高市早苗という政治家を、アメリカがどう見ているのか。私の超護憲的憲法改正案と、「憲法を守る」という視点から読み解く
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
目次
- 1 【第1部】高市早苗という政治家の「位置」をめぐって──なぜいま、護憲か改憲かが問われるのか**
- 2 【第2部】高市早苗の改憲思想を徹底解剖──アメリカの視点と日本の平和主義の衝突
- 3 1 高市早苗の改憲思想の基軸──“国防国家”としての日本
- 4 2 アメリカ(トランプ政権)と高市改憲思想との相互作用
- 5 3 高市改憲思想と日本の平和主義が真正面から衝突する理由
- 6 4 超護憲案から見ると、高市的改憲は“主権の放棄”につながる
- 7 【第3部】アメリカ視点から見た高市早苗──なぜ“扱いにくいが便利な政治家”なのか
- 8 3 アメリカの戦略から見た「高市早苗」という駒
- 9 4 アメリカが抱える“高市リスク”──なぜ扱いにくいのか
- 10 5 日本の平和主義から見た「アメリカにとって便利な政治家」の危険性
- 11 6 第3部 まとめ──“便利な政治家”の裏側にあるもの
- 12 【第4部】日本の平和主義の本質──なぜいま守らなければならないのか**
- 13 8 結論──平和主義は国のためではなく「未来のため」に守るもの
- 14 【第5部・最終章】高市早苗と超護憲案──日本の未来を分岐させる二つの憲法思想**
- 15 2 高市的改憲は「外からの圧力に強いが、内側に危険を抱える国家」を作る
- 16 3 超護憲案は「国家を縛り、暴走を止め、戦争を避ける国家」を作る
- 17 4 高市的改憲と超護憲案は“日本の未来像”で完全に分岐する
- 18 5 “改憲か護憲か”ではなく、“誰のための憲法か”が問われている
- 19 6 結語──日本は今、歴史の岐路にいる
- 20 はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。
【第1部】高市早苗という政治家の「位置」をめぐって──なぜいま、護憲か改憲かが問われるのか**

私は、ここ数年ほど、日本政治の変化が極めて速いと感じている。
とくに安全保障、外交、さらには憲法観が、かつてないほど、外部要因──つまり国際情勢──によって動かされている。それは、国内政治の合意を待つよりも速く、むしろ世界の構造が日本に回答を迫っているように見える。
そして、その「回答」のひとつとして、いま前面に押し出されつつあるのが、
高市早苗という政治家である。
彼女は、安倍晋三元首相の遺産を忠実に受け継ぐ存在であると同時に、
安倍氏よりもさらに一歩、二歩と踏み込んだ「防衛・改憲」路線を明確に掲げる人物だ。
その意味で、いまの日本政治において最も“改憲の旗手”として見られている政治家の一人と言えるだろう。
しかし、この「改憲」とは誰のためのものなのか。
日本の未来を平和に導くために必要なのか、それとも外圧──とくにアメリカの戦略──に従属した形での改憲なのか。
その問いは、私のように、**日本国憲法をより強固に守り抜き、さらに構造的に強化しようとする立場(超護憲案)**を持つ者にとって、まったく他人事ではない。
むしろ、護憲か改憲かという議論は、
アメリカが現在トランプ政権であるという事実を前提にすると、まったく別の相貌を帯びてくる。
トランプ政権下のアメリカは「日本の平和主義」をどう見ているのか
2025年現在、アメリカは再びトランプ政権にある。
この事実は、日本の外交・安全保障・憲法論議に、極めて大きな影響を与える。
まず、トランプ大統領は一貫して
「アメリカの負担を減らしたい」「同盟国にもっとコストを払わせたい」
という思想を基盤にしている。
彼の外交哲学は、よくも悪くも徹底した取引主義であり、
「理念」より「損得」
「国際秩序」より「即物的利益」
に重きを置く。
その視点からすると、日本の平和主義、専守防衛、9条の制約は、
- アメリカにとっての負担
- 日本に“無料で守られている”という構図
- 同盟の不均衡
- 日本の軍事力拡大の妨げ
と映りやすい。
日本国内では「平和主義は日本のアイデンティティ」と理解されているとしても、
トランプ的世界観からすれば、
“アメリカに負担を押しつける制度”
としか見えない。
この基礎認識を押さえないと、アメリカが高市早苗をどう見ているか、まったく読み違えてしまう。
トランプ政権が求めるもの:「日本がもっと軍事化すること」
トランプ政権は、バイデン政権とは違い、
日韓関係の改善や東アジアの秩序の安定を重視しない。
彼らが気にするのはただひとつ。
「アメリカの負担が減るかどうか」
この視点だけで日本の安全保障政策を評価するため、次のような指標が重要になる。
- 日本が軍事費をどれだけ増やすか
- 日米同盟の“片務性”がどれほど解消されるか
- 日本が独自にどこまで戦えるか
- 日本が攻撃能力(反撃能力)をどこまで整備するか
- 日本の世論が軍事化を受け入れるか
- 憲法改正が実現するか
これらすべての項目に対して、
高市早苗という政治家は「YES」を示している。
したがってアメリカ──とくにトランプ政権──から見ると、
高市早苗は最も望ましいタイプの日本のリーダーに見える。
逆に、護憲的で平和主義を重視する政治家は、
アメリカの負担を軽くする助けにはならないため、評価されにくい。
では、ここに“日本の憲法”は存在しているのか?
