春日井市と自衛隊機墜落の歴史――味美・下屋敷・二子山・宮町に残る6件の事故

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春日井市と自衛隊機墜落の歴史を表したアイキャッチ画像。米軍・自衛隊機、墜落事故を想起させる煙と残骸、二子山公園、小牧基地周辺の風景を組み合わせ、「味美・下屋敷・二子山・宮町に残る6件の事故」と表示している。

春日井市と自衛隊との関係を考えるとき、航空自衛隊小牧基地の存在を抜きにすることはできません。

現在の春日井市で自衛隊というと、小牧基地を離着陸する輸送機や救難機、あるいはブルーインパルスなどを思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし、春日井市と軍用機の関係には、もっと重い歴史があります。

戦後、春日井市内には米軍機・自衛隊機が少なくとも6回墜落しています。

1950年代には味美上ノ町に米軍ジェット戦闘機が相次いで墜落し、1961年には下屋敷、1967年には二子山公園と宮町に自衛隊機が墜落しました。

そして、1967年の二子山公園への墜落事故は、後に春日井市が市民・市議会と一体となって「飛行場撤去」を求める運動をつくる大きな契機となりました。

今回は、**「春日井市 自衛隊」**という視点から、春日井市内で起きた航空機墜落事故の歴史を整理してみます。

春日井市では米軍機・自衛隊機の墜落事故が6件起きている

春日井市議会では2012年、過去の小牧基地関係の事故について市環境部長が答弁しています。

その答弁では、

初めに,小牧基地関係の主な事故としましては,昭和27年5月に味美上ノ町での米軍ジェット機の墜落,昭和36年6月にエンジン故障による戦闘機の墜落,昭和42年2月に空中火災により二子山公園へ戦闘機が墜落,同年10月にはエンジン故障により宮町に戦闘機が墜落するなど,昭和27年から昭和58年までの間に,米軍,自衛隊機の春日井市での墜落事故6件を含めまして21件の事故が発生しております。

春日井市議会 会議録表示 から。2012年6月定例会。環境部長 鬼頭隆の答弁

と説明されています。

また、豊山町の『地域防災計画・資料編』に掲載されている「名古屋空港周辺の主な事故」を見ると、その6件を具体的に確認することができます。

白地の横長画像。上部中央に大きく「春日井市内の軍用機墜落事故一覧」とある。下には5列6行の表が配置され、薄い青灰色の見出し行に「年月日」「墜落場所」「機体・内容」「人的被害」「物的被害」と並ぶ。各行の内容は次のとおり。1行目、1952年5月28日、味美上ノ町、米軍ジェット戦闘機、人的被害なし、物的被害は土蔵全壊1棟・住家半壊1棟。2行目、1955年1月5日、味美上ノ町、米軍ジェット戦闘機、人的被害なし、物的被害は鶏舎全壊1棟・半壊1棟。3行目、1955年6月17日、味美上ノ町、米軍ジェット戦闘機、死亡1人・重軽傷10人、住家全壊1棟。4行目、1961年6月22日、下屋敷、自衛隊ジェット機、人的被害なし、家屋全焼2棟。5行目、1967年2月1日、味美二子山、自衛隊T-33A、人的被害なし、名鉄線路破損など。6行目、1967年10月21日、宮町、自衛隊F-104、死亡1人・軽傷5人、倉庫とビニールハウス破損。全体として、春日井市内で発生した軍用機墜落事故の年月日、場所、機体、人的被害、物的被害を一覧化した表である。

こうして並べてみると、一つ重要なことが分かります。

春日井市内で確認できる6件の軍用機墜落事故は、1952年から1967年までの15年間に集中しています。

1952年――味美上ノ町に米軍ジェット戦闘機が墜落

最初に確認できるのは、1952年(昭和27年)5月28日です。

場所は春日井市味美上ノ町。

当時、小牧飛行場には米軍が駐留していました。

豊山町の事故記録によれば、米軍ジェット戦闘機が墜落し、

  • 土蔵1棟全壊
  • 住家1棟半壊

という被害が発生しました。

幸い人的被害は記録されていません。

なお、現在の町名と当時の町名は必ずしも一致しません。

味美地区では、その後区画整理や町名変更が行われ、1973年には味美上ノ町から現在の上ノ町が分離しています。

したがって、古い資料にある「味美上ノ町」を、現在の味美上ノ町だけに限定して考えない方がよいでしょう。春日井市の『郷土誌かすがい』でも、味美地区の町名が戦後大きく変化したことが確認できます。

