]:朝日新聞 から

旧宮家の男系男子を皇族の養子にする案について、私は、単なる皇位継承の技術論として語ってはいけないと思っています。

この問題は、「男系を維持するか」「女性天皇を認めるか」「皇族数をどう確保するか」という制度論で語られがちです。もちろん、それらは重要な論点です。しかし、そこだけを見ていると、もっと根本的な問題を見落としてしまいます。

それは、人間を、国家制度の維持のために、どこまで特殊な身分へ組み込んでよいのかという問題です。

しかも、ここで対象とされている旧宮家の男系男子は、現在は一般国民として生活している人たちです。生まれたときから皇族として生きてきた人ではありません。職業を選び、政治的意見を持ち、選挙に参加し、結婚し、家族を形成し、一人の国民として人生を築いてきた人たちです。

その人たちを、「皇統に属する男系男子である」という理由で皇族に組み込む。
このことは、基本的人権の観点から見れば、かなり重い問題を含んでいます。
そのことを述べたいと思います。

1 天皇・皇族は、普通の国民と同じ自由を持っていない

まず確認すべきなのは、天皇・皇族については、一般国民と同じ態様で基本的人権を行使できるとは解されておらず、象徴天皇制、世襲制、政治的中立性との関係で、一定の特別な制約が及ぶものと理解されている、ということです。

日本国憲法は、天皇を「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と定め、皇位は世襲であるとしています。そして、天皇は国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しないとされています。

この構造から、天皇は政治的に中立でなければなりません。選挙運動もできない。政党を支持する発言もできない。政府を批判することもできない。政策について自由に意見を述べることもできない。

皇族についても、内閣官房資料は、皇族という特殊な地位にあることから、天皇に準ずるものと考えられると整理しています。さらに、天皇・皇族は選挙権・被選挙権を行使できず、政治的行為を含めた表現の自由についても、明文の制限規定がないにもかかわらず、天皇に準じて政治的発言を控えるべきものと考えられているとされています。

ここが非常に重要です。

天皇・皇族の人権制約は、すべてが明文で細かく書かれているわけではありません。むしろ、内閣官房資料自身が、皇族に一定の基本的人権制約が及ぶとしても、どの権利・自由がどの程度制限されるかは個別具体的に明示されておらず、選挙権など一部を除けば、権利・自由を直接制限する法令規定があるわけではない、と整理しています。

つまり、天皇・皇族は、法的に明確な制限だけでなく、象徴天皇制、政治的中立性、国民感情、慣行、期待、空気によっても、非常に強い自由の制約を受けているのです。

2 皇族になるということは、単なる「家族になる」ことではない

旧宮家養子案を考えるとき、ここを軽く見てはいけません。

通常の養子縁組であれば、ある家の子になる、相続や氏の問題が生じる、親族関係が変わる、という話です。しかし、皇族の養子になるということは、それとは次元が違います。

それは、単なる家族法上の身分変動ではありません。
憲法上、特殊な人権制約を受ける身分に入るということです。

現行の皇室典範は、天皇及び皇族は養子をすることができないと定めています。また、皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除き、皇族となることがないとされています。

つまり、現在の制度は、外部から男性を皇族に入れることを予定していません。旧宮家養子案は、この制度のかなり根本的な変更を求めるものです。

2021年の有識者会議報告書は、皇族数確保の方策として、皇族が養子を迎えることを可能にし、養子となった者が皇族となって皇室の活動を担う案を示しています。そして、その対象は「皇統に属する男系の男子」に限ることが適切だと整理しています。さらに、旧11宮家の皇族男子の子孫である男系男子に養子に入ってもらうことも考えられると述べています。

しかし、同じ報告書は、その人たちが皇籍離脱以来、長年一般国民として過ごしてきたこと、現在の皇室との男系血縁が遠いことから、国民の理解と支持を得るのは難しいという意見があることも認めています。

ここに、問題の本質があります。

「旧宮家」と呼ばれていても、現在の対象者は皇族ではありません。
一般国民です。
その一般国民を、血統と性別を理由に選び出し、特殊な人権制約のある皇族身分に入れる。