この問題こそ、私が最も論じたいポイントである。
憲法とは、本来、
- 国民の自由を守るためのもの
- 国家を縛るためのもの
- 国家権力にブレーキをかけるためのもの
- 政治家の暴走を止めるためのもの
と理解されるべきである。
しかし、トランプ政権の日本観、そしてトランプ政権を意識して政策を語る日本の政治家の一部は、
憲法を「日米同盟のコスト調整装置」としてしか見ていない。
つまり、
高市的改憲が目指すのは、国民のための憲法ではなく、アメリカの戦略環境のための憲法だ
という可能性が出てくる。
私は、憲法とは「日本国民の生存のための基盤」であるべきだと考えている。
そのために、私は自ら「超護憲的日本国憲法改正案」を作り上げた。
この案は、単に“護憲”ではない。
むしろ、憲法そのものを現代的に再構築し、
国家権力の統制をより強固にし、
平和主義を国家の根幹に据え直し、
国民の自由を制度的に担保する構造を持つ。
その視点から見ると、
高市早苗の改憲論は
日本国憲法を政治権力と軍事システムに従属させる方向に見える。
ここに、両者の決定的な違いがある。
日本の平和主義は“アメリカのため”ではなく“日本のため”にある
私は、戦後の日本が平和国家として歩んできた歴史を、単なる敗戦の結果とは思っていない。
むしろ、日本人自身の選択が重ねられ、
世代を超えて形成されてきた価値観だと考えている。
- 武力で国家目標を達成しない
- 国際社会との協調を優先する
- 軍事的解決より外交を選ぶ
- 領土問題は戦争で取り返さない
- 国家の暴走より国民の自由を優先する
これらは、単なる「9条の条文」ではなく、
社会の深層に根付いた哲学である。
しかし高市氏は、この哲学を
- 時代遅れ
- 中国の脅威に対応できない
- 日米同盟を弱める
- 自主防衛の妨げ
- 現実主義に欠ける
と評価しがちである。
その評価自体が、すでに憲法の本質からズレている。
**米国(トランプ政権)+高市路線の組み合わせは
“日本の平和主義の消失”につながる可能性**
ここで、私の危惧が明確になる。
トランプ政権は日本の軍事化を歓迎する。
高市氏はその方向に大きく舵を切る。
メディアは「安全保障上の必要性」と説明する。
しかし、この三角形が成立したとき、
最も弱い立場に置かれるのは「日本国憲法」である。
とくに、国民が無意識に共有してきた“戦後日本の平和哲学”が、
軍事化の波に押し流されていく可能性がある。
私は、憲法を「国家のアクセル」として見るのではなく、
国家の暴走を止めるためのブレーキとして重視する。
しかし、
- トランプ的要請
- 高市的改憲
- 政治的ナショナリズム
- メディアの戦略的語彙
- 官僚機構の軍事偏重
が組み合わされると、
このブレーキが外されていく。
そして外れてからでは遅い。
憲法の価値とは、
「権力の横暴が始まった後に作るものではない」
という点にあるからだ。
第1部のまとめ:
いま必要なのは、憲法を“日本のために”位置づけ直す視点**
高市早苗をどう評価するかは、
単に「右か左か」「改憲か護憲か」という二項対立では済まない。
いま求められるのは、
- アメリカの政権の性質
- 日米同盟の構造的変化
- 東アジアの緊張
- 日本社会の平和主義
- 憲法の本質
- 政治家の立憲観
- 国民の生存の基盤としての平和
これらをすべて押さえたうえでの、
立憲主義的な総合判断である。
私は、超護憲案を持つ者として、
高市的改憲とトランプ政権の要求の結節点に、
日本の未来に対する大きな危機を見ている。
【第2部】高市早苗の改憲思想を徹底解剖──アメリカの視点と日本の平和主義の衝突
私は、高市早苗という政治家の憲法観を理解するためには、まず彼女が「何を守り、何を変えようとしているのか」を、思想の根本のところから掘り下げる必要があると考えている。そして、その憲法観がいまのアメリカ──とりわけトランプ政権の世界観と結びつくことで、日本の平和主義がどのような圧力を受けるのか。こここそが、今回の論考の核心になる。
高市氏は、日本の政治家のなかでもっとも“改憲”を政策の中心に置いてきた人物である。単なる党内ポジションとしての改憲推進派ではなく、むしろ「改憲を日本が生き残るための前提」と明確に位置づけてきた。その意味で、彼女の憲法観は一貫している。
だが、この一貫性こそが、私の立場──超護憲案を掲げる憲法観──から見ると、日本の平和主義と根源的に衝突する要素でもある。さらに、いまアメリカにトランプ政権が存在するという現実を加えると、高市氏が目指す改憲方向は、単なる国内政治の問題ではなく「日米間の力の配置を組み替える」ような大きな帰結を持ちうる。
では、高市早苗の改憲思想は、どのような構造を持ち、どのようにアメリカと結びつき、そして日本の平和主義に対してどのような影響を及ぼすのか。
1 高市早苗の改憲思想の基軸──“国防国家”としての日本
高市氏の憲法観を、彼女の発言・著作・政策文書から抽出すると、以下の4つが中核にある。
① 平和主義の再定義(「9条は時代遅れ」ではなく「9条では国民を守れない」)
高市氏は、9条を「時代遅れ」と単純に切り捨てるタイプではない。むしろ彼女の主張は、
- 自衛隊を憲法上明記し、疑いなく“軍”と位置づける
- 専守防衛では国民を守れない
- ミサイル攻撃能力を憲法上可能な範囲にする
- 無人機・サイバー・宇宙領域でも攻撃的能力を確保する
- 日本の防衛は“抑止のための軍事力”によって成立する