1955年――味美上ノ町に再び墜落

ところが、その約3年後。

1955年(昭和30年)1月5日、再び味美上ノ町に米軍ジェット戦闘機が墜落しました。

この事故では、

  • 鶏舎1棟全壊
  • 鶏舎1棟半壊

という被害が記録されています。

人的被害はありませんでした。

問題は、これで終わらなかったことです。

1955年6月――3度目の味美への墜落、死傷者11人

同じ年の1955年6月17日。

またしても味美上ノ町に米軍ジェット戦闘機が墜落します。

わずか3年ほどの間に、同じ味美上ノ町で3回目です。

しかも、この事故では、

死亡1人、重軽傷10人

という人的被害が記録されています。

住家1棟も全壊しました。

ただし、現在インターネット上で確認できる自治体資料だけでは、この死傷者が乗員だったのか地上の住民だったのか、その内訳までは確認できません。

ここは今後、当時の新聞記事などを確認する必要があります。

それでも、

1952年5月
→1955年1月
→1955年6月

という短期間に3度も味美周辺へ軍用機が墜落したこと自体、当時の住民が航空機事故に強い不安を抱く背景として重要です。

1961年――下屋敷に自衛隊機が墜落、住宅2棟全焼

米軍機の事故に続き、今度は自衛隊機による事故が発生します。

1961年(昭和36年)6月22日、春日井市下屋敷に自衛隊のジェット機が墜落しました。

豊山町の資料では、

  • 人的被害なし
  • 家屋2棟全焼

とされています。

さらに2012年の春日井市議会答弁では、この事故について**「エンジン故障による戦闘機の墜落」**だったと説明されています。

墜落そのものによる死者はいなかったとはいえ、住宅地に航空機が落ち、家屋が2棟焼失した事故です。

春日井市と自衛隊の歴史を考えるうえで、こうした地上側の被害を忘れることはできません。

1967年2月1日――二子山公園にT-33Aが墜落

そして、春日井市の航空機問題の歴史を大きく変える事故が起きます。

1967年(昭和42年)2月1日。

航空自衛隊のT-33Aジェット練習機が、味美二子山に墜落しました。

豊山町の記録では、

  • 人的被害なし
  • 名鉄線路破損など

とされています。

春日井市議会での市側答弁では、さらに具体的に、

「空中火災により二子山公園へ戦闘機が墜落」

した事故と説明されています。

現在の二子山公園周辺は住宅地です。

その場所に自衛隊機が墜落したという事実は、現在の景観だけを見ているとなかなか想像できません。

二子山事故を契機に「飛行場撤去促進市民協議会」が生まれる

この二子山事故は、単独の航空事故で終わりませんでした。

2012年の市議会答弁によれば、事故後、

墜落事故への不安や航空機騒音に対する住民からの苦情が殺到した

とされています。

そして事故から約5か月後の1967年7月23日、

  • 市民
  • 春日井市議会
  • 春日井市

の三者が一体となって、

「春日井市飛行場撤去促進市民協議会」

を結成しました。

これは重要な点です。

一部の市民だけが基地問題を訴えたのではありません。

市民・議会・行政が同じ組織に入り、小牧基地をめぐる問題に取り組んだのです。

春日井市の公式年表にも、昭和42年の出来事として「春日井市飛行場撤去促進市民協議会発足」が記録されています。

そして市議会答弁では、この運動の後、1978年3月に小牧基地の戦闘機部隊である第3航空団が青森県三沢基地へ移転したことにも触れています。

1967年の二子山航空機墜落事故を契機に、「春日井市飛行場撤去促進市民協議会」が結成されるまでの流れを図解したインフォグラフィック。左上に「1967年2月1日 二子山で航空機墜落事故」とあり、自衛隊T-33A練習機が味美二子山、現在の二子山公園周辺に墜落したこと、人的被害はなく、名鉄線路破損などの物的被害があったことを示している。中央上では、2012年の春日井市議会での環境部長答弁をもとに、事故後、墜落事故への不安や航空機騒音に対する住民からの苦情が殺到したことを、住民の不安を表すイラストとともに表現。右上では、事故から約5か月後の1967年7月23日に、市民・春日井市議会・春日井市の三者が一体となり、「春日井市飛行場撤去促進市民協議会」を結成したことを、三者を結ぶ握手の図で示している。左下では、春日井市の公式年表に昭和42年の出来事として「春日井市飛行場撤去促進市民協議会発足」が記録されていることを紹介。中央下では、市議会答弁をもとに、その後1978年3月に小牧基地の第3航空団が三沢基地へ移転したことを示している。右側のまとめでは、二子山事故が単なる航空事故に終わらず、市民・議会・行政が連携した市民運動につながり、その後の小牧基地をめぐる動きにも影響したことを強調している。

