禅宗の修行に3年間行くつもりが・まさかの専門僧堂休止!23/12/6

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

~プロローグ~ とある禅宗の専門僧堂の休止のお知らせ。
(12月28日追記)

この日記は、12月6日に書いたものですが、その後、重要な知らせが、このお寺のホームページに記載されていたので、ご紹介します。

智源寺専門僧堂の休止について

2023-12-25

智源寺専門僧堂におきましては、出家希望者の修行に対する考え方と僧堂側の指導方針の相違、出家希望者の減少など諸般の理由により、令和5年12月31日をもって休止致します。

なお、智源寺で是非にでも出家したい方の出家は可能です。しかし、その後の住職になるための修行は他の僧堂で修行する必要がありますので、あらかじめご承知おきください。

智源寺専門僧堂の休止について|お知らせ|松渓山 智源寺 - 曹洞宗 専門僧堂|京都府宮津市 (chigenji.com) から

そうです。この休止に至る経緯の一部を現場で私は体感したのです。

私は、2023年の11月15日から、3年間の予定で、修行するために、この禅宗の寺に入山しました。

こういう決断をしたのは、この二つのいきさつがあるからです。

もともと、仏教に興味を持っていた私は、自分の人生を見つめ直すために、ガッツリとその為の時間をつくろうと思ったのです。

47歳でも、お受け容れします! と言ってもらった修行道場。

母の死後、私は、47歳という年齢でも受け入れてもらえる、禅道場があるのか探し、インターネットでその修行道場を見つけ、コンタクトを取りました。

メールのやり取りをした上で、直接、そのお寺に伺いました。

そのお寺は、日本最大の仏教宗派の公式な認可を貰っている修行道場です(「専門僧堂」という言い方をしますね)。江戸時代からの修行道場としての伝統を誇っています。

簡単に言えば、3年間の修行に耐えられるのであれば、お受け容れ致します。ということでした。3年経てば、住職になる実力も見につくし、実際に、住職になった方もいます。とのことでした。
とはいっても、口約束だけでは、途中で辞められると経費的な損が生じてしまうので、

  • 30万円の保証金を納めてもらう。(3年の修行を終えたら、返還する)
  • 誓約書と身元保証書を提出してもらう

という条件で、お受け容れいただくということでした。それ以外の経費負担は発生しないし、実際に今まで、50代・60代の修行僧もいらっしゃったとのことで、覚悟を決めて、入山をしたのです。

入山直前には、私は、こんなXも残しています。

私の入山当時、4人の先輩修行僧がそこにいらっしゃいました。そして、その他にお受け容れくださった堂長(修行道場のことを「僧堂」ということから、その長を「堂長」と呼びます。)さまや、そのほか修行道場の運営を担う役寮(道場の役員:周辺のお寺の住職で、道場の運営と修行僧の指導に当たる)が入れ替わり立ち代わり、お寺に来ていました。そして、堂長の寺族(※住職のご家族)もよく、お寺に来ていました。

お寺への入山後、数日後に来た、「本庁からの聞き取り調査」

ある程度の厳しさは覚悟の上でした。一心不乱に修行に打ち込む意気込みを持っていました。
ですが、やっぱり何か様子がおかしいのです。先輩修行僧から「この数か月、何があったか、原田さんに伝えたくても、複雑すぎて、伝えられない」などの、仄めかしをたびたび言われました。

そこに、突然、「本庁からの聞き取り調査」が来るという予定になっていて・・・・、なんのことやらわからず、その日を過ごしていましたが・・・・・、堂長も奥様も、役寮の方々も、先輩修行僧の方々も全員聞き取りをされていました。
聞くと、本庁からの方々は、行政部門ナンバー3クラスの方、人権担当の方・・・など、かなりのトップクラスの方とのこと。ただならぬ状況であることであることは、肌で痛烈に伝わります。
実際、本庁の方々のために用意した部屋の前を所用で通ると、中から「バン!」と襖を開けて、誰が通ったのか確認するほどの警戒ぶりでした。

私も、ハラスメント防止のコンサルタントしていましたし、個人相談対応なんかも1000件以上していましたから、大きな組織のトップクラスが来て、これほどの警戒感をもつことが何を意味するのか、直感で分かりました。

パワハラやセクハラの相談を無料で行っています。 - 職場環境改善工房のハラスメント対応個人部門

パワハラやセクハラの相談を無料で行っています。私たちの相談の特徴は「会社もハラスメントを受けた人も良くする!」という目的で行っていることです。 ですから、個人様…

