日本維新の会は、まともなのか? 2023年7月24日に思ったこと。

スライド1
春日井市在住です。
スライド2
プレゼンテーション1
previous arrow
next arrow

私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

目次

馬場代表の発言からみる、日本維新の会の本質。

今日は、維新の馬場代表の発言から、日本維新の会の本質が見えてきそうなので、そのことについて、記したいと思います。

NHKでのニュースから

2023年7月23日に、維新、馬場代表の発言がニュースになりました。

維新 馬場代表「第1自民党と第2自民党が改革競い合うべき」 | NHK | 選挙


維新 馬場代表「第1自民党と第2自民党が改革競い合うべき」

2023年7月23日 18時36分 選挙

日本維新の会の馬場代表は、立憲民主党との連携について「未来永劫ない」と否定したうえで、「第1自民党と第2自民党が改革合戦をして国家・国民のために競い合うべきだ」と述べ、自民党と維新の会が政権の座をかけて争うべきだと強調しました。

日本維新の会の馬場代表は、インターネット番組「ABEMA的ニュースショー」に出演しました。

この中で目指すべき政治状況について、「われわれが目指しているのはアメリカのような二大政党制だ。立憲民主党はカラスを白と言う人と黒と言う人が一緒にひとかたまりになるという主張だが、われわれは黒と言う人だけで集まり、自民党と対決していく」と述べました。

そのうえで、立憲民主党との連携について「未来永劫なく、やるかやられるかだ」と述べ、否定しました。

そして、「第1自民党と第2自民党が改革合戦をして国家・国民のために競い合うことが、政治をよくしていくことにつながる」と述べ、自民党と維新の会が政権の座をかけて争うべきだと強調しました。

また馬場氏は、共産党について「日本から無くなったらいい政党で、言っていることが世の中ではありえない。空想の世界をつくることを真剣に真面目に考えている人たちだ」と批判しました。

立民 泉代表 維新との連携「未来永劫ないだろう」

立憲民主党の泉代表は、高知市内で記者団に対し「日本維新の会は、党名を『第2自民党』に変えるとよりわかりやすいのではないか。どんどん『第2自民党』を名乗り、頑張ってもらえればと思う」と述べました。

そのうえで、日本維新の会との連携について「未来永劫ないだろう」と述べたうえで、次の衆議院選挙に向けた候補者調整については「相手があってのことで、相手に全くやる気がなく自民党をサポートし、自民党と戦う気がないということであれば協力のしようがない」と述べました。

維新 馬場代表の発言を簡単に分析をすると・・・・

このニュースから、馬場代表の発言を簡単に分析してみると・・・・・

  1. 維新自らを『第2自民党』となぞらえている。
  2. 立憲民主党のことを「カラスを白と言う人と黒と言う人が一緒にひとかたまりになるという主張」をする集団としている。
  3. 日本共産党のことを「日本から無くなったらいい政党で、言っていることが世の中ではありえない。空想の世界をつくることを真剣に真面目に考えている人たちだ」としている

と、要旨をまとめることができると思います。では、ここから見えてくる、日本維新の会の本質はどこにあるのでしょうか?

1⃣ 維新自らを『第2自民党』となぞらえている。

この発言では、自分たちを第2自民党となぞらえられても、否定をしない傾向があることを示しています。

自民党にとって代わる自民党が維新なのだということです・・・・・

また、『自民党と対決していく』という言葉が示すように、自民党と対決する自民党が維新なのだと言っているだとも取れます。

国民に分かりにくくても、権力を取りに行くという点で『なんとなくやっているなあ・・・』と感じさせることが、票につながることを体得し始めたのでしょう。
国民の低い政治意識の中で『やっている感』を浸透させれば、地道に勢力は拡大することを知っているのです。

2⃣ 立憲民主党のことを「カラスを白と言う人と黒と言う人が一緒にひとかたまりになるという主張」をする集団としている。

多様な意見を集約させて、一つの主張として展開していくのは、別に悪いことではありません。これは、自民党のお家芸でもありますし、多様な考えが党内に内包されているのは、民主主義の制度化における政党のあり方にとっては、問題とはならないと思います。

民主主義制度化の政党は「カラスを白という人と、カラスを黒と言う人の意見を取りまとめて、一つの主張としていく」のは、当然だと思います。

ですが、馬場代表はこれを、批判しているわけです。それは、「(維新は)黒と言う人だけで集まり、・・・・」と比較しているところからも明らかです。

黒を黒という人だけで集まるというのは、一つの物事を一方的な見方だけで捉える人ばかりの集団ということでしょう。この言葉からは、維新の会は「多様な考え方を認め、集約させる考え方ではない(少なくとも、意見は言わせて、内々で、場合によっては、表立って排除していく考え)」ように感じます。

