仏教の「苦しみ」四聖諦×華厳経×現代物理学──母の看取りの経験から、私はこう捉える
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
「仏教の科学性は『苦しみ』から説明できるのではないか」。私はその直感を、四聖諦(苦・集・滅・道)という検証可能なプロセスとして並べ替え、華厳経の法界縁起と、中観(空・二諦)の洞察を、量子場・ネットワーク理論・原子物理学の言葉で補助線にして語ってみたい。
出発点は私自身の母の看取りの実践だ。
母が膵臓がんと知った日から、自宅での在宅緩和を選び、特に、最後の1か月半は、症状・介入・反応をほぼ毎日記録して、このページにも載せた。観察(観)→仮説(思惟)→介入(修)→結果(証)という循環は、仏道の修行と科学の反復実験を同型にする。華厳はこの循環を、無数の因・縁が相即相入する「全体」とみなし、中観はその全体に実体を措かず「空として依存的に成立するだけ」と言う。量子場理論は、粒子を「場の励起」として扱い、その相互作用を頂点(頂角)で接続する。これは、因果を線形の鎖でなく、相互依存の「場のネットワーク」として扱う直観に近い。原子物理学的には、観測とは局所系へエネルギー・情報が流れ込み、状態が更新される操作だ。私が母の苦痛の頻度、呼吸、体位、薬剤、家族の言葉かけ(インタラクション)を微調整するたび、系(母と家族と家)のハミルトニアンが僅かに書き換わり、新しい安定点へ遷移する。そのダイナミクスを私は「四聖諦の実験」と呼ぶ。ここでは、宗教は超自然ではなく、再現可能な慈悲の技術=ケアの科学として現れる。そのことについて、語りたい
目次
苦諦:在宅緩和と「苦」の観察ログ(データとしての苦しみ)
苦は前提でも運命でもなく、まず「観測される現象」だ。私の出発点は、2022年12月13日、母が膵臓がん(転移疑いを伴うステージⅣ)と判明し、家族で抗がん剤ではなく緩和医療を選んだ事実にある。以後、私は症状の推移を定点観測し、苦の相(痛み・息切れ・嘔気・黄疸・不眠)を時系列化した。苦を測る単位は数値だけではない。顔色や表情の弛緩、呼吸の浅深、体位変換後の落ち着き、発語の有無、握った手の返握圧、家族の言葉へ頷きが返るか──それら質的データも、等しく苦の「量」である。6月上旬、余命1か月との説明があり、貼付型オピオイドを導入して鎮痛のベースラインを上げた。その後も朝方の痛み、吐き気、黄疸の進行は波形のように現れた。私は苦のピークとトリガー(体位・移乗・夜間覚醒)を突き合わせ、右側臥位や酸素供給、点滴姿勢の固定、声かけの速度と間合いを調整した。6月18日には「甘いもの」「ご飯が欲しい」という希求が現れ、一口のご飯に「気持ちいい」と言う反応が返った。翌日以降、痛みの間隔は短く、やがて6月22日朝、自宅で静かに息を引き