自宅で看とるということは、「覚悟をもってやっていく」こと。2023年12月10日

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

ある記事を読みました。

この裁判・記事からも、自分の父母を自宅で看取りたい!という想いを持っている人は多いのではないのではないだろうかと、胸が痛くなるばかりです。

この記事がきっかけですが、私が母を最期まで家で看取ったように、最後まで幸せな状態で両親をいさせてあげたい! と思うことについて、考えてみたいと思います。

誰もが父母を最期まで「自宅で看取りたい!」と思っている。

私は、母を最期まで自宅で看取った経験を通して、誰もが自分の親には、幸せと実感できる環境の中で穏やかに死を迎えてほしい。という欲求を持っていると実感しています。

では、どれぐらいの人が、親を家で看取りたいと思っているのでしょうか。
実は、子が親を家で看取りたいかどうかというデーターは、見当たりません。

親の看取りは、看取られる「親」の視点で語られることが多いのです。
ですから、「親」の視点から、どこで、看取られたいか?というアンケート結果はあります。

あなたは、死期が迫っているとわかったときに、人生の最期をどこで迎えたいですか。

人生の最期の迎え方に関する全国調査結果 | 日本財団 (nippon-foundation.or.jp) から

看取られる側としては、6割の方が、自宅で亡くなりたいという希望を持っていることが分かります。

しかし、現実的に自宅で亡くなる!というのは、かなりハードルが高いのです。
私も経験しましたが、家で看取るというのは、介護する側の時間とパワーがかなり取られます。しかも、それを未経験の中から、やっていかなければいけないということです。

自宅での看取りは理想ではあるけれども、生活もあるし、生活のお金を稼ぐことも必要なので、現実には看取りに割く時間はどうしても限られてしまいます。

看取る側が、お金を稼ぐということを放棄しないと、自宅で看とることは難しいのです。
自宅で看とると言うことは、刻々と老いていく、衰弱していく親の肉体とリアルに向き合うことになります。

これは、頭では想像できないことです。死に行く肉体と向き合うことが、どれだけエネルギーを奪っていくものなのか、想像もつかないでしょう。

人は自分らしく死にたいと思っています。自分の家族の温もりを感じながら死んでいきたい!と思っているのです。 それは、厚生労働省の調査からでも明らかです。自宅で死にたいというのは、人間の欲求として当然のことなのだと思います。

厚生労働省 人生の最終段階における医療に関する意識調査 報告書 平成29年度版

しかし、実際には、そうはならないのが現状です。

家で看取りたくても、看取れない! 家で看取るのは負担が大きすぎるから、病院・施設に送る! という家族が多いのです。

ただ、それでも、できれば親を家で看取りたいというのは、心情としてあります。
ですから、親が亡くなった後で、親の看取りを後悔している人は、かなり多いのです。

そのことを紹介しているテレビ東京の記事があったので、紹介します。

この記事の中で、こんなQ&Aがありました。

親の看取りに後悔はありますか?
親の看取りに「後悔」4割。自分は子に看取られたい?専門家に聞く「死別」からの立ち直り方 | テレビ東京・BSテレ東の読んで見て感じるメディア テレ東プラス (tv-tokyo.co.jp) から

実に4割の方が明確に親の看取りを「後悔している」と自覚しています。 残りの方も、親の死という現実から無自覚に目を背けている可能性があります。

では、どんなことに後悔をしているのでしょう。

それは、様々です。親を喪った喪失感が、様々な後悔を生み出す・・・・・と言っても過言ではないでしょう。
実際に、後悔はいつまで経っても消えないこともあるのです。このページが、たくさんの遺族の方の看取りの後悔について、紹介していて、参考になります。

私の場合は、喪失感は、母の死後3ヶ月ぐらいで亡くなりました。母を自宅で幸せに死なせるぞ!という決心をし、自分の生業もほったらかしにして、母とつきっきりになったことが、功を奏したのでしょう。
全力で肌の触れ合うことをやった看取りの6か月が、自分の中のやりきった感につながり、納得しているからです。

全身全霊でやるから、看取りは後悔しない。

私自身の経験から言うと、看取りは、肌の触れ合いを多くすることが大事だということです。
そして、どういう看取りの為の環境を作っていくか! ということが大切です。

実は、私は母が膵臓癌ステージⅣが見つかって、母の看取りについて、以下の理念・指針を作りました。

母を幸せに死なせる指針

理念

母が幸せ実感をもって、死を迎える

指針

  • 【母が】自宅で生を終える。
  • 母に苦痛を感じさせない環境づくりに、邁進する。
  • 家族と母が、触れ合える状況をできるだけ多く創る
  • 母が余生を穏やかに過ごせる環境を創る。

家族が癌になったら。母がすい臓がんステージⅣになった経験から思うこと。 - はらだよしひろ(原田芳裕)のページ (pawaharasoudan.jp) から

つまり、私たち看取る家族が、母が幸せな日々を送れる環境を作っていく! ということです。

やっぱり、自分たちから親の幸せな死の環境を率先して作っていく!というのは、とても大事なのです。
そして、その覚悟というのも必要です。死というものは向き合いたくないもの。でも、死と向き合わないことは、苦しみを放置する無責任な態度に他なりません。無自覚に苦しみを放置すれば、後悔が来るのは当然の話なのです。

・・・・・でも、後悔するということは、愛情が体の感覚にしっかりと残っているということ。むしろ良いことだとも思います。ただ、その後悔をどうすれば、完了できるか分からないだけなのです。

一番良いのは、親と肌感覚で触れ合う時間をできるだけ多く作ること。
それでも、死後に後悔が残るのであれば、最後まで一生懸命生きたその方を、心の中でたくさん褒めてください。

結局のところ、看取りとは、生前も死後も、しっかりと「よくやったね」「頑張ったね」と褒めることなのですから。

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