※ちなみに言うと、修行が続いていれば、このサイトは2024年の2月には自然と消滅する予定でした。

それは・・・・本庁として、組織全体としてかなり厳しい処断を、このお寺に対してする最終段階に来ている! ということです。

先輩修行僧から教えていただいた、このお寺の直近1年の修行道場としての実態

この「本庁からの聞き取り調査」の数日後・・・・先輩修行僧から、直近1年で何が起きていたのか、教えていただきました。この段階において、私自身が知っておかなくてはいけないことだと思ったからとのことです。本当にありがたいことです。

その教えていただいた内容について、ここで話すことは、できません。それに、私が直接見たことではないので、正確性に欠けますから、言うべきではないと思います。
ただ、そうであっても、その内容は、1000件以上のハラスメント相談対応してきた私でさえも、今まで聞いたことが無い「超ハイパーハラスメント状態」が起こっていたと断言せざるを得ないほどです。「修行の厳しさ」を遥かに超えた、理不尽に理不尽が重なった凄惨な状況が生まれていたと言えます。

多くの先輩修行僧が、そのために、辞めていきました。違法すぎる状況を何とかしようと、勇気を出して何度も告発した方もいらっしゃいます。
あまりの理不尽に耐えかねて、突発的に、やってはいけないことをしてしまった修行僧の方もいらっしゃいました。

本庁の人間が来て調査をするのも、はじめてではなく、何回にも及んでいるとのことでした。

表だってのハラスメントは無かったが・・・・・

私が目撃した本庁からの聞き取り調査は、一番最後とのことでした。おそらく、この年の12月半ばには何らかの処分が出るだろう・・・というのが、当時のお寺における雰囲気でした。

そのため、その当時は、表立ってのハラスメント行為というのはありませんでした。
・・・そりゃそうでしょう。本庁(東京)からわざわざ出向いてきて、聞き取り調査して、その際に何らかの注意喚起もあったはずです。そんな中で、堂々とハラスメントと思われるような行為なんてできるわけがないのです。

しかし、その中で、事件が発生します。
寺の寺族(お寺の住職の家族。この場合は禅師さまのご家族)が、修行僧にお金を請求して払わせたことです。
名目は、修行の一環としてその修行僧だけに受講させた習い事(生け花・書道・茶道の類)の受講料です。
しかも、そのお金の支払いの現場を私は見ました・・・・・

「ここまで、感覚が麻痺しているのかあ・・・・・」

いままで、多くのハラスメント事例を見てきましたが、厳しい調査が入っても、こういうことを堂々と展開している人たちを初めて見ました。

そして、私に対する事件は起こった・・・・堂長から突然言われた「寺から出ていきなさい」という命令。

そして、私に対する直接の事件が起きました。11月29日のことです。

その日の午前中に役寮の方に呼び出されました。部屋に行くと、他に堂長さまと一番古参の修行僧の方がいらっしゃいました。

堂長が私に言いました。(その時に、私に言ったことを、まとめるとこうなります。)

「今朝、本庁から電話があった。原田くん、本庁に電話したのか? いや、電話したかどうかはどうでも良い。その電話の内容は、原田くんが正坐で苦しんでいるから対応しなさい!と言ったものだった。本庁がそんな詳しいことを知っているわけが無い。つまり、誰かが、本庁に電話したんだ。 正坐のことで電話したのは、原田くんしか考えられない。本庁に電話するなんて、もってのほか! そんな疑いがかかる人間をここに置いておくわけにはいかない! 保証金の30万円はお返しするから、2~3日のうちに、このお寺から出ていきなさい!

・・・・私は率直に思いました。「あ~ 自分の保身を図るために、理由をつけて、正当化したんだなあ~ それにしても、なんと稚拙な理由付けなんだ!」
あまりにも根拠のない一方的な思い込みを理由として権力(パワー)を行使して 修行者を追い出す(ハラスメント)堂長の姿がここにはありました。
もともと、私は膝が固すぎて、正坐がかなり苦痛であったのは、確かです。ただ、それをこのようにこじつけしてきたのが、びっくりでした! 「本庁への電話?」何のことやらです。ただ、現状から言えば、私を追い出そうとする動きが近いうちに出て来るだろうな・・・と感じていたのも確かです。
ただ、幸いにも、一番の懸念だった保証金30万円の返還を堂長から提案してもらったので、私はお寺をでることにしました。