3⃣ 日本共産党のことを「日本から無くなったらいい政党で、言っていることが世の中ではありえない。空想の世界をつくることを真剣に真面目に考えている人たちだ」としている

自分たちの、住みたい世界を描き、それに向かって、邁進していくことは、政治によって世界を良くしていきたいと思っているものにとっては、基本中の基本だと思います。

日本共産党さんは、日本共産党綱領 の中で、「自分たちの、住みたい世界」明確にしています。

具体的には、以下の部分でしょう。

  • 社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。
  •  さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。「社会主義」の名のもとに、特定の政党に「指導」政党としての特権を与えたり、特定の世界観を「国定の哲学」と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。
  •  社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
  •  人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。
日本共産党綱領|党紹介│日本共産党中央委員会 (jcp.or.jp) より

ここをまとめると、日本共産党が目指す、住みたい社会とは、以下のようになると思います。

  • 人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公である=国民が主人公
    ⇒(その前提として、)民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる社会=搾取の自由が制限され、ついには、搾取が無くなる(廃止される)社会
  • さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される社会。
  • (究極のところ)原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会

実際に実現できるかどうかはともかくとして、ここを日本共産党は目指しているわけです。
私自身は、これを日本共産党が目指す「それぞれの自分らしさが連なった、無限大の幸福を生み出す社会」なのだと思っています。

要は、維新の馬場代表は、この日本共産党の目指す社会を「世の中であり得ない」と言っているわけです。となると、ここに日本維新の会が目指す社会の本質が見えてくると、私は考えます。

日本維新の会の目指す社会像の本当のところは、おそらく、こうだろう。
※維新代表、馬場さんの発言をはらだよしひろなりに、分析した結果

  • 国民が社会の主人公でない社会
  • さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は保障されない社会。
  • ・国家権力によって強制される社会
    ・人間によって人間が搾取される社会
    ・抑圧も戦争もあって、不平等で不自由な人間関係からなる共同社会

ただ、このような建前は表に出すことはできませんから、維新は、これから、より強権的な政治スタイルになっていくのは、容易に想像できます。

日本維新の会は、まともな本質を持っているのか?

ここから、見えてくる、日本維新の会の本質は、以下のようになると思います。

日本維新の会の本質

国民が社会の主人公ではなく、さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は保障されず、国家権力によって(国民が)強制され、人間によって人間が搾取され抑圧も戦争もあって、不平等で不自由な人間関係からなる共同社会』を目指す、多様性を実質的に認めない第2自民党

これを「まとも」と言えるかどうかは、皆様の判断ですが、少なくとも、「自分らしく生きたい!」と願って行動している私にとっては、ここまで分析してみて、現段階では、全く応援できない政党であることは確かです。

補足 2023年8月1日 ニュースウィーク日本版の記事より。

その後、2023年7月31日に、ニューウィーク日本版から、維新の会の本質を突く、いい記事がでましたので、紹介します。

「第2自民党」を自認し、共産党はなくなっていいと言った日本維新の会・馬場伸幸代表から失われた「野党の矜持」

2023年07月31日(月)16時51分

馬場代表の発言はなぜ大問題なのか(6月28日、東京) REUTERS/Kim Kyung-Hoon

<議会制民主主義の下で、他党の存在を否定するのはもってのほかだが、第2自民党という主張にも国政の監視がおそろかになる危険性が垣間見える>

7月23日、日本維新の会の馬場伸幸代表がインターネット番組に出演し、日本維新の会は「第2自民党」ではないかという指摘を受けて、それを肯定し、第1、第2自民党が「改革合戦」を行ったらよいと述べた。またその際、日本共産党について「なくなったらいい政党。おっしゃっていることがこの世の中でありえない」と述べ、この発言が大きな問題となっている。

共産党について「なくなったらいい政党」と発言したことは、大きな波紋を呼んでいる。維新の会の馬場代表のこの発言に対し、共産党の小池書記局長は会見を開き、「民主主義を根本から否定する暴論だ」と厳しく抗議し、発言の撤回を求めたが、馬場代表は応じず、この発言は「信念」と述べたうえで、共産党は「破防法による調査団体」であることを指摘した。

筆者は以前、維新の会の「反共イデオロギー」を問題にしたことがあるがそこでも維新の会は共産党が「破防法による調査団体」であることに言及し、同党から批判を受けている。警察の主張を国政政党が鵜呑みにして特定の政党の排除を肯定するのは警察国家の始まりだ。従って「民主主義を根本から否定する暴論」という批判は基本的には正しいが、もう少し詳しい政治学的説明も必要かもしれない。