という方向である。
つまり彼女が再定義している「平和」とは、
軍事的抑止力を増強することが平和につながる
というものだ。
これは、戦後日本が育んできた「平和主義」=「戦争を選択しない文化」とは大きく異なる。
② “自主防衛”への強い志向
高市氏の改憲思想の根底には、「自主防衛」というキーワードがある。
しかし、ここで注意すべき点は、彼女のいう自主防衛は、必ずしも日米同盟からの離脱を意味しない。
むしろ逆で、
- 日米同盟を維持したまま
- 日本自身が“より戦える”国家になる
という構想だ。
ここで、トランプ政権の世界観と完全に一致する。
トランプは日本に対して
- 「自国を守るための金を出せ」
- 「自国の軍を強化しろ」
- 「アメリカはただで守らない」
という立場を一貫して取る。
高市氏の“自主防衛的改憲”は、まさにこの要求に合致するのだ。
③ 国家緊急権の確立
高市氏は緊急事態条項の導入にも積極的である。
ここに、憲法学者の多くが警戒を示してきた。
緊急事態条項は、国家権力に非常時の強大な権限を付与する。
その結果、
- 言論の統制
- 財産の没収
- 国民の移動制限
- 国会の機能停止
- 行政府による立法代行
など、平時では許されない行為が可能となる。
私は超護憲案の立場から、
国家緊急権はもっとも慎重に扱われるべき部分だと考える。
なぜなら、権力濫用のリスクが直接的に国民の自由と人権を侵害するからだ。
高市的改憲は、この点において
国家優位・国民統制の方向に重心が移る危険性がある。
④ 歴史観とナショナリズム
高市氏は靖国参拝を肯定し、戦後日本の歴史観に対して右派的な立場を取る。
これは国内政治の問題としてだけでなく、外交的にも影響が深い。
アメリカ──特に民主党政権下であれば──は、この歴史認識化の強硬さを
「日韓関係の悪化要因」と見なす。
しかし現在はトランプ政権であり、日韓関係の摩擦そのものに大きな関心を持たない。
むしろ、トランプ政権のアジア観は
- 日本はもっと軍事化すべき
- 韓国とは距離を置いても構わない
- 同盟国の“義務”を強化するべき
という思想に立脚している。
つまり、歴史観の摩擦による日韓の緊張は
トランプ政権にとって戦略的な痛手にはならない。
ここでも、高市氏は“アメリカの負担を減らす”という観点で
都合の良い政治家として見られる可能性がある。
2 アメリカ(トランプ政権)と高市改憲思想との相互作用
では、いまアメリカがトランプ政権であるという前提のもと、
高市早苗の改憲思想はアメリカ側からどう見えるのか。
私はこの点を徹底的に分析する必要があると考える。
① トランプ政権にとって理想的な日本の姿とは何か
トランプ政権は、次のような日本を望んでいる。
- 防衛費を大幅に増額する日本
- 自国を自力で守る“戦える日本”
- アメリカの軍事費用を肩代わりしてくれる日本
- アメリカの武器を大量に買ってくれる日本
- 中国に対して最前線の防波堤となる日本
このすべてが、高市早苗の政策と一致する。
前述したように、トランプ的外交は損得勘定が基軸であり、
理念ではなく“コストの配分”が中心となる。
だから、彼らは次のように考える。
「日本が軍事費を払うなら、それでよい」
「日本が改憲して戦える国になるなら、アメリカの負担が減る」
「日韓の対立があっても、アメリカは直接損しない」
こうした視点からすると、高市氏はまさに理想的なパートナーになる。
② バイデン政権なら警戒しただろうが、トランプ政権は歓迎する
バイデン政権(民主党)なら、次の点で警戒しただろう。
- 9条改憲による軍事化の急加速
- 歴史認識による日韓関係悪化
- 地域秩序の不安定化
- 日本の“暴走”
- 軍事戦略の暴発リスク
しかしトランプ政権はこの逆だ。
- 日本が軍事化するのは歓迎
- 日本が韓国と揉めても構わない
- 日本が戦える国になるのは望ましい
- 日米同盟の不均衡が解消される
- アメリカの軍事費が減る
つまり、
高市的改憲が加速すればするほど、トランプ政権の利益になる。
③ だからこそ、日本の平和主義に“外圧”がかかる構図
高市氏の改憲論は、国内だけで議論しているように見えるが、
じつはその背後に、アメリカ(トランプ政権)の世界観が重く乗っている。
- 日本は軍事化するべき
- 日本は改憲するべき
- 日本は防衛費を出すべき
- 日本は攻撃的能力を持つべき
こうした要求は、まさに高市的改憲思想と一致する。
つまり、
日本の憲法論争は、すでに国内問題の枠を超えている。
そして、ここにあるのは
“日本の平和主義とアメリカの軍事化要求との衝突”
という構図である。
3 高市改憲思想と日本の平和主義が真正面から衝突する理由
私は、ここが最も重要な論点だと考えている。
なぜ、高市的改憲は日本の平和主義と衝突してしまうのか。
以下の5つの点に整理できる。
① 戦後日本の“平和主義の文化”と根本的に相容れない
日本の平和主義は、単なる9条の規定ではない。
- 戦争を選ばない
- 武力より外交を選ぶ
- 軍事的冒険主義を嫌う
- 社会の価値としての「平和」
- 軍事化への拒否感
- 国家より個人の尊厳を優先する
これらは文化的価値であり、戦後の社会形成の基礎になっている。
高市氏の憲法観は、これを根本から改めようとする。
② “攻撃能力”を前提とする国家像
高市的改憲は、専守防衛ではなく、
「反撃能力(攻撃能力)」を前提とした軍事国家像を描く。
しかし、日本の平和主義は、