そして、11月30日に下山したのです。(ちゃんと30万円は還してもらいました。)
※下山とは、お寺を出ることを言います。

私の修行期間は、たった15日で終わってしまいました。

下山後、私は、本庁に文書(書面捺印入り)を送った。

私は、下山後に私に対して起こった事実と、私自身の想いを、本庁にあてて、署名捺印入りの文書を送りました。寺やその宗派に何かを請求する!ということではありません。

新たな事実が発生したことに対して、このお寺とこの宗派がよりよくなる一助になれば!という想いもあったからです。

その内容は、大まかに言えば、次のようなことです。

  • 11月29日に私は、堂長から、「出ていけ!」と命令され、僧堂を出ていかざるをえなくなったこと。
    • この命令後、私は堂長から、人生否定につながる言動を受け続けたこと。
  • 保証金として、私が智源寺? 堂長個人?に預けていた30万円の扱いに対する疑義
  • 堂監(僧堂のナンバー2)さんと私が1対1で、話をしたこと。
  • 先輩修行僧Aさんが、生け花受講料の18500円を堂長の寺族に払ったことを、私が目撃したこと。
    ※寺族というのは、お寺の住職の家族のことを言います。
  • この件に関する、当事者としての私の心情・想い

書面の具体的な内容を公開します。

では、具体的な内容は、どのようなものだったのでしょうか。実際に本庁に送った書面の一部を、個人情報が特定できないように配慮した上で、公開します。

  1. 11月29日に、堂長氏から、「出ていけ!」と命令され、僧堂を出ていかざるをえなくなったこと。
    私は、11月29日に堂長氏から、呼び出しを受けました。書院の間(智源寺)に伺うと、そこには、監事さん 雲水のBさんも同席していました。
    そこで、堂長氏から、私が言われたのは、要約すると次の通りです。

    ⅰ 今朝、本庁から電話があった。
    ⅱ 原田くんが参禅者として智源寺にいること、正坐のことで苦しんでいることなど、本庁が本来知る由も無い様な話だった。
    ⅲ これは、原田くんが本庁に電話したからに違いない。本庁に電話するなど、もっての他、そのような疑いがかかるものをここに置いていくわけにはいかない。
    ⅳ 保証金の30万円をお返しするから、この2~3日のうちに出ていきなさい。このことは、この2人(監事さん 雲水のBさんのこと)を証人とする

    というものでした。私は、それに従わざるを得ず、その翌日の11月30日午前中に智源寺を出て、今、愛知県の家に戻ってきています。

    1. この命令直後から下山時まで、堂長氏から、私の人生否定につながる言動を受け続けたこと。
      この命令の直後から、堂長氏は、私の人格を否定する言動を多用するようになってきました。その中でも一番多く使っていたのが、「(人生)怠けてきた」という言葉です。例えば、このようなことがありました。

      例1 正坐で私が苦しんでいるのを見て、堂長氏は「正坐する努力をしないで、お前は怠けようとしてるんだ。お前の全ての人生、怠けてきたんだ」と言った。

      例2 11月30日、応量器の布や作務衣を洗濯機で洗濯していると、そこに堂長氏が現れ、洗濯機の使い方をダメ出しされたうえで、「だから、お前は、人生怠けてきたんだなあ」と私に言った。

      という具合でした。
      それ以外にも、正直、人生否定だな!と感じた言動は多々ありましたが、ここではそれを全て申し上げることはしません。私は反論せず、ただ耐えてきました。

  2. 保証金として、私が智源寺? 堂長氏個人?に預けていた30万円の扱いに対する疑念
    上記1、において堂長氏から、預けていた保証金30万円の返還の提案を受け、実際に返還を受けました。なので、この件に関して私が経済的不利益を被ったとは思っていません。
    しかし、その預入や返還のやり取りなどを通して、堂長氏が全ての雲水から預かっている30万円の取り扱いについて、疑念が生じたので、あえて申し上げます。

    1. 保証金30万円の性格。
      この保証金30万円は、私も含めて全ての雲水が「誓約書」(添付資料1)「身元保証書」(添付資料2)に署名捺印をした上で、智源寺に納めています。そして、預り証(添付資料3)を堂長氏からいただいています。このことは、他の雲水の方からも同様だと直接聞いたので、間違いないと思います。
      その保証金の性格は、誓約書や預り証の内容から、次のように要約されます。

