【詩人choriの死去に寄せて】わが友へ送る、全力の言葉。

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

わが友、詩人choriが去る2024年8月20日に亡くなりました。

ここでも書いていましたが、父が翌21日に亡くなり、父の葬儀が行われていた24日、25日の日程の合間に、このニュースが飛び込んできました。

この10年ぐらい、彼には会っていませんでしたが、父が亡くなり、ようやく介護がひと段落つき、時間に余裕ができたら、choriに会いたいなあなんても思ってもいました。その矢先に彼の死去のニュース。さまざまな思いが去来いたしました。正直、父の死で精神的な負担が大きい時に、このニュースはキツかった。

詩人としてのちょりは、私だから感じ取れていた葛藤が言葉ににじみ出ていたと思います。その葛藤の部分を、この際だからこそ表に出して、「会いたかったぞ!バカヤロー」をツイッター上で表現しました。

彼への言葉をしっかりと私自身にも残しておきたいと思い、ここでも載せます。

ツイッターで遺したchoriへの言葉

実際のTwitterは↓です。

全文を、コチラでも載せます。

choriへ送った言葉

【心の中の大切な友の死】

父の葬式の最中にエックスを見てみたら、更なる悲しい知らせが・・・ いつも、その存在を心の中で気にかけていた9歳下の友、詩人chori=菊池明史が肺炎による急性呼吸不全で亡くなった。享年39歳9か月。

僕は、20代半ばから30代半ばぐらい詩を盛んに書いていた時期がある。その時に出会ったのが彼だった。

はじめは、当時盛んだったネット詩で。そしてリアルにはじめて会ったのは、名古屋の八事の喫茶店。当時、詩の知人が主催していたポエトリーリーディングのイベントではじめて会った。僕が27歳、そしてchoriが18歳の高校2年生(一年留年している)。そう、彼は高校生なのに言葉を求めて、詩を求めて、日本全国を巡っていた。京都の高校生、しかも、はじめて会ったその晩、私と彼はそのイベントの主催者の家に行って、飲み明かした。 彼は、少し空いた日本酒の一升瓶を「いやあ~、学校でこれちょっと飲んだんですけどね~」と差し出し、20歳超えた大人たちを飲ませた。それだけで、正直詩人だと思った。

当時、彼の姓は「千」だった。そう、彼の家は茶道の「裏千家」で、彼はその長男だった。そして、彼の母は、皇族から千家に嫁いだ方。 実は、僕は彼にリアルに会う前に、ネット上で堂々と名乗って彼を叩いたことがある。高校生の彼は、そのみずみずしい感性と、自分の生きたい生き方と、茶道の家元の長男であることと、母系が皇族であることの間で中途半端に揺れていた。それがネットの中にも出ていた。それをネット詩の世界で、僕はグサッと抉るように叩いたのだ。但し、叩くのも自分でルールを作り、自分が何者か、完全に分かるようにして叩いたのだ。
ハッキリ言ってしまえば、日本の超ハイパークラスのボンボンの中途半端なアイデンティティーかまってちゃんにぐうの音の出ないほどの楔を打ち込んだのだ。母が在日コリアンであり複雑なものを抱え込みながら、現在を必死に紡ぎだしてきた僕からすれば、その中途半端さがどうしても許せなかったのです。
今思えば、この堂々と名乗って叩いたことが、実際に会って、実際に酒を飲んだり、一緒にイベントやったりという、一種の連帯感が生まれたきっかけにもなったと思う。 ネット上で互いに意識し合い、実際に会ったら、友達になったという感覚だろうか。

彼の詩人としての感性は、ふわっとした掴みどころのない音と音の間に詩を滲ませて、五感で捉えさせようとするところがあったと思う。 でも、実際に接する彼は泥臭く人間であることを希求しているようなところを感じていました。生まれに誇りを持ちつつも、生まれに靠(もた)れることを拒み、自分らしい感性であり続けようとする姿は、あまりにも痛々しく感じていたのです。

でも、だからこそ、いつも思うが、彼ほど稀有な存在はいないと思います。これからも出会うことは無いでしょう。日本でトップクラスのヤンごと無き家柄の長男で、しかも、母親が元皇族で、ネット上で叩いた日にも関わらず、リアルに出会ったその日に高校生のくせに一升瓶の酒をもってきて、一緒に酒を酌み交わすなんて、小説でも漫画でもあり得ないストーリーです。

実は、はじめて会った日にchoriが私につけたあだ名があります。「総裁」です。この日以来、彼は私のことを「総裁」と呼び続けました。 そして、彼の名前「千明史」の「明史」の韓国語読みが「ミョンサ」であることを教えたのも私です。そして、「ミョンサ」について彼に対して思うところがあります。

彼は、裏千家を継がないことで、慣習により、苗字が千から菊池に代わりました。その時に、「明史」をミョンサと韓国語読みさせることで「キクチミョンサ」というネームで活動しはじめた。
「千」の苗字が「チ」に見えやすいところから使っていた「チヨリ=chori」のネームを一時期消していた時期があった。 そして、choriのネームを復活させた後においても、「キクチミョンサ」のネームも使い続けている。その証拠に実際に今でもXでのネーミングは、「chori a.k.a キクチミョンサ」です。

なぜ、ミョンサをネームに使い始めたのか、僕は直接、彼に聞いたことがありません。やはり、何か引っかかるものがある。 僕には、ここに、彼なりの「抗い」があるように思えるのです。
俺らしく生きるぞ!! という葛藤が、詩人という活動をしながらも、ネームから自分の出自や名前の痕跡を滲ませるところに繋がり、そして、彼独特の世界観や生き方に繋がっていったと思う。それ故に自らの命を削ってしまったところがある。俺には分かるぞ。

出会って、22年・・・・ 最近はなかなか会ってなかったけど、俺はいつでも、お前に会いたいと思っていたぞ!
今度会ったときは、酒を飲みながらでも良いけど、なぜ、「ミョンサ」を使ったのか聞いてみたかった・・・・
そして、お前が俺のこと「総裁」と呼んでくれるのをもう一度聞きたかったよ。息をするのが当たり前のように・・・・
安らかに眠れ、わが友choriよ。俺は、不器用なお前が大好きだぞ!

直接、連絡とってなかったからなあ・・・・ でも、今日だが、彼の携帯番号が今でも僕の携帯にメモリーされているのがわかって、少し涙が出た。偲ぶ会行きたいなあ・・・・ それがかなわなければ、お墓にこっそりお参りできないかなあ・・・・ なんて思ったりします。

少しでも、彼と心を通わせたい。

追加、choriの追悼アルバムが発売されます。

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