「戦争開始の主体にならない」という哲学に立脚している。
この哲学が崩れると、日本の国際的位置は大きく変化する。
③ 立憲主義の弱体化
緊急事態条項の導入や軍事権の強化は、
国家が国民に対して強い権限を持つ構造を作り出す。
高市的改憲の方向では
国家の暴走を止めるブレーキが弱くなる。
これは立憲主義の根幹にかかわる。
④ 日本を“戦略的前線国家”にする方向に向かう
高市的改憲が進めば、日本はアメリカの戦略上
- “前線国家”
- “最前線の戦場候補地”
になりうる。
日本がその地位を受け入れるかどうかは、
主権国家として根本的な問題だ。
⑤ 平和主義が“アメリカの都合”で消される危険
日本が軍事化すれば、アメリカの負担は減る。
これはトランプ政権の世界観に完璧に合致する。
したがって、
日本の平和主義は、アメリカの軍事的利益のために後退させられる可能性がある。
ここに、最大の危険がある。
4 超護憲案から見ると、高市的改憲は“主権の放棄”につながる
私は、超護憲案を作るなかで、
「憲法とは主権者である国民が国家権力を縛るための構造」
という原点を徹底的に重視した。
この視点から見ると、高市的改憲は、
国家権力を縛る憲法の役割を弱め、
アメリカの軍事戦略に日本の憲法を従属させる方向に進む可能性がある。
つまり、
国家主権の放棄に近い。
国民のための憲法ではなく、
同盟国の軍事戦略のための憲法になってしまう危険がある。
これでは本末転倒だ。
5 第2部 まとめ:いま、日本の平和主義がもっとも脅かされている瞬間
高市早苗の改憲思想は一貫している。
そしていま、それを最も強力に後押ししているのが
トランプ政権である。
両者が重なるとき、日本の憲法──とくに平和主義──は
前例のない圧力にさらされる。
私は、この状況下でこそ、
憲法の本質──「国家権力の抑制」と「国民の生存」──を
再確認する必要があると強く感じている。
【第3部】アメリカ視点から見た高市早苗──なぜ“扱いにくいが便利な政治家”なのか
私が高市早苗という政治家を考えるとき、常に頭に浮かぶのが「アメリカ、特にトランプ政権は彼女をどう見ているのか」という視点である。日本の政治家自身が何を考えているかよりも、その政治家が「アメリカにとってどういう存在か」という点が、実際の政策決定に影響を与えることがあまりにも多いからだ。
実際、高市氏は国内では“保守強硬派” “タカ派”と呼ばれ、改憲の急先鋒として語られることが多い。しかし、アメリカ──特に現在のトランプ政権──からすると彼女は単に「タカ派の政治家」では終わらない。むしろ、
「扱いにくいが、極めて便利な政治家」
という評価がふさわしい。
扱いにくさと便利さ。この相反する二つが共存するところに、日米関係の本質が現れる。
ここではその理由を、歴史、軍事戦略、外交的文脈、そして日本の憲法観との関係から掘り下げてみたい。
1 アメリカにとって高市早苗は“扱いやすい”政治家なのか
結論から言うと、トランプ政権にとって高市氏は「使いやすい」部分が非常に多い。
なぜなら、高市氏の主張の中心は、
- 日本の軍事化
- 米国製兵器の大量調達
- 反撃能力(攻撃能力)の明確化
- 米国の軍事戦略に沿った日本の役割増大
- 改憲による自衛隊の軍隊化
- 防衛費の持続的拡大
であり、これらはすべてトランプ政権のアジア政策と完全に一致するからである。
トランプ政権の本音は明確だ。
- 「アメリカの負担は減らしたい」
- 「同盟国に金を払わせたい」
- 「中国包囲網を維持したいが、自分ではコストをかけたくない」
この3点である。
だからこそ、日本が“より戦える国”になることは、彼らにとって極めて都合がよい。
その意味で、高市氏はアメリカの思惑と100%近く重なる。
2 しかし同時に“扱いにくい”政治家でもある
便利さの裏側には扱いにくさがある。それは、以下の3つの要素から来る。
① 歴史認識の問題(とくに韓国との関係)
アメリカは、日米韓三角連携を知らず知らずのうちに「東アジアの基本構造」として維持してきた。これは民主党政権ならなおさら、共和党政権でも軍事的には重要だ。
しかし高市氏は、
- 靖国参拝
- 植民地支配や戦争責任の捉え方
- 歴史認識に対する保守的姿勢
- 「自虐史観」批判
といった姿勢が強いため、韓国との摩擦が起きやすい。
トランプ政権は韓国をそれほど重視していないが、アメリカの軍事機構(国防総省)や外交専門家は別だ。彼らは日韓の安定を常に重視している。
したがって、高市氏はアメリカ官僚(特に国務省)にとっては
「日韓関係を壊しかねないリスクのある政治家」
と見られている。
② ナショナリズムが強すぎる
アメリカは、日本の保守政治家を使うとき、その人が「アメリカの戦略に沿って動いてくれるかどうか」を最も気にする。
高市氏はタカ派ではあるが、同時に強いナショナリズムを持ち、時にアメリカの意に沿わない動きを見せる可能性もある。
たとえば、
- 原発政策
- 技術安全保障(アメリカ依存ではなく日本主導を優先する場面)
- 国内企業保護
- 憲法問題に対する“日本独自路線”
など、ナショナリズムが前面に出る問題では、アメリカの意向より“日本の意地”を優先する可能性がある。
アメリカは、これはこれで厄介だ。
③ 予測不能な政治行動
政治家としての高市氏の特徴は、時に「理屈より突き進む」傾向があることで、
アメリカのシンクタンクはこれを次のように評価する。
“A strong hawk, but not predictable.”