これは、人権論として非常に重いのです。

3 問題は「同意があるからよい」で済むのか

旧宮家養子案については、「養子なのだから本人の同意がある。だから強制ではない」と説明されるかもしれません。

しかし、私は、ここにかなり慎重であるべきだと思います。

たしかに、形式的には養子縁組には当事者の合意があります。しかし、その同意は、本当に普通の養子縁組への同意と同じでしょうか。

皇族になるということは、政治的発言の自由を大きく制限されることです。選挙権・被選挙権を失うことです。職業選択、居住、交友関係、結婚、家族形成、日常生活、財産、発信、表現、すべてにおいて、国民の目と国家制度の重みを背負うことです。

しかも、その制約の範囲は、法律で細かく明文化されているわけではありません。
どこまで発言してよいのか。
どこまで仕事をしてよいのか。
どこまで政治や社会問題について意見を持ってよいのか。
どこまで普通の市民として生活してよいのか。

その境界は、制度・慣行・世論・宮内庁・政府・メディア・国民感情の中で決まっていくことになります。

このような身分に入る同意を、単純に「本人が同意したのだからよい」と言ってしまってよいのでしょうか。

特に、皇位継承問題は国家的課題として語られます。
「皇室を守るため」
「伝統を守るため」
「男系を維持するため」
「国家のため」

そのような言葉に囲まれた中で、対象者が本当に自由に拒否できるのか。拒否した場合に、本人や家族が社会的圧力を受けないのか。逆に、同意した場合に、その後の人生を途中で降りることができるのか。

ここは、形式的な同意だけではなく、実質的な自由意思の問題として考えなければならないと思います。

4 血統と性別で、一般国民を選別する危うさ

旧宮家養子案には、もう一つ大きな問題があります。

それは、一般国民の中から、「皇統に属する男系男子」という条件で特定の人を選別することです。

憲法は法の下の平等を定め、門地による差別を禁じています。もちろん、皇位継承制度そのものは憲法が「世襲」と定めているため、完全に一般の平等原則だけで処理できるものではありません。

しかし、現在皇族ではない一般国民を、新たに皇族にする場面では、話が変わります。

もともと皇族として生まれ、皇室制度の中で育ってきた人に一定の制約があるという問題と、一般国民として生きてきた人を国家制度のために特殊身分へ移すという問題は、同じではありません。

内閣官房資料でも、旧11宮家の男系男子に限って養子となることができると規定した場合、その人たちが他の国民と異なる立場にあるという見方を恒久化することにつながりかねず、国民の間の平等感の観点から問題が大きいのではないか、と整理されています。

これは非常に重要です。

旧宮家養子案は、「伝統を守る案」として語られます。
しかし、人権論から見ると、それは「血統と性別に基づいて、一般国民を特別扱いする案」でもあります。

しかも、その特別扱いは、単なる優遇ではありません。
むしろ、自由を制限される特殊身分への移行です。

血統によって選ばれ、性別によって選ばれ、国家制度の維持のために人生を差し出すことを求められる。
これは、個人の尊厳という観点から、かなり危うい構造だと思います。

宮家養子案は、一般国民を血統と性別を理由に、国家制度維持のための特殊身分へと組み込む構造
旧宮家養子案は、皇位継承という伝統の維持が『人間の人生の拘束』へ転嫁してしまう点にある。

5 天皇の人権問題が、ここで浮き立つ

旧宮家養子案の議論が重要なのは、これが単に旧宮家の人たちの問題にとどまらないからです。

この議論は、普段あまり正面から語られない「天皇の人権」「皇族の人権」という問題を浮き立たせます。

ここで、天皇・皇族に関する憲法学説にも触れておきたいと思います。

従来の有力説は、天皇・皇族も基本的人権の享有主体である「国民」に含まれるとしつつ、憲法が定める象徴制・世襲制との関係で、一定の特別な制約を認めるというものでした。宮沢俊義・佐藤功・芦部信喜らは、この系統の学説として整理されています。