      保証金の性格
      1 入山日から、3年間(参禅期間を含む)30万円を保証金として智源寺に預ける。そして、3年間の修行期間ののち、返却する。
      2 法令や社会常識に反する行為をしない、金銭トラブルを起こさない、虐めをしない、智源寺の規則に従う、ことを固く誓約する
      3 上記2の遵守事項を破った場合、保証金30万円全額が没収されることに同意する。

      そして、その保証金は次のように保管されています。(これは、私が堂長氏から、預り証を頂くときに直接目にしているものです。)

      保証金30万円の保管方法
      ・誓約書・身元保証書と預り証の複写、30万円を一つの封筒に入れる。
      ・智源寺内にある金庫で保管しておく

    1. 役寮が最近まで知らなかったという、この保証金30万円の存在。
      後述しますが、この一連の件について、11月30日の朝に、堂監さんと一対一でお話をしています。その中で堂監さんから出てきた発言の一つに、「この保証金の存在を、つい最近まで知らなかった」というものがありました。

      本来、金銭的なやりとりが僧堂と雲水若しくは参禅者との間に発生したのであれば、僧堂側は宗教法人として適切に会計処理し、然るべき役寮が把握しておくべきことは、当然だと思います。ここに私自身が感じた「私の預けた保証金、堂長氏は、適切に会計処理しているの?」という疑念が発生しています。

    1. それぞれの参禅者・雲水から預かった保証金30万円を、堂長氏は、「宗教法人 智源寺」の会計に適切に組み込んでいるのか?
      ここから、私の疑義は預り証に向けられます。通常、適切な会計処理をするためには、領収書のコピー等を整理・保管し、且つ、会計の帳簿に記載することが必要です。この場合は、預り証が領収書と言えます。
      預り証の複写を30万円と一緒に一つの封筒に入れて、金庫に入れてしまえば、適切に会計処理をしたとは言えません。帳簿記載を裏付ける書面が存在しないことになるからです。むしろ、誓約書の内容も含め、堂長氏個人の一存で、没収されてしまう30万円という性格になってしまいます。
      私は、運よく保証金30万円を返却してもらいましたが、今まで、不本意に智源寺から去っていった先輩雲水の方々には、不適切な会計処理を通じて、事実上、保証金30万円を堂長氏個人に没収されてしまった方も多いのではないかと推察しています。

  3. 堂監さんと私が1対1で、話をしたこと。
    11月30日の午前中に私は、堂監さんに呼び出され、講師寮と呼ばれる部屋で1対1で話をしました。堂監さんが私に話したことを要約すると、次のような主旨でした。
    ・本音で話をしたい。
    ・昨日、本庁から電話があった。皆が原田さんが電話したんじゃないか?と疑っている。原田さんがそれを否定すると、僧堂内で互いに疑心暗鬼が起こるので、正直に話してほしい。このことは、誰にも話さないから。
    ・正坐の件、どういうところが強制だと感じたの?
    ・保証金30万円の件は、私も最近はじめて知った。おかしいと思っている。
    ・先輩修行僧A氏が堂長の寺族さんにお金を払う件は、私たちもおかしいと思っている。
    ・これ以上、この件について、本庁も含めて、外に話をしないでほしい。これから、私たちが僧堂を立て直そうとしているので、原田さんが、本庁に話をすると、こちらが混乱して、立て直すにも、立て直しが効かなくなってしまう。

  4. 先輩修行僧A氏は、生け花受講料の18500円を堂長の寺族に払ったことを、私が目撃したこと。
    11月29日の午前中、先輩修行僧A氏が生け花受講代の18500円を堂長の寺族氏に払っているのを私は、目撃しました。ちなみに、A氏が生け花を受講したのは、この日の午後です。
    ちなみに、このお金を堂長の寺族氏が適切に会計処理したかどうかまでは、分かりません。