(強硬派だが予測不能)
日本の政治家が予測不能というのは、アメリカにとっては恐怖である。
同盟国とは、コントロールできて初めて便利なのだ。
3 アメリカの戦略から見た「高市早苗」という駒
アメリカ、特にトランプ政権から見て、日本は“戦略的前線国家”である。
そして高市氏は、その前線国家の役割を明確に肯定している数少ない政治家である。
ではアメリカは、高市氏をどのように使おうとしているのだろうか?
以下のように整理できる。
① 日本に軍事的役割を増やすための駒
トランプ政権は「アメリカは戦わない。戦うのは同盟国だ」という発想に近い。
そのため、高市氏のような“戦う国家”を志向する政治家は重宝される。
高市氏は、
- 敵基地攻撃能力(反撃能力)
- 防衛費GDP2%
- 日米共同作戦の高度化
- サイバー・宇宙軍の創設
- 国防力の抜本強化
を推し進める。
これらはすべて、アメリカの軍事的負担を軽くしてくれる。
② 日本を中国包囲網の最前線として固定化するための駒
現在、アメリカの対中戦略は二重構造になっている。
- 名目上は強硬路線(対中抑止)
- 実際は対立管理(コンフリクト・マネジメント)
トランプ政権はこの二重性をさらに強めている。
高市氏の強硬姿勢は、
名目上の“対中強硬イメージ”には役立つ。
アメリカはこうした“象徴的な強硬派”を利用し、
中国に対して「包囲している」という印象を与えつつ、
実際には直接衝突を避ける。
③ 日本に武器を売り続けるための駒
アメリカから見れば、日本ほど“理想的な武器の買い手”はない。
高市氏の政策は、日本がアメリカ製兵器の主要顧客であり続けることを確実にする。
- イージスシステム
- ミサイルシステム
- ステルス戦闘機
- 長距離巡航ミサイル
これらは、トランプ政権にとっては“金のなる木”である。
④ 改憲議論を正当化するための駒
アメリカは表向き「日本の憲法は日本人が決めるもの」と言うが、
実際には、日本の改憲議論は常にアメリカの戦略的利益と連動している。
高市氏は、
- 憲法9条に自衛隊を書き込む
- 緊急事態条項を設ける
- 戦力保持を可能にする解釈
- 国防を中心に据えた憲法観
をもっている。
これは、アメリカが望む“戦力としての日本”の方向に合致する。
4 アメリカが抱える“高市リスク”──なぜ扱いにくいのか
便利な政治家でもあるが、同時に“リスク”も抱えている。
トランプ政権内部の分析では次のようにまとめられる。
① ナショナリズムの暴走(中国・韓国への強硬姿勢)
アメリカは中国と衝突したくない。
韓国との関係を完全に破壊したくない。
しかし高市氏はナショナリズムを刺激し、
東アジアの緊張を不必要に高める可能性がある。
これが、“扱いにくさ”の最大の理由だ。
② 日本の政治的分断が激しくなる
高市氏が首相になれば、憲法、軍事、歴史観をめぐって国内が大きく分断する。
アメリカは基本的に「安定した日本」を望んでいる。
内政が混乱すると、日本の軍事力拡大プロジェクトも進みにくくなる。
③ 日本の“独自路線”が出る可能性
高市氏はアメリカに同調はするが、日本固有の価値観も重視する。
この独自路線が、アメリカの意向とズレた瞬間、かなり厄介な存在になる。
たとえば、
- 中国封じ込めの度合い
- 技術政策(半導体・AI)
- エネルギー政策
- 原発政策
などで、アメリカの都合と必ずしも一致しない部分がある。
5 日本の平和主義から見た「アメリカにとって便利な政治家」の危険性
私はここで、ひとつの根源的疑問に立ち返る。
「アメリカにとって便利な政治家」とは、果たして日本国民にとっても便利なのか?
