【参政党 試論】 「不安の共鳴」で支持を伸ばす政党の本質は「無責任な政治の実現」

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春日井市在住です。
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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

参政党の急激な台頭から考える 政治から考える「不安」

政治に対する不信感を考えたとき、私は率直に、

「政治が私たちの不安に応えていない」

ところに直結するのだろうと思います。

現在の参議院選挙のトピックが参政党の急な台頭にあることも、このことから説明できるかもしれません。

いわゆる排外主義的な思想を公然と主張し、SNSでそれが拡散され、急激に支持を増やしています。

社会に潜む不安を上手く刺激して、台頭してきたのが参政党と言えるでしょう。

それを、具体的にどう、刺激して来たのか。それを適切に上手く論評したのが、古谷経衡さんの、「参政党支持層の研究 」であると言えます。

参政党支持層の研究(古谷経衡) からみる、参政党台頭の時代的本質。

ここには、今回、参院選で参政党が急伸する根とも言うべき「古層」が見事に描かれています。それは、参政党台頭の時代的本質を表していると言っても過言ではありません。一文を紹介します。

すべてに無自覚な参政党支持たち (参政党支持層の研究(古谷経衡) から)

 彼らにとって「八紘一宇」という掛け声は、例えば「整理整頓」「節電節水」などと大して変わらないのではないかと私は思っている。そこにイデオロギー性は無い。

 なるほど確かに自分の家は綺麗なほうが良いし、電気や水は節約したほうが環境にも財布にも良い。単にそのレベルのなかで「八紘一宇」が共存しているのである。だからネット保守のいう原罪を自覚したうえでの、“あえて”左翼やリベラルへの反論という意味を含意する「八紘一宇」とは、まるで次元が異なるのである。

 このような政治的・社会的マトリックスが存在しないので、彼ら参政党支持者の中には、移民反対がやがて移民排斥に繋がったり、自国や自国民の美化が外国人の排除に繋がったりするかもしれない―、という自覚も無い。

 そもそも差別とは何か、排外とは何かという思考訓練ができていないことがほとんどである。つまり辛辣に言えば「生まれたての赤ちゃん」と同じで、なんの政治的免疫も、なんのイデオロギー的耐性もないのである。ヒヨコが初めて出会った「動く大きな存在」を親だと思って追従していく動物本能に似ている。この場合の「親」とは、神谷代議士でもあるだろうし、はたまた同党が「ボードメンバー」と呼ぶ幹部層なのかもしれない。

 自分が差別や排外主義につながるような言説を弄しているという自覚がほぼゼロなのが、参政党支持者の特徴のひとつであると私は強く思う。そもそも差別や排外主義という言葉を理解していないのかもしれない。よしんば自らが差別や排外主義を行っているかもしれない、というのはそれに反対する言論や勢力の抵抗によってはじめて相対化されるものであろう。世界のマトリックス(座標軸)に全く無知ならば、相対化も何も自分の価値観だけが全てなので、批判されても何も感じない可能性もある。

 自分と自分に相対する世界を「相対化」しているからこそ、自らが行っている行為が「行き過ぎ」「過激」などであることが分かるのではないか。少し同情した見方をすれば、「あえて」それ(左翼・リベラル批判)を実行してきたのがネット保守界隈である。

 物事を相対化することが「出来ない」というくらいのリテラシーしかもっていないのであれば、永遠に自らの言動が「一線を越えた差別や排外主義である」、ということさえ自覚できない。そもそも右と左、与党と野党の違い、差別と常識の区別すら、これまで生きてきた中で体得していなかったからだ。

参政党支持層の研究(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース から

つまり、【政治的な「赤ちゃん」】が、参政党 神谷代表などボートメンバーをSNSなどを通して「親」とし、無垢に無自覚に、排外的で差別的な思考を「差別ではない」と体内に、さもそれが当然のように取り入れてしまっているのだということです。

では、その【政治的な「赤ちゃん」】が、どのように醸成されてきたのでしょうか。引き続き、この記事から引用しますが、まずは、どういうキッカケで参政党支持になっていくのかというところを見ていきましょう。

動画で真実 (参政党支持層の研究(古谷経衡) から)

 私が過日、或る参政党支持者と酒席を共にした時の話である。ユーチューブで参政党の動画を見て、熱心な支持者になったというその人は、図らずも私と同い年の女性だった。数年前に離婚して、現在は飲食業をやりながら二人の子供を育てているということであった。

「(ワクチンの副反応などについて)本当のことを知りたいと検索していたら、参政党の動画に行き当たって、感銘を受けた。日本は外国人に侵略されていると思う。私が勉強した結果、これが真実だと思うに至った」

 かいつまんでいえば彼女はこのようなことを言った。彼女は高校を卒業して以来さまざまな職を転々とし、あるとき一念発起し、独学で宅地建物取引主任者(宅建)に合格するほどの努力家であった。しかし彼女の世界観の中では、「世の中のこと」を勉強する手段は参考書ではなくてユーチューブなのであった。

 政治や社会の実相を勉強するときに、これが定番という書籍のスタンダードは残念ながら現在提供されていないと言える。その間口のほとんどは、専門家と謳っていながら、実際は陰謀論やデマに傾倒しているともされる、「自称評論家」などが主催するユーチューブである。

 そこに触れれば、前提知識が皆無の彼女・彼らたちは、たちまちそれが「自分が発見した真実」と感じて、熱心な参政党支持者になっていくのだろう。その主張がいかに差別や排外主義につながる危険性があっても、その言葉自体の持つ意味や政治的立場が分からないのであれば、躊躇の材料にはならないのである。繰り返すように彼らにとって「八紘一宇」は「整理整頓」と同じニュアンスなのである。