天皇・皇族の人権に関する憲法学説

このように整理すると、宮沢・佐藤功・芦部らの説は、旧宮家養子案を正当化するための根拠というより、むしろその危うさを照らし出す視点になります。

なぜなら、この系統の学説は、天皇・皇族にも人権があることを出発点にしているからです。
天皇・皇族にも人権はある。
しかし、象徴制・世襲制・職務の特殊性との関係で、必要な範囲に限って制約される。
そう考えるなら、現在一般国民として生きている旧宮家の男系男子を皇族に組み込むことは、決して軽い制度変更ではありません。

特に芦部信喜のいう「必要最小限の特例」という考え方に立てば、問われるべきは、旧宮家養子案が本当に必要最小限なのか、という点です。
皇族数確保のために、女性皇族の婚姻後の皇族身分保持という選択肢がある。女性天皇・女系天皇を含めた皇位継承制度の見直しという選択肢もある。それにもかかわらず、なぜ、現在一般国民として生活している旧宮家男系男子を、血統と性別を理由に、強い人権制約を受ける皇族身分へ移す必要があるのか。

この問いを避けたまま、旧宮家養子案を「伝統」や「男系維持」の一言で進めることはできないと思います。

旧宮家養子案は、血統論の顔をしています。
しかし、憲法学説の文脈で見れば、それはむしろ、天皇・皇族の人権制約の限界を問う問題です。
そして、宮沢・佐藤功・芦部らの通説的理解を前提にするほど、「天皇制の維持」という目的のために、一般国民の自由をどこまで制度に取り込んでよいのか、という問題が鋭く浮かび上がるのです。

私たちは、天皇や皇族を制度として見ています。
象徴として見ています。
皇室として見ています。
伝統として見ています。

しかし、その前に、一人の人間です。

本来なら、誰を支持するか、何を語るか、どこで働くか、誰と結婚するか、どう生きるかは、その人自身の自由であるはずです。

ところが、天皇・皇族になると、その自由が大きく制約されます。
しかも、その制約は、憲法上の象徴天皇制を維持するために当然視されがちです。

憲法学説でも、天皇・皇族を人権享有主体と見るかどうかについては議論があります。高森明勅氏の整理によれば、天皇・皇族も人権享有主体である「国民」に含まれるとする説、天皇は国民に入らないが皇族は国民に含まれるとする説、天皇・皇族を国民とは区別された特別な存在と見る説があるとされています。

どの説を取るにしても、旧宮家養子案は、避けて通れない問題を突きつけます。

つまり、現在は完全な一般国民として基本的人権を享有している人を、国家が制度設計によって、強い人権制約のある身分へ移してよいのか、という問題です。

これは、天皇制そのものに内在する矛盾を可視化します。

日本国憲法は、個人の尊重を掲げています。
同時に、世襲の象徴天皇制を置いています。
その両者の間には、どうしても緊張関係があります。

旧宮家養子案は、その緊張関係を、一般国民の側にまで拡張する案なのです。

6 女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保つ案にも、人権上の緊張がある

ここまで、旧宮家養子案を中心に、一般国民を皇族という特殊身分へ組み込むことの問題を述べてきました。
ただし、私は、皇族数確保の第1案とされる「女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持すること」についても、まったく問題がないとは思っていません。

この案は、旧宮家の男系男子を新たに皇族にする案と比べれば、現在すでに皇族である女性皇族が、婚姻後もその身分を保つという点で、一般国民を外部から皇族身分へ組み込むものではありません。その意味では、旧宮家養子案や法律で直接皇族にする案とは、問題の質が異なります。

しかし、それでもなお、この案には、憲法上・人権上の重要な緊張があります。

有識者会議報告書は、皇族数確保の具体的方策として、①内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持すること、②皇統に属する男系男子を養子として皇族にすること、③皇統に属する男系男子を法律により直接皇族とすること、の三つを挙げています。そして第1案については、女性皇族が婚姻後も皇族として様々な活動を行うことを想定しています。