答えは明白だ。
そんなことはない。
むしろ、日本国民にとっては極めて危険な場合がある。
なぜなら、アメリカが日本に求めるものは
「アメリカの軍事戦略に従う日本」
であり、
日本国民の生命や生活を守ることは優先されないからだ。
トランプ政権はとくにその傾向が強い。
トランプにとって同盟国とは、
- 利益をもたらすか
- 負担を軽減するか
- アメリカのコストを肩代わりするか
でしか評価されない。
だから「戦う日本」が望まれるのだ。
しかし、日本の平和主義──私はこれを「戦後日本の知恵」と捉えているが──は、
まさにその逆方向だ。
- 戦争を選ばない国家
- 軍事的解決より外交的解決
- 個人の尊厳を国家に優先させる
- 自国の安全を他国の戦略のために差し出さない
高市氏は、この戦後日本が築いてきた哲学を根本から再編集しようとしている。
そして、トランプ政権はその方向性を後押しする。
6 第3部 まとめ──“便利な政治家”の裏側にあるもの
アメリカは高市早苗をこう見ている。
「使いやすい部分も大きいが、扱いにくい要素もある。しかし総合すると“アメリカの負担を減らすために便利な政治家”である。」
だが、私はここで注意したい。
“アメリカにとって便利”であることと、“日本にとって良い”ことは一致しない。
むしろ歴史的には、両者はしばしば対立してきた。
ここで必要なのは、
日本が自分の生存戦略を自らの手で構築することであり、
それがまさに、私が提案する「超護憲的日本国憲法改正案」の核心である。
国家が強くなることと、
国民が幸福になることは、同じではない。
アメリカの戦略に合わせた“改憲”は、
国家を強くするかもしれないが、
国民の自由や生命を守ることにはつながらない可能性がある。
だからこそ私は、
高市早苗という政治家をめぐる日米双方の政治構造を、
憲法の視点から丁寧に読み解く必要があると強く思うのである。
【第4部】日本の平和主義の本質──なぜいま守らなければならないのか**
私はこれまでの人生のなかで、何度も「日本の平和主義とは何か」という問いに向き合ってきた。
あるときは政治の現場から、あるときは行政文書や裁判資料を読み込む中で、そしてまた、もっと個人的な経験──家族の死、社会の不安、災害、労働問題──と向き合う中で、その意味を深く考えてきた。
そのたびに思うことがある。
日本の平和主義は、単なる条文や理念ではなく、社会の深層に流れている“文化的な叡智”である。
そして、いまほどこの叡智が脅かされている瞬間はない。
高市早苗氏が推し進める改憲と軍事化、そして背景にあるトランプ政権の“負担減”思考によって、
日本の平和主義は制度的にも心理的にも、強い圧力を受けている。
私はここで、いま一度立ち止まり、日本の平和主義の本質を丁寧に描き出したい。
それは、単なる過去の遺産ではなく、
**日本が21世紀を生き抜くための“生存の知恵”**そのものだからだ。
1 日本の平和主義は「敗戦の結果」ではなく「社会の精神的進化」
平和主義は、敗戦の結果として“押しつけられた”ものだという主張がある。
しかし、私はそうは思わない。
確かに、アメリカ主導の占領政策は日本に非軍事化と民主化を持ち込んだが、
その後の日本人自身の選択と経験が、平和主義を根付かせた。
例えば、
- 戦争の悲惨を直接体験した世代の記憶
- 朝鮮戦争・ベトナム戦争をアメリカの後方基地として目撃した経験
- 冷戦構造に翻弄されながらも戦争に巻き込まれなかった安堵
- 70年代以降の経済成長と平和への依存
- バブル崩壊後の不安の中で見直された「生命の価値」
- 3.11後に強まった“国家安全保障より人間の安全保障”という意識
これらを踏まえると、日本の平和主義はむしろ
「日本人が自分で作り上げた価値」であり、「戦争を拒否する型の文明」
とさえ呼ぶべきものだ。
憲法9条は、その価値を法の形で固定化した“社会の意思”と言える。
2 平和主義とは「戦わない」という選択だけではない
平和主義を「戦わないこと」「軍事を持たないこと」と単純化して語られることがある。
しかし本質はもっと深い。
平和主義とは、
- 国家が暴走しないための組織原理
- 戦争で得られる利益より失う命の価値を優先する倫理
- 国家の暴力を最小限に抑える制度設計
- 安全保障の中心を“軍事”ではなく“生活の安定”に置く哲学
- 外交と調停を軸とした紛争処理の文化
- 国家同士が暴力で対立する世界観そのものを疑う姿勢
の総体である。
これは単なる軍事政策ではなく、文明選択である。
高市的改憲は、ここから大きく逸れる。
3 日本の平和主義は「安全保障の基盤」でもある
安全保障というと軍事力の多寡で語られがちだが、
国際政治学から見ると、安全保障には複数のレイヤーがある。
- 軍事安全保障
- 経済安全保障
- 社会安全保障
- 人間の安全保障
- 地域の信頼醸成
- 情報・心理の安定性
日本の平和主義は、この複数のレイヤーを
軍事力よりも“国際的信頼”で確保してきた。
日本は戦後80年、東アジア最大の軍事大国でもなく、
中核的核保有国でもなかったが、地域秩序を壊さなかった。
それはなぜか?
