春日井はなぜ“サボテンの街”になったのか。
――緋牡丹・竜神木・実生技術、そして地方自治が生み出した地域ブランド戦略
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

愛知県春日井市が「サボテンのまち」と呼ばれるようになった背景には、
一人の農家の直感、偶然の発見、果樹農家の技術、そして地方自治体のブランド戦略
という、いくつもの要素が折り重なって形成された“産地イノベーション史”が存在しています。
ここでは、その核心である
①緋牡丹との出会い
②実生栽培の技術革新
③竜神木への接ぎ木
④伊勢湾台風と産業転換
⑤地方自治×ブランド戦略
を軸に、春日井サボテンの発展史を整理します。
目次
■ 1.運命は“真っ赤な緋牡丹”との出会いから始まった

1950年代、春日井市桃山地域は果樹の産地でした。
その果樹農家・伊藤龍次氏が、植物交換会で真っ赤なサボテン**「緋牡丹」**に出会います。
- この赤色は、葉緑素がほとんどない特殊な性質によるもの
- 自分の根では生きられず、緑のサボテンに「接ぎ木」して育てる必要がある
- 当時の日本ではほぼ見たことのない鮮烈な赤色の観賞用植物
その衝撃は、農家の目で見ても“異様な美しさ”でした。
伊藤氏は直感的に**「これは売り物になる」**と感じ、副業としての栽培が始まります。
(参考:春日井市公式「サボテンの街かすがい」
https://www.city.kasugai.lg.jp/shisei/1049358/1044082.html)
■ 2.実生(種から育てる)栽培は“こぼれ種”が教えてくれた
当時、サボテンの種は
- アルコール消毒しても発芽しない
- 播いても腐る
- 品質も安定しない
という“三重苦”の作物でした。
しかしある日、農家が偶然気づきます。
こぼれ落ちた種が、消毒もしていないのに発芽していた。
ここから発想が一転します。
- 消毒をやめる
- 温度・土壌条件を調整
- 何百回も試行錯誤する
その結果、消毒に頼らず安定した発芽率を生む実生技術が確立しました。
現場の執念がイノベーションを生んだ瞬間です。
(参考:農林水産省「実生サボテンの特性」 https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/sonota/cactus.html)
■ 3.竜神木への接ぎ木――果樹農家だから生まれた発想

緋牡丹は葉緑素がないため、
自分の根だけでは枯れてしまう“宿命”をもったサボテンです。
そこで果樹農家の経験が活きます。
果樹では台木に接ぐのが当たり前。
なら、サボテンも接げばいいのでは?
伊藤氏は、丈夫で成長の早い柱サボテン**「竜神木」**を台木に選び、接ぎ木を試します。
結果は成功。これにより、
- 育成期間が短縮
- 歩留まりが改善
- 商品価値が安定
- 量産が可能に
春日井は“接ぎ木による商品化技術”で一気に頭角を現します。
■ 4.伊勢湾台風が決断を促す――果樹からの大胆な転換
1959年の伊勢湾台風で、桃山地区の果樹園は壊滅します。
しかし、ビニールハウス内のサボテンは比較的無事でした。
ここで農家たちは決断します。
「果樹ではなく、サボテンを本業にしよう。」
この産業転換により、春日井はサボテン生産地として本格的に歩み始めます。
■ 5.〈加筆〉地方自治×産地ブランド戦略
――現場イノベーションを“地域資産”へ変えた春日井市

春日井市がサボテン産業を「地域ブランド」へと昇華させた背景には、
地方自治の積極的な政策介入があります。
●(1)「産業」から「文化」へ――ブランドの物語化
春日井市はサボテンを
「産業」+「観光」+「文化」
として総合的に位置づけました。
- サボテン料理グランプリ
- サボテンラッピングバス
- キャラクター開発
- 学校給食への導入
- 観光企画との連携
これらは、「地域固有の物語」をブランド化する典型例です。
●(2)行政による“プラットフォーム役割”
行政は「生産者・飲食店・企業・観光」の中間に立ち、
コラボの場を作り、情報を集約し、広報を支えています。
→ 中小規模の産地がブランド化に成功するモデルケース と言えます。
(参考:春日井サボテンプロジェクト https://www.kasugai-cactus.com/)
●(3)地域資源を守り、育てる地方自治の力
サボテンは強靭で乾燥に強く、都市農業として適合性が高い。
これを見抜いた行政の支援は、
「農業の多角化」+「地域アイデンティティの形成」
に貢献しました。
■ 結論:春日井のサボテン産業は、現場イノベーション×自治体戦略の成功例だ
緋牡丹との出会い、偶然のこぼれ種、果樹農家の接ぎ木技術、伊勢湾台風、
そして行政のブランド戦略——。
これらが複合した結果、春日井市は
「日本随一のサボテン産地」
として現在の地位を確立しました。
産地形成の歴史としても、地域ブランドづくりの教科書としても、
春日井サボテンは極めて興味深い事例です。
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