有識者会議報告書

天皇退位の有識者会議報告houkoku_honbun_20211222.pdf から

ここでまず問題になるのは、女性皇族本人の人生設計です。

現在の皇室典範では、女性皇族は天皇・皇族以外の者と婚姻したとき、皇族の身分を離れることになっています。つまり、現在の内親王・女王方は、婚姻すれば皇族を離れるという制度の下で人生を過ごしてこられたわけです。有識者会議報告書自身も、新制度を導入する場合には、現在の内親王・女王方が現行制度の下で人生を過ごされてきたことに十分留意する必要があるとしています。

これは非常に大事です。

婚姻後も皇族の身分を保持する制度を作ることは、一見すると、女性皇族に選択肢を広げる制度のように見えます。しかし、それが「選択」ではなく、事実上の期待や圧力として働くならば、別の問題が生じます。

「皇族数が足りないから、結婚後も残ってください」
「悠仁親王殿下を支えるために、公務を続けてください」
「皇室制度を維持するために、あなたの人生を制度の中に残してください」

このような社会的期待が強くなれば、女性皇族が本当に自由に「皇族を離れる」という選択をできるのかが問題になります。形式上は選択制であっても、実質的には拒否しにくい制度になってしまう危険があるからです。

次に、配偶者と子の問題があります。

有識者会議報告書は、女性皇族が婚姻後も皇族身分を保持する場合でも、その配偶者と子は皇族という特別の身分を有せず、一般国民としての権利義務を保持し続けることが考えられるとしています。

しかし、ここにも難しい問題があります。

妻は皇族として公務を担い、政治的自由や表現の自由、生活上の自由に強い制約を受ける。
一方で、夫や子は一般国民として生活する。
このように、一つの家庭の中に、皇族と一般国民が併存することになります。

この場合、夫婦の生活は本当に対等なものになるのでしょうか。
子どもの生活や教育、進路、発言、プライバシーは、母親が皇族であることから影響を受けないのでしょうか。
一般国民である配偶者や子が、実質的には皇室制度の影響を受けながら、法的には皇族ではないという中途半端な立場に置かれる危険はないのでしょうか。

実際、衆議院資料でも、配偶者・子を皇族としない整理については、公務負担を実質的に女性皇族のみが負うこと、配偶者が一般市民となり生活の面でも問題が多いことなどが指摘されています。また、家庭内に皇族と一般国民がいることの是非、摂政や国事行為臨時代行との関係、憲法24条1項や14条1項との関係なども論点として挙げられています。

該当する衆議院資料

皇族数確保houkoku_13shiryo01 から

ここで見えてくるのは、女性皇族を「公務の担い手」として残しながら、配偶者や子を皇族にしないという制度設計の危うさです。

それは、女性皇族だけに皇室制度の負担を背負わせる構造になりかねません。
皇位継承資格は認めない。
配偶者や子も皇族にしない。
しかし、公務は続けてもらう。
皇室活動は担ってもらう。

そうなると、女性皇族が、皇位継承の主体としてではなく、皇室制度維持のための「公務要員」として扱われる危険があります。

これは、個人の尊厳という観点から、かなり慎重に考えなければならない問題です。

さらに、逆に配偶者や子も皇族とする場合には、別の問題が生じます。

配偶者は、もともとは一般国民です。
その人を婚姻によって皇族にするならば、その人にも天皇・皇族に準じる人権制約が及ぶことになります。政治的自由、表現の自由、職業選択、生活、プライバシーなどに強い制約が生じ得ます。子についても、生まれた時点から皇族という特殊身分に置かれることになります。

つまり、配偶者と子を皇族にしない場合には、家族内の身分の分断や女性皇族への負担集中が問題になる。
配偶者と子を皇族にする場合には、一般国民である配偶者や将来生まれる子を、強い人権制約のある身分へ組み込む問題が生じる。