参政党支持層の研究(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース から

ここから、見えてくるのは、根拠のないことを根拠があるかのように言い切るユーチューブ等のSNSに触れることで、あたかも「真実」を教えられたかのように思い込み始める、参政党支持の入り口の構造だろう。
要は、根拠のない嘘や人を傷つける言動を「真実」と無自覚に躾けられてしまうところから、参政党支持の門は始まっているのです。

では、どのような社会が、このような人々を産み出してしまったのでしょうか。

・政治に無関心でも生きていける日本社会 (参政党支持層の研究(古谷経衡) から)

 ここまで書いて、少なくない読者は、「新聞の斜め読み、一面の記事を雑駁に見るという作法やリテラシーすらない人々が、現代の日本で“適正”な社会生活を送れるというのは、本当だろうか」という疑問を有すると思う。

 つまり政治や社会のことに全く無知・無関心でいながら、一端の社会生活を送ることが果たしてできるのか?という疑問である。だがしかし、戦後日本社会は永年「政治と宗教の話はするな」などと言われてきたように、政治的リテラシーがゼロでも、社会生活を送ることが出来る世界になって久しい。

 参政党支持者の中には、高校を出てからすぐに社会人になった、という人もいるが、四年制大学を卒業して、社会に出たというような人も少なくない。しかし、戦後の日本社会にあって、受験や入社試験で、「現代政治の課題や問題」を問われることは非常に少ないどころか、ほぼ絶無である。ましては太平洋戦争に至る日本近代の失敗について、あなたはどう思うか?かつての侵略戦争をどう思うか?と問われる場面も、ほぼ皆無に等しい。

 つまりはこの国では、政治観および歴史観や歴史的教養と、社会的地位は相関しないのである。政治や歴史に全く無知でも、社会的地位を得たり、客商売をすることは容易に出来るのである。彼らはみな、コミュニケーションにあっては優秀の感を受け、むしろ人当たりがいい人ばかりである。そうでなければ、客相手のフリーランスや自営業で成功することはできないだろう。社会的成功と、最低限度の政治観や歴史観が、この国では完全に分離されている。

 私は参政党支持者と多く会ってきて、彼ら彼女らの多くが「ごく普通の市井の人々」であることを痛感した。彼らは客商売の現場や、或いは会社組織の職場でむしろ愛される人々である。相手のことを思い、コミュニケーションをとる能力があるからだ。しかし、それと歴史観や政治観は、ことさら歴史や政治のことを話題にすることを避けてきた目下の現代日本においては、必要がない。むしろそんな事柄に興味を持つのは、対人コミュニケーションの中ではマイナスとされてきた。

参政党支持層の研究(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース から

ここから読み取れるのは、結局のところ、政治や社会に関心の無い「ごく普通の市井の人々」が、参政党支持急騰の土台となっているということです。

参政党が急激に支持を伸ばしたのは、「不安の共鳴」

そこで考えられるのは、以下のような構造が、参政党が支持を伸ばした背景にあるのではないかということです。

  • 長期:失われた30年
    心理的に⇒漠然とした未来への不安の醸成
  • 短期:ウクライナ戦争・中東紛争・物価高・コメ価格急騰
    心理的に⇒不安の具体化
  • 現在:参議院選挙 参政党の威勢の良い言葉⇒不安の共鳴

今の時代の不安と共鳴するが故に、参政党は急激に支持を増やしつつあるのだと言えます。
そして、参政党は不安に共鳴するなら、どんなことでもサラッと言えることにその特徴があると言えます。

ざっとまとめると、こんなところでしょう。

参政党の「不安共鳴思考の例」

  • 日本人ファースト ⇒ 「日本人が大事にされていない」という不安
  • 国を守る     ⇒ 「国を守れない」という不安
  • 創憲       ⇒ 「今の憲法は、日本人を大事にしていないし、国を守ってない」という
               不安

ですから、「不安」をキーワードに考えた場合、参政党の思考回路は、実はとても簡単なんです。

参政党の思考回路

政治・社会への無関心層の不安を露骨に表現しただけ

これは、ものすごく怖いことです。

社会を良くすることに無関心であるということは、ある意味「無責任に生きる」ことを享受してきた、とも言えます。

無責任に生きてきたということは、抱える不安に対して、逃げて避けてきたということです。なので、社会不安の当事者となっても、その解決を自分から図るのではなく、誰かに委ねようとする性質が抜けないのです。つまり、この参議院選挙において、参政党は政治・社会への無関心層の無責任を吸収する形で拡大をしているのだということです。

参政党の本質は、無責任を政治の場で具現化すること。強いて言えば、無責任具現化政治を目指している!!

そうなると、参政党の本質は、無責任を政治の場で具現化すること と言えます。
無責任な人間に支持されて、無責任な政治を展開する!! これが参政党の本質なのだと思います。

それが何を招くのか・・・・・国民の不安を完全に放置し、不安を増長させ、その不安に共鳴する言葉で支持を拡大し、国会を支配し、無責任をもって日本国全体を支配していく・・・・という恐ろしい状況が生み出されてしまうのです。しかも、参政党自身がそのことにあまりにも無自覚です。なぜなら、無責任の正当化で自己保身を図るからです。

だから、無類の人権破壊社会になっても、無責任を正当化して権力に執着する性質を参政党は持っていると言えます。

許してはいけない 参政党の台頭

こうやって考えると、参政党の台頭は許してはいけないと思います。今の言動でも一線を越えてしまっているのです。

彼らの存在が、私たちの本当の安心ある生活を、未来において奪っていくのが容易に想像できます。

ただ、参政党が気づいていないウィークポイントがあります。それは、無責任な言動を曝け出す癖が深刻であるということです。この言動を巧みに利用して、封じ込めていくことはできると思います。

はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。

私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。

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