  5. この件に関する、当事者としての私の心情・想い
    最後に、この告発に至った、私の心情や想いを述べさせてください。

    1. 出家・僧侶を志そうと思ったのは、母が膵臓癌ステージⅣになり、その死まで自宅で私が看病をしたことがきっかけ。
      私が、この度、智源寺に参禅者としていたのは、出家・僧侶を志そうとしたからです。
      そのきっかけは、昨年の12月12日に母(当時80歳)の膵臓癌ステージⅣが見つかり、今年6月22日に亡くなるまで、自宅で私が看取った経験からです。
      膵臓癌でステージⅣ(つまり、多臓器に転移が認められる状態)で、80歳となると、抗がん剤治療も体力の問題でできません。しかも、膵臓癌ステージⅣとなると、余命数ヶ月というのが実情です。
      私が母にできる残された選択肢として、①癌による痛みを最大限取り除き、②最後まで穏やかに人間らしく生きていく環境をつくること、しかありませんでした。私はその環境をつくって、母を最期まで人間らしくいさせよう=幸せに死ぬことを実現していこう!と決意いたしました。そこでの経験・体験が出家・僧侶を志そうと強く思った直接の動機になったのです。

      実際に、私は自分の仕事を投げうって、母との最後の6か月間を、母の命と向き合うために使いました。(当時の自宅は、母以外に私だけが同居していました。)そこには、今までに経験できなかった幸せな瞬間が無限大にありました。と同時に、死に向かうという生というところでは、計り知れない苦しみもそこにはありました。
      ただ、一つだけ言えるのは、死へと向かっていく生命が生きていくことの尊さと輝きを実感したのです。死へと向かって刻々と弱っていく体に投げかける言葉に、慈愛がこもらなければ、安心をつくれないことも体験しました。
      どんなに苦しくても、慈愛ある言葉・コミュニケーションを投げかける続けることが、どれだけ安心感をつくり、死に行く命を活き活きと輝かせ続けることができるか!!ということも実感しました。

      1. 母の死の数日前に起こった、忘れられないエピソード「たった3粒の米粒」
        この間の母との思い出には枚挙がありませんが、「死に行く命が活き活きと輝いた」エピソードの中で、一番忘れられないものがありますので、紹介させてください。今でも、思い出すと涙が溢れます。現に、このことをタイピングしようとするだけでも涙が溢れますが、ここに私の想いがありますので、是非紹介したく思います。

        それは、母が亡くなる3日か4日前のことだったと思います。その時、母は自力で食べ物を摂取することができなくなっており、一日一回の点滴(約2時間)によって、栄養を摂取している状態でした。
        そんな中、母は、たどたどしい言葉で私に「ご飯が食べたい」と言いました。その時、水を飲ませることも覚束ない状況でしたが、私は少しでも母の望みを叶えたいと思いました。
        私は、ご飯をまずは、スプーンにのせて母の口に入れようとしました。しかし、上手く入りません。それだけ、口も開かない状況だったのです。
        そこで私は、たった3粒の米粒を箸の先端につまんで、母の口の左端あたりから入れました(※なぜ、口の左端からかというと、当時、母は右向きに寝そべっていたからです。お釈迦様が亡くなられた時と同じ向きですが、この向きしか安定しないのです。実際、母は亡くなったときも、お釈迦さまと同じ右向きに寝た状態のまま、亡くなりました。)。すると、3つの米粒は口の中に入り、舌のところまで達したのでしょう。そのご飯の感触を感じて、母は、その今にも命果てようとする体で、こんなにエネルギーのある声が出るのか!!と思うほど、実感をこもって、こう言ったのです。「気持ちいいー」と。死に行く命が光り輝いた瞬間がそこにはありました。

        これが、母が自分の人生の中で、最後に食べたご飯になりました。でも、私は、これが母の人生の中で、一番最高で、かけがえのない幸福感を感じた食事だったと思っています。それを口に入れることができたのは、息子としての私の最高の幸せの瞬間でもあるのだと断言できます。

    1. 私は、ただ、一心不乱に3年間、修行に打ち込みたかっただけ
      母が6月22日に亡くなった後、私は、47歳だが、仏道修行できないか?と思い。 インターネットで智源寺のホームページにたどり着き、コンタクトを取りました。はじめて、智源寺にコンタクトを取ったのは、7月の終わりごろだと思います。
      母と向き合った6か月を糧に、自分を高めて生きていこうと決意したからです。その中で、私はもともと仏教に惹かれていて、自分なりに仏教の勉強をしていたこともあります。
      8月23日には、実際に智源寺を訪ね、直接話を聞きました。その後、母の死後の身辺整理を済ませ、11月15日に智源寺に参禅者として入山いたしました。

