ある家族の死の記事を見て、思ったこと。2023年7月23日
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
目にとまったある記事 【「ゴミ屋敷で兄姉が死亡」遺族が直面した衝撃事実】
今日、ふと、こんな記事が目に留まりました。
最近、母の看病を目的をもって、ずーっとやってきました。その経験から、思ったことを綴りたいと思います。
【死は恥 死なせるのは恥が、不幸の連鎖を紡ぎだす】
はらだよしひろが思うこと。
この記事を見て、私が感じたことは、どこかに、死は恥、死なせることは恥という感覚がこういう悲劇をもたらしたのではないかということだ。
私は、母の膵臓癌発覚の時、死を隠さず、前提として「幸せ」に最後まで生きていかせるか、看病してきました。そのこともブログとして綴ってきました。
その経験から言っても、「死」を隠すことは、その家族に不幸と負の財産をもたらす。「死」を隠さない家族の関係づくりは、豊かな未来への土壌を耕すことにもなるのだと思う。
但し、「無責任」とは言えない。
死は恥という感覚は、誰にでも起こりうることです。特に血のつながりがあれば、他人以上に過酷な疎遠状態になることはありうるのです。
ですから、私は、この記事のご兄弟が無責任とは言えないと思っています。それでも、どういった状況でも助け合って乗り越えるような関係性と真逆の関係性が積み重ねられたと思うのです。
この関係は、他人以上に他人の関係です。同じ部屋にいながら、家族のことを自分ごとのように向き合わなかった(向き合えなかった)積み重ねが、この家族にはあったと思います。
向き合わなかったからこその拒絶的関係性でつながった家族・・・・その結果は・・・言うべくもありません。
無責任と非難することさえ適切でないからこそ、悲劇は生まれる。
現実的に、どこにでもこういう予備軍的な家族はいる、ということは十分に考えられるのです。