「無くなったらいい政党」はなぜ暴論か理由

人間誰しも、自分にとって大切な信念やアイデンティティがある。正しいと思った意見が通る世の中が望ましい。逆に、自分に害をなしたり、逆に自分の利益になること、あるいは社会的な正しさを遂行することを邪魔したりする人については、いなくなってほしいと思うのが人情というものだ。

しかし、そうしたホンネをみんなが公言してしまうと、政治は人々が互いの実存をかけてひたすら戦い続けるという、やるかやられるかの修羅の世界になってしまう。ドイツの法学者カール・シュミットが述べたように、「政治的なもの」の本質は実存をかけた戦いの中に宿っている。しかし、そうした生々しい力の世界で生きることに耐えられる人たちはそう多くない。そこで、存在論的な闘争をいったん止めるための政治システムが必要になる。そのシステムの一つが議会制民主主義なのだ。

議会制民主主義のもとでは、諸党派はお互いを批判しあい、ときには罵り合う。選挙運動も熾烈を極め、自分の党派を一議席でも増やし、相手の党派を一議席でも少なくすることに尽力する。ときには相手の議席をゼロにしようと支持者に訴えることもある。言論の府である国会でも、ときには文字通り体を張らねばならぬときもある。しかしそれらは全て、相手党派の存在論的な否定ではない。もちろん、ナチ党のような排外主義政党など、絶対的に否定されるべき政党は存在する。だがそのような例外を除けば、議会主義は様々な党派が並立することが前提となったシステムであり、それぞれの党派が持つイデオロギー的な立場の違いを超えた役割分担を受け入れなければ成り立たない。

たとえば与党は政府を形成し国政を担う。野党はそれをチェックし批判する。与党は野党に攻撃の隙を与えないよう公正な政治を行う責任があり、野党は「批判なき政治」すなわち独裁政治にならないように、与党が行う国政をしっかりと監視する責任がある。相手の存在をいったんは認めるからこそ、緊張感が生まれ、責任ある政治が生まれる。

ここでもし、相手を存在論的に否定することが許されるなら、政権与党は強権をもって反対党を弾圧し、反対党は政権与党に対して暴力をもって報復することが肯定されてしまうことになる。したがって議会制民主主義ではルールとして、相手の存在については相互保障する。馬場発言は、その議会制の根源的なルールを破ろうとするものだ。従って、これは「信念」の問題として片づけることはできない。馬場代表、そして日本維新の会の議会制民主主義に対する理解が問われているのだ。

「第2自民党」は詭弁

果たして馬場代表は、こうした議会制民主主義のシステムを理解しているのだろうか。ここで重要なのが、馬場代表がこのとき行った「第2自民党」発言だ。馬場党首は、維新の会を「第2自民党」と定義し、「第1」自民党との「改革合戦」を提示する。維新の会は日本社会の徹底的な改革を訴えており、「改革合戦」というビジョンも、従来の日本の議会制の在り方を変えようとする意図に基づいている。

「第2自民党」という言葉は日本政治に関する議論において。これまでも使われてきた。日本人の多くは保守的なのだから、中道右派と中道左派の政権交代は望めず、政権交代を起こしたければ中道保守同士で行うしかない。すなわち「第2自民党」をつくるしかないというものだ。

しかし「第2自民党」の試みは、これまで失敗し続けている。1990年代の新進党や2000年代前半の民主党、そして2010年代の希望の党は、いわば旧来の保守勢力に対して新自由主義的な保守勢力を糾合した「第2自民党」をつくる試みであったが、それらは無惨な結末を迎えている。「改革合戦」という維新のスローガンも、2000年代前半当時、小泉純一郎政権の新自由主義改革に対して、民主党が掲げていたそれを彷彿とさせる。

「第2自民党」の必要性が訴えられるとき問題なのは、野党が最優先で取り組むべき仕事なはずの、国政のチェックという役割が等閑視されてしまうことだ。馬場代表は、アメリカの二大政党制をモデルにしているという。しかしアメリカでは民主党も共和党も野党になれば国政を厳しくチェックし、その政策の問題点や不正について政府を激しく批判する。大統領のスキャンダルも追及している。政府を厳しく批判しない野党は、与党の補完勢力となってしまう。それが、これまでの「第2自民党」がことごとく失敗に終わった理由でもあるだろう。

一方で特定の政党を存在論的に否定しながら、他方で「第2自民党」を目指すという馬場発言は、行政府に対する立法府の役割を機能不全にさせかねない。これは信念の問題ではない。少なくとも「なくなったらいい政党」という言葉については、潔く撤回すべきだろう。

はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。

私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。

    お名前(必須)

    住所(少なくとも、市町村までは必須)

    メールアドレス(必須)

    電話番号(必須)

    URL

    ご用件(必須)

    お問い合わせ内容(できるだけ、詳しく)