      私は、ただ3年間、一心不乱に修行に打ち込みたかっただけです。しかし、智源寺は、とてもではないが、一心不乱に修行できる道場ではないことに気づくのに、1週間もかかりませんでした。先輩雲水から、以前のことを聞き、そして、貴宗の本庁から聞き込み調査が入ったことを体験すれば、智源寺に対して直近に専門僧堂としての厳しい処分が下ることは容易に想像できます。実際に現場の士気はかなり低下したうえでピリピリした雰囲気でした。先輩雲水には「ラストシーズン」とか言いながら、智源寺が専門僧堂でなくなり、一刻も早く寺を離れることを望んでいる人もいました。
      3年後も智源寺が専門僧堂である可能性が、ほとんど無いと感じる状況で、私はとてもではないが、ここでは3年間も修行できる現実性は0%に近い!と思いつつありました。

      それでも、私は、自分の良心に従って、智源寺で起こったことを貴宗本庁に告発することにしました。
      違法行為と疑わしきことに気づくことは、問題の本質に食い込んで根本的に解決していく道筋を発見し、実践していく早道になるからです。(私は、母の膵臓癌発覚までは、ハラスメント防止のコンサルタントをしていました。企業コンサルだけでなく、1500件以上の個人相談の対応もしています。その中には、人の命が奪われたりするような事例もあり、実際にニュースになったものもあります。場合によっては、裁判戦略を立案し、立証の手助けもしてまいりました。 実は、この文書自体も、そのノウハウを駆使して、貴宗がこの智源寺問題に関わる事実関係をより把握できるような配慮を最大限にしています。)
      私は、私自身の苦しみから逃げず、問題解決の手助けという慈愛を施すことは、菩提心にかなうものだと思っています。 それがこの告発の動機です。

  6. 結語
    私は、この文書をもって、貴宗や智源寺に対して、何か見返りを求めるものではありません。私が私自身に誓った生き方と菩提心にかけて、貴宗が抱えている専門僧堂の問題が解決し、より良い方向に向かっていくことを願っているだけです。
    そして、この困難な時代の中でも、より慈愛心に溢れた僧侶が貴宗から出て来るよう、切に願っています。
私が、2023年の12月初旬に本庁に署名捺印入りで送った文書 から(※但し、個人名等、個人情報が特定できる部分に関しては、修正)

下山できて、結果的に良かったこと

私にとって、かなりの危険な状況ではあったのですが、早く下山できたことで、以下の2点においては、良かったなと思っています。

  • 得度しなかったこと=堂長と師弟関係にはなっていない。
    ※得度するとは、出家するということです。得度式という儀式が行われます。
    得度式が済むと、その宗派に「僧籍」が登録されます。
  • 保証金30万円を還してもらったこと。

なぜ、良かったのか、それぞれ伝えますね。

私が得度しなかったことのメリット

得度をするというのは、出家するのと同時に、師匠と師弟関係を結ぶということです。仏教界・・・一度得度するとめんどいところがあります。いろんなところで、この師匠の許可が必要になってくる場面があるのです。

もし、私が得度をした後に、追い出されていたら・・・・・ 仏教の新たな勉強をしたくても、この得度をした事実が大きな足かせになる可能性はあるのです。 得度せず、誰とも師弟関係を結んでいない以上、新たに他の修行道場に行く自由も残されています。

ちなみに、このお寺では、入山して約1か月後に得度式を行うのが通例でした。

保証金30万円を還してもらったこと。

実は、この件で、私が一番懸念していたのは、保証金30万円が還ってこない可能性が高いことでした。

ネックだったのは、私がお寺の提出した「誓約書」の存在。このような内容だったのです。

「誓約書」の内容

  • 3年間、保証金として金30萬圓を寺に預ける。
  • ①窃盗・暴行・違法薬物使用・アルコール依存 その他法令や社会常識に反する行為をしないこと
    ②借金等の金銭トラブルを起こさないこと
    ③お寺の中での虐め等の人間関係のトラブルを起こさないこと。
    ④お寺の規則や決め事に従うこと
    ⑤その他お寺の指示に従って生活すること
    を、固く誓約する
  • 私は、前項①~⑤の遵守事項を破った場合、保証金30萬圓全額が没収されることに同意し、その返還を求めないことを約束する
  • 私の健康状態に問題が生じたり、①~⑤の遵守事項を破るなどして、修行の継続がふさわしくないとお寺が認めた場合、お寺の指示に従い、下山することに同意する

この内容の場合、堂長はこの誓約書にこじつけて、30万円は還さない!と強行する可能性が高かったと言えるのです。こういうケースは、私がハラスメントの相談対応してきた中でも、かなりありました。