1967年10月21日――宮町にF-104が墜落

ところが、市民協議会が結成されたわずか約3か月後、春日井市では再び大きな事故が発生します。

1967年10月21日。

今度は宮町に自衛隊のF-104が墜落しました。

豊山町の『地域防災計画』には、

「三菱名航テスト中の自衛隊ジェット機F104墜落」

と記載されています。

被害は、

  • 死亡1人
  • 軽傷5人
  • 倉庫・ビニールハウス破損

でした。

春日井市議会での答弁では、この事故についてエンジン故障による墜落だったと説明されています。

以前、私は「昭和47年ごろに宮町へ自衛隊機が墜落した」という話を聞いて調べ始めました。

しかし資料を照合すると、宮町の事故は昭和47年ではありません。

昭和42年、1967年10月21日です。

二子山への墜落と同じ年に、春日井市内で2度も自衛隊機が墜落していたことになります。

1967年10月21日に春日井市宮町で発生した航空自衛隊F-104墜落事故をまとめた図解。事故概要として、発生日1967年10月21日(昭和42年10月21日)、墜落場所は春日井市宮町、機体は三菱名航でテスト中の航空自衛隊F-104、春日井市議会答弁では原因はエンジン故障による墜落とされている。被害は死亡1人、軽傷5人、倉庫・ビニールハウス破損。豊山町「地域防災計画」にも「三菱名航テスト中の自衛隊ジェット機F104墜落」と記録されていることを示す。あわせて、当初「昭和47年ごろの事故」と伝え聞いていたが、資料照合により正しくは昭和42年、1967年10月21日だったことを強調。さらに同年2月1日には味美二子山に自衛隊T-33Aが墜落しており、1967年だけで春日井市内に自衛隊機が2度墜落したことを時系列で示している。中央にはF-104のイメージ写真と、墜落現場をイメージした写真が配置されている。

なぜ春日井市では航空機問題が長く市政課題になってきたのか

6件を時系列にすると、春日井市と自衛隊・小牧基地をめぐる問題の背景が見えやすくなります。

1952年 味美上ノ町
↓
1955年1月 味美上ノ町
↓
1955年6月 味美上ノ町
↓
1961年 下屋敷
↓
1967年2月 二子山
↓
1967年7月 飛行場撤去促進市民協議会結成
↓
1967年10月 宮町
↓
1978年 第3航空団が三沢基地へ移転

という流れです。

春日井市が航空機の安全問題に対して長年強い姿勢をとってきた背景には、単なる「騒音への不満」だけではなく、実際に市内へ何度も航空機が墜落した経験がありました。

現在も「春日井市飛行場周辺対策市民協議会」が存在しています。

春日井市の公式説明では、この協議会の目的を、

航空機事故に対する住民の不安を解消し、安全な生活環境を確保するとともに、騒音などの障害を緩和すること

としています。

市民、周辺地域の町内会関係者、市議会議員、市職員が参加する仕組みも現在まで続いています。

「なぜ春日井市では航空機問題が長く市政課題になってきたのか」を説明する縦長の図解。上部に、春日井市内では実際に6件の航空機墜落事故が起き、市民の命や生活が脅かされてきた歴史があると示している。時系列では、1952年5月28日に味美上ノ町へ米軍ジェット戦闘機が墜落し、土蔵全壊1棟・住家半壊1棟。1955年1月5日にも味美上ノ町へ米軍ジェット戦闘機が墜落し、鶏舎全壊1棟・半壊1棟。1955年6月17日には再び味美上ノ町へ米軍ジェット戦闘機が墜落し、死亡1人・重軽傷10人、住家全壊1棟。1961年6月22日には下屋敷へ自衛隊ジェット機が墜落し、家屋全焼2棟。1967年2月1日には味美二子山へ自衛隊T-33Aが墜落し、名鉄線路破損などの被害。これを契機に1967年7月23日、「春日井市飛行場撤去促進市民協議会」が結成された。さらに1967年10月21日には宮町へ自衛隊F-104が墜落し、死亡1人・軽傷5人、倉庫・ビニールハウス破損。1978年3月には小牧基地の第3航空団が三沢基地へ移転した。図の下部では、春日井市が航空機の安全問題に長年強い姿勢をとってきた理由として、単なる騒音への不満ではなく、市内で何度も航空機が墜落し、市民の命や生活が脅かされた経験があることを強調している。さらに現在も「春日井市飛行場周辺対策市民協議会」が存在し、その目的を「航空機事故に対する住民の不安を解消し、安全な生活環境を確保するとともに、騒音などの障害を緩和すること」と説明。参加者として、市民、周辺地域の町内会関係者、市議会議員、市職員が示され、現在まで航空機問題への取り組みが続いていることを表している。