日本が“武力で問題を解決しない”国であることが、周辺国の安心につながったからだ。
これはミリタリーバランスではなく、“行動規範”の信頼による安定である。
安全保障は、軍事力の量だけで作られるのではない。
4 平和主義は「日米同盟の安定装置」でもあった
興味深いことに、日本の平和主義はアメリカにとってもメリットがあった。
とくに冷戦期、アメリカは日本が軍事的冒険に走ることを恐れていた。
そこで9条が日本を縛ることで、アメリカは日本に軍事的に依存されながらも、
“暴走しない安定した同盟国”を得ることができた。
つまり、日本の平和主義は皮肉にも、
日米同盟を暴走させないブレーキとして働いてきた。
しかし、トランプ政権はこの構造を「アメリカの負担」と見てしまう。
ここに、現在の危うさがある。
5 いま、平和主義がもっとも脅かされている理由
私は、2025年の日本が過去のどの時期よりも
平和主義が制度・文化・政治の各側面から脅かされていると感じる。
その理由は次のとおりだ。
① アメリカがトランプ政権という“軍事コスト削減政権”になっている
トランプ政権は、日本に防衛費負担を押しつけたい。
日本が軍事強化をすることは、アメリカにとって“好都合”でしかない。
つまり、アメリカは日本が改憲することに抑制的な理由がないのだ。
② 国内で軍事化を正当化する政治勢力が強まっている
高市早苗氏はその象徴である。
- 防衛費GDP2%
- 反撃能力保持
- 改憲推進
- 自衛隊の軍隊化
- 国防国家への転換
これらはすべて、憲法の制御装置を弱める方向性である。
③ メディアの劣化と戦略的ナショナリズムの広がり
憲法9条や平和主義を「時代遅れ」
「世界の流れに取り残されている」
といった言説が、根拠のないまま広がっている。
しかし、実際には世界中で戦争回避の枠組みは強化されており、
国連憲章の理念はなお重要性を増している。
④ 経済の不安が軍事的“強さ”を求める心理に変わっている
経済が不安定になればなるほど、人々は国家の“強さ”を求めがちになる。
これは世界中で確認される現象であり、
ナショナリズムと軍事化を促す要因となる。
⑤ 東アジアの緊張が高まり、不安が改憲を正当化する空気が生まれる
台湾海峡、南シナ海、北朝鮮のミサイル。
これらの問題が、“憲法が邪魔しているから日本が弱い”という誤解を広める。
6 平和主義は「国民を守る最後の防壁」である
ここからが重要な点だ。
私は、平和主義とは“国を弱めるもの”ではなく、
むしろ“国民を守る最大の防壁”であると考える。
どれだけ軍事力を強化しても、
戦争が日本国内に及べば国民の生活は破壊される。
軍事力は国土を守ることを保証しない。
むしろ戦争に巻き込まれるリスクを高めることもある。
しかし、平和主義と外交中心主義は、
- 戦争に巻き込まれない確率を最大化し
- 国民の生活・健康・自由を守り
- 国家の暴走を制度的に抑制し
- 経済と社会の安定を維持する
これこそが「国民の安全保障」そのものである。
7 だからこそ私は“超護憲案”を提示してきた
高市的改憲が国家の権限を拡大し、
日本を軍事国家化する方向に舵を切るならば、
私の超護憲案はその逆である。
- 国家権力をより強く縛る
- 憲法裁判所を創設し、政治の暴走を制度的に止める
- 平和主義を現代的に再構築する
- 防衛よりも“人間の安全保障”を中心に置く
- 国民の権利と自由を最大化する
- 国家ではなく社会を強くする
これは単に“護憲”ではなく、
**憲法の精神をより強固に守る“積極的な護憲”**である。
8 結論──平和主義は国のためではなく「未来のため」に守るもの
私が最も強調したいのはこれだ。
平和主義を守るのは、国家のためでも政治のためでもなく、未来の日本人のためである。
憲法9条をめぐる議論は、
左か右か、保守かリベラルかという単純な対立ではない。
それは、
日本がどのような国として未来を拓くのか、
その文明選択の問題である。
私は、軍事化・改憲の流れが加速する今だからこそ、
日本の平和主義の本質を再確認し、
その価値を守り抜く必要があると考える。
国家の強さではなく、
社会の知恵が未来を守る。
憲法とは、その知恵を形にしたものなのだ。
【第5部・最終章】高市早苗と超護憲案──日本の未来を分岐させる二つの憲法思想**
本章は、本論全体の総仕上げになる。
ここでは、高市早苗という政治家が持つ「改憲思想」と、私自身が提示してきた「超護憲案」とがどのように決定的に対立するのか。そして、それが日本の未来にどのような分岐を生むのかを深掘りする。
私はここまでの分析で、高市氏の改憲思想の骨格を明らかにし、それがいまのアメリカ──特にトランプ政権の戦略にどれほど都合よく一致しているかを解説してきた。
では、その対極に位置する「超護憲案」は、日本の未来に何をもたらし、高市氏の憲法観とどう対立するのか。
ここでは、憲法の根源問題──国家権力、国民の自由、戦争と平和、主権、社会の安定──を軸に論じたい。
1 高市的改憲と私の超護憲案は「国家観」がまったく違う
結論から言えば、
高市的改憲と超護憲案は、国家そのものをどう捉えるかという“哲学の根本”が異なる。
私はこの違いを、次の表でまず示したい。
◆ 高市早苗の憲法観(国家主導型)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 国家の役割 | 国民を守るために軍事力を最大化する主体 |
| 国民の立場 | 国家の安全保障のためのメンバー |
| 平和の定義 | 抑止力の強化によって成立する「軍事的平和」 |
| 国家権力 | 非常時には大幅に拡張されるべき |
| 改憲の目的 | 自衛隊の軍隊化、攻撃能力保持、緊急事態条項 |
| 国際関係 | 主として力の均衡で維持する |
| 日米同盟 | 軍事作戦を共有する軍事ブロックとして捉える |
◆ 私の超護憲案(国民主導型)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 国家の役割 | 国民の生命・自由・生活を保障するための公共装置 |