どちらにしても、この案は、人権上の問題を避けて通れません。

したがって、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案は、旧宮家養子案より穏当な案に見えるかもしれません。しかし、それでも、女性皇族本人の自由意思、婚姻の自由、家族生活の自由、配偶者や子の地位、男女平等、そして個人の尊厳との関係で、慎重な検討が必要です。

大切なのは、女性皇族を「皇族数確保のための存在」としてだけ見ないことです。

その人には、その人自身の人生があります。
結婚する自由があります。
皇族を離れる自由も、本来は尊重されるべきです。
家族をどのように形成するかという問題もあります。

皇族数を確保するために、女性皇族の人生を制度の中に留める。
そのような構造になってしまうならば、旧宮家養子案とは違った形で、やはり個人の尊厳を侵す危険があります。

結局、皇位継承や皇族数確保の議論は、どの案を取っても、誰かの人生に重い制約を課す問題を含んでいます。だからこそ、私は、旧宮家養子案だけでなく、女性皇族の婚姻後の身分保持案についても、制度論だけでなく、人権論として正面から考える必要があると思います。

7 法律で直接皇族にする案は、さらに危険である

なお、旧宮家養子案と並んで、皇統に属する男系男子を法律によって直接皇族にする案も議論されています。

この案は、ここまで見てきた二つの案と比べても、さらに危険です。

女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案は、現在すでに皇族である女性皇族を、婚姻後も制度の中に留める問題です。
旧宮家の男系男子を養子にする案は、現在一般国民である人を、養子縁組という形式を通じて皇族に組み込む問題です。

これに対して、法律で直接皇族にする案は、国家が法律によって、現在一般国民である人を、本人の同意を前提とせずに皇族という特殊身分へ移すことになり得ます。

ここに、決定的な違いがあります。

養子案であれば、少なくとも形式上は、当事者の同意があります。もちろん、その同意が本当に自由なものといえるのか、社会的圧力や皇室制度維持の期待の中で実質的自由意思が保たれるのか、という問題は残ります。

しかし、法律で直接皇族にする案では、その形式的同意すら飛び越える危険があります。

国家が、血統と性別を理由に、ある一般国民を選び出す。
そして、その人を法律によって皇族という身分に移す。
その結果、その人には政治的自由、表現の自由、職業選択の自由、私生活の自由などに強い制約が及ぶ。

これは、個人の尊厳という観点から、極めて重い問題です。

衆議院資料でも、この案について、一般国民である対象者の同意なしに基本的人権をはく奪することにつながり、養子案と比べてもさらに憲法上のハードルが高い、という指摘がされています。

この指摘は、非常に重要です。

法律で直接皇族にするということは、単なる皇室制度の補充ではありません。
それは、国家が一人の一般国民の身分を、本人の同意を欠いたまま、強い人権制約のある特殊身分へ変えることを意味し得るからです。

しかも、その影響は本人だけにとどまりません。

皇族となった後に生まれる子、配偶者、将来世代、皇位継承資格の問題にまで波及します。
国家が一人を皇族にすることは、その人だけでなく、その家族や将来の人生設計をも制度に組み込むことになり得ます。

だからこそ、法律で直接皇族にする案は、養子案以上に危険です。

それは、皇族数確保のための方策というより、国家が一般国民を制度維持のための存在へ転換する案です。
この構造は、個人の尊厳と基本的人権の観点から、もっとも厳しく問われなければならないと思います。

皇位継承のために一般人を法律で直接皇族にする案は、人権上、危険である。

8 皇位継承論は、「三つの人権制約」として見なければならない

ここまで見てくると、皇位継承や皇族数確保の議論は、単に「どの制度が伝統に合うか」「どの制度なら皇族数を維持できるか」という問題ではないことが分かります。

そこには、少なくとも三つの異なる人権制約の型があります。

第一に、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案です。
これは、現在すでに皇族である女性皇族を、結婚後も皇室制度の中に留める案です。一般国民を新たに皇族にするわけではありません。その意味では、旧宮家養子案や法律で直接皇族にする案とは問題の質が異なります。