現在も航空機事故への不安は「過去の話」ではない

もちろん、1967年10月の宮町事故以後、春日井市内では同じような軍用機墜落事故は確認されていません。

しかし、航空機安全をめぐる問題そのものがなくなったわけではありません。

春日井市は現在も、小牧基地や県営名古屋空港に関連して航空機の緊急着陸、部品落下などが起きた場合、必要に応じて原因究明や再発防止、安全飛行の徹底を申し入れています。

2025年5月14日に航空自衛隊T-4練習機が入鹿池付近に墜落した際にも、春日井市と市民協議会は翌15日、小牧基地に対して文書で申し入れを行っています。

入鹿池は春日井市内ではありません。

それでも春日井市が対応したことは、航空機事故を基地所在地だけの問題として考えていないことを示しています。

「春日井市 自衛隊」を調べるなら、墜落事故の歴史を知っておきたい

「春日井市 自衛隊」という言葉から、現在の小牧基地だけを見ると、春日井市側がなぜ航空機の飛行や安全問題について繰り返し要望を行ってきたのか、その背景が分かりにくくなります。

しかし、歴史をたどれば、

味美への3度の米軍機墜落
→下屋敷への自衛隊機墜落
→二子山へのT-33A墜落
→市民・議会・行政による運動
→宮町へのF-104墜落

という経験がありました。

これは春日井市の防災史でもあり、市政史でもあります。

航空機事故は、台風や地震とは違って自然災害ではありません。

しかし、「自分たちが暮らす場所の上空を飛ぶ航空機に、どの程度の危険があるのか」「事故を防ぐため行政は何を求めるのか」という問いは、市民の安全を考えるという意味では防災と非常に近い問題です。

春日井市が現在も飛行場周辺対策市民協議会を設置し、航空機トラブルの際に申し入れを行っている背景には、こうした歴史があります。

過去に何が起きたのかを記録しておくことは、現在の政策を評価するときの基準にもなります。

「昔そんな事故があった」という話だけで終わらせず、いつ、どこに、何が墜落し、市民にどのような被害があり、その後行政がどのように変わったのか。

そこまでつなげて残すことが、地域の歴史を記録する意味なのだと思います。


関連記事【内部リンク】

春日井の災害を地震・洪水・台風などから長期的に整理した記事です。今回の航空機事故史と合わせると、「春日井の安全をどう考えてきたか」という視点が広がります。

→ 「防災と歴史から読み解く春日井――地震・洪水・渇水・台風と地域の知恵」

小牧陸軍飛行場から航空自衛隊小牧基地へと続く地域の軍事史については、上街道の記事でも触れています。

→ 「春日井 勝川を貫く上街道―古代条里制からゼロ戦部品輸送まで続く“歴史の道”を歩く」

春日井・勝川周辺をさらに長い時間軸で見たい方はこちらもどうぞ。

→ 「春日井の古代史――春日部郡・勝川廃寺・安食荘から見る制度と寺院」

主な参考資料【外部リンク】

事故年月日、場所、被害について最もまとまっている自治体資料です。

→ 豊山町『地域防災計画・資料編』「名古屋空港周辺の主な事故」

現在の春日井市の航空機安全対策、市民協議会の目的・構成はこちらで確認できます。

→ 春日井市「春日井市飛行場周辺対策市民協議会について」

過去の墜落事故6件や1967年の二子山事故後の経緯について、市の環境部長による議会答弁が掲載されています。

→ 日本共産党春日井市議団「小牧基地と防衛大綱(6月議会の一般質問から)」

春日井市の市史・地域史をさらに調べる場合はこちらです。

→ 春日井市「春日井市史・春日井のむかし話」

現在の航空機トラブルへの市の対応はこちらで確認できます。

→ 春日井市「航空機の緊急着陸・部品落下等事案について」

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