でも、堂長は、自分から30万円の返還を申し出たのです。推測ですが、私を置いておくと、(堂長にとって)さらに状況が悪化するリスクを感じたのでしょう。30万円を戻して、一日も早く私を追い出そうとしたのだと思います。

下山後に、私が本庁に署名捺印入り文書を送った理由

下山後に私は、この宗派の本庁に署名捺印入りの文書を郵送で送りました。

なぜ、この行動に出たのか!!
率直に言えば、ハラスメント対応を1000件以上、やってきたプライドです。

本庁が調査に来て、かなりの注意指導しているはずなのに、その後でも、形を変えてハラスメントを堂々と展開した状況を黙っては見ておられん!! という一点だけです。
※ちなみに、この場合の「ハラスメント」とは、何らかの不法行為に該当するような行為を言います。

状況が状況だけに、あらたなハラスメントが起こったとなると、本庁の目が更に厳しくなるのは必定です。

それに、私のハラスメント対応の一番の得意技は、「組織を動かしてしまう書面づくり」なんですよね~

もう既に、私としては、取り返せるものは取り返せたので、後は、自分の持つノウハウを駆使するだけです。
「それがたった一回の文書を送るだけ」だったら、お安い御用です。
率直に言って、このお寺は、この人権重視・コンプライアンス重視の時代に修行道場として存続してはいけないし、仮に存続しても、その再生の道はかなり茨にならなければいけないと思います。

それに、このお寺が所属する宗派の人権部門は、ものすごく信頼していい!! と思ったのです。
私もいろいろと「人権・平和・環境」に関する活動に大なり小なり関わってきましたが、この宗派が出している人権に関する声明は、恐ろしいほどの自己反省に立ち、今と未来へとつなげていく素晴らしいものです。
かなりの組織としての積み重ねが無いと、こんなことはできない!と感動するぐらいです。

それに、修行道場の運営の問題が生じた時、この宗派は、全国で26あった専門僧堂を一度閉鎖し、再認可が通った17の専門僧堂の再開を許した経緯があります。これだけ厳しい対応もできるところなら、事実を文書としてお伝えしたら、何らかの対応をせざるを得ないと思うからです。

それに、この専門僧堂だけではなく、過去にはこの専門僧堂と同じ宗派の禅宗の専門僧堂で、暴力沙汰になって大問題となった事例もありました。

多くの苦しみを超えて、今の時代に合う、修験道場をつくろう!という本庁の意志を私自身は、現場にいながら、感じていました。

問題は問題として直視して解決していく・・・・・、それこそが一番大事。黙っていては、何の問題解決にもなりません。その解決の一助と思い、今回、本庁の方に直接、文書を送ったのです。

結果的に、専門僧堂は「休止」となったが…(まとめ)

結果的には、このお寺は、「休止」と銘打って、自ら専門僧堂をやめることを公言しました。
しかし、その文面には、僧堂内の問題に対して、向き合おうとしない姿勢が垣間見れます。

とてもでは無いのですが、「出家希望者の修行に対する考え方と僧堂側の指導方針の相違、出家希望者の減少など」が休止に至った問題の本質ではないのです。
少なくとも、私が体験したことから言えば、

「修行を逸脱した、僧堂側の修行僧に対する、不法行為や安全配慮義務違反の積み重なり」に、未だに向き合っていない!

ということが、問題の本質なのだと思います。そこに気づいて、強く自制し、改善していかないと、仮にこのお寺で出家して、一時期的に修行したとしても、問題を引き起こすのではないでしょうか。

それに、「僧堂側の指導方針の相違」と言いますが、宗派から専門僧堂の認定を貰っている以上、僧堂の規則をキチンと守って運営することは、当たり前のことです。
しかし、この僧堂は、「専門僧堂 規則」を制定し、それを寺内に開示していたにもかかわらず、それに沿った運営(特に意思決定手続き)はされていないことも分かっています。
堂長が「専門僧堂 規則」に則った手続きを経ず、一方的な見解に基づいて、私を追い出したこと自体、本来は違法なのです。(この件は、少なくとも、「専門僧堂 規則」に定めた手続きに則って、僧堂の役員会議にかけて、役員会議の意志として決定しなければならない。)
正直言って、「僧堂側の指導方針の相違」で済ましているうちは、この僧堂は専門僧堂としての復活はしてはならないと思っています。

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