しかし、それでも、女性皇族本人の人生設計、婚姻の自由、家族生活の自由、皇族を離れる自由との関係で、人権上の緊張があります。
特に、形式上は選択制であっても、「皇族数が足りない」「皇室を支えてほしい」という社会的期待が強く働けば、女性皇族が本当に自由に皇族を離れることができるのかが問題になります。

第二に、旧宮家男系男子を養子にする案です。
これは、現在一般国民として生きている人を、血統と性別を理由に選び出し、養子縁組という形式を通じて皇族に組み込む案です。

ここでは、一般国民を特殊身分へ移すことの正当性が問われます。
形式的には本人の同意があるとしても、その同意が本当に自由なものなのか。皇室制度維持の期待や社会的圧力の中で、拒否できる自由が実質的に保障されるのか。配偶者や子にどのような影響が及ぶのか。これらが問題になります。

第三に、法律で直接皇族にする案です。
これは、現在一般国民である人を、国家が法律によって直接皇族にする案です。本人の同意を欠いたまま特殊身分へ移すことになり得るため、三つの案の中でもっとも危険です。

こう整理すると、皇位継承論は、次のような問題として見えてきます。

皇位継承論は、「三つの人権制約」として見なければならない

つまり、どの案も、人間の人生に深く関わります。

女性皇族には、女性皇族自身の人生があります。
旧宮家の男系男子とされる人たちにも、一般国民として築いてきた人生があります。
その配偶者にも、子にも、将来世代にも人生があります。

皇位継承論を制度だけで語ると、この「人間の人生」が見えなくなります。

しかし、憲法が個人の尊厳を掲げる以上、制度を維持するために、誰の人生を、どの程度、どのような根拠で拘束するのかを問わなければなりません。

皇位継承とは、血統の問題である前に、人間の問題です。
そして、憲法の問題です。

9 結論――制度を守るために、人の人生をどこまで拘束してよいのか

旧宮家養子案は、単に「男系維持のための現実的な方策」ではありません。

それは、現在一般国民として生きている人を、血統と性別を理由に選び出し、天皇・皇族に準じる人権制約のある身分へ組み込む案です。

だからこそ、この案は、基本的人権の観点からかなり問題があります。

しかし、ここで考えるべきなのは、旧宮家養子案だけではありません。

女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案にも、人権上の緊張があります。
それは、女性皇族の人生を、結婚後も皇室制度の中に留める問題です。

法律で直接皇族にする案は、さらに危険です。
それは、本人の同意を欠いたまま、国家が一般国民を皇族という特殊身分へ移すことになり得るからです。

こうして見ると、皇位継承や皇族数確保の議論は、どの案を取っても、誰かの人生に重い制約を課す問題を含んでいます。

制度を守ることは重要です。
しかし、制度を守るために、人の人生をどこまで拘束してよいのか。
国家は、個人に対して、どこまで「あなたはこの制度の中に残ってください」「この身分に入ってください」と求めることができるのか。

この問いを抜きにして、皇位継承論を語ることはできないと思います。

天皇制を維持するということは、誰かの人生に、非常に重い制約を課すということです。
その制約を、伝統や血統や国家の都合だけで正当化してよいのか。
そこにいる一人の人間の自由、尊厳、人生を、どこまで考えているのか。

私は、ここを正面から問うべきだと思います。

皇位継承とは、制度の問題である前に、人間の問題です。
そして、日本国憲法が個人の尊厳を掲げる以上、皇位継承制度もまた、そこに組み込まれる人間の尊厳を正面から見なければなりません。

旧宮家養子案、女性皇族の婚姻後の身分保持案、法律で直接皇族にする案。
いずれの案についても、必要なのは、制度維持の論理だけではありません。

誰の自由を、どの範囲で制約するのか。
その制約は本当に必要最小限なのか。
本人の自由意思は保障されているのか。
家族や将来世代への影響はどう考えるのか。
そして、その人を制度維持のための手段として扱っていないか。

これらを問い続けることこそ、憲法の個人の尊厳に立脚した皇位継承論だと思います。

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