| 国民の立場 | 国家権力を監視し、縛る主権者 |
| 平和の定義 | 武力に依存せず、外交・法・信頼で作る「社会的平和」 |
| 国家権力 | 常時、憲法裁判所などによって厳格に統制されるべき |
| 改憲の目的 | 平和主義の現代的強化・人権の最大化 |
| 国際関係 | 多層的な協調と外交の積み重ねで維持する |
| 日米同盟 | 対等な協力関係として再定義し、軍事依存を避ける |
この対比からも明らかなように、
高市的改憲は「国家が強くなる」方向へ、
超護憲案は「国民が強くなる」方向へと向かう。
この違いこそ、日本の未来を決定づける。
2 高市的改憲は「外からの圧力に強いが、内側に危険を抱える国家」を作る
高市氏の改憲観は、戦後保守思想の典型ではあるが、
現代の国際情勢では次の問題が生じる。
① 外国(とくにアメリカ)に利用されやすい国家ができる
高市的改憲は、アメリカの要求と完全に一致している。
- 軍事化
- 攻撃能力の保持
- 防衛費の増額
- 日米共同作戦
- 憲法制約の撤廃
これらは、アメリカ側から見れば
「日本が軍事的負担の一部を肩代わりしてくれる」
という意味になる。
その結果、
日本は自国の判断で戦争に巻き込まれる危険が高まる。
② 国家権力が強くなりすぎる
緊急事態条項、軍事権限の拡大は、
国家が必要以上に強い力を持つ方向に働く。
戦前の教訓を思い出すまでもなく、
国家権力は強化されれば必ず暴走する可能性がある。
③ 国民の自由が制限される方向へ向かう
国家安全保障が中心に据えられる国家では、
国民の自由や権利は“安全のため”に制限される。
特に、
- 言論の自由
- 集会の自由
- プライバシー権
- 民主的参加
が制限されやすい。
④ 日本が「最前線国家」になる
高市的改憲が進めば、日本は地政学上
アメリカと中国の軍事衝突の最前線に立たされる。
これは、日本の安全にとって最も危険な状態だ。
3 超護憲案は「国家を縛り、暴走を止め、戦争を避ける国家」を作る
私の超護憲案が目指すのは、
単に憲法を守るのではなく「憲法の構造そのものを強化する」ことだ。
その本質は次の通りである。
① 国家より国民が上位にある国家像
高市的国家像とは逆で、
超護憲案の国家像は
国民が国家権力を常時監視し、縛る構造
を前提とする。
その象徴が「憲法裁判所の創設」だ。
政治が憲法に反する行為をした瞬間に、
国民の側から司法的に止めることができる。
② 平和主義の強化(“守り”ではなく“積極的平和主義”)
私の平和主義観は、
“戦わない”という受動的な態度ではない。
- 紛争の予防
- 外交と調停機能の強化
- 情報公開と説明責任
- 国際社会での信頼形成
- 人間の安全保障(生活・医療・教育の安定)
これらを国家戦略の中心に据える。
つまり、
軍事ではなく社会の安定によって平和を作るという国家像だ。
③ 日米同盟の再定義(対等化の方向へ)
超護憲案は日米同盟を破棄するわけではない。
だが、
トランプ政権の「負担押し付け主義」に従うわけでもない。
目指すのは、
軍事依存ではなく、協力に基づく対等な同盟
である。
そのために、外交・経済・科学・文化など多層的な協力関係を強める。
④ 社会の安定を国家の中心価値に置く
国家とは国民の生活を守るために存在する。
- 生活の安定
- 福祉
- 教育
- 医療
- 雇用
- 文化的生活の充実
これらが整ってこそ、国民は戦争に巻き込まれずに生きることができる。
軍事力ではなく、社会の安定こそが安全保障の基盤だ。
4 高市的改憲と超護憲案は“日本の未来像”で完全に分岐する
ここまでの議論を総合すると、
両者が日本にもたらす未来像は根本的に異なる。
◆ 高市早苗が描く未来
- 日本はアメリカとともに戦う“軍事国家”へ
- 国防を中心とする国家へ移行
- 改憲によって国民より国家の権限が強くなる
- 東アジアで軍事的緊張の中心となる
- 日韓関係は悪化しやすい
- 国内の政治分断が進む
- 国民の自由が制限される可能性
◆ 私の超護憲案が描く未来
- 日本は東アジアの“紛争回避と調停の中心”へ
- 国家より国民の自由が優先される
- 憲法裁判所による権力監視が徹底
- 軍事ではなく社会の安定で安全を確保
- 日米同盟を対等な協力関係へ再構築
- 国際社会から「信頼される平和国家」へ
- 国民の生活・自由・安心が国家の中心
5 “改憲か護憲か”ではなく、“誰のための憲法か”が問われている
私は最後に、この問いを強調して終わりたい。
憲法は誰のために存在するのか?
高市的改憲においては、
憲法は国家のため、外圧に応じるため、アメリカの負担を軽減するために書き換えられる可能性がある。
しかし、私が信じる憲法はこれとは違う。
憲法は国家のためにあるのではない。
政治家のためにあるのではない。
アメリカのためにあるのでもない。
憲法は、国民が権力から自由を守るための“最後の砦”である。
そして、平和主義とは国民が未来の自分たちの命を守るための“防波堤”である。
6 結語──日本は今、歴史の岐路にいる
高市早苗的改憲と、私の超護憲案。
この二つが象徴するのは、
日本がどのような国として未来を選ぶのか、という歴史的な岐路だ。
- 軍事国家として強さを追求するのか
- 平和国家として知恵で生きるのか
- 国家が前面に立つのか
- 国民が中心に立つのか
- 外圧に合わせるのか
- 主権者として立憲の旗を掲げるのか
今、この選択が日本に迫られている。
私は、
日本が平和国家としての道を守り抜き、進化させるべきだ
という立場に立つ。
それが、未来の世代にとって
最も安全で、最も誇りある日本の姿だと確信している。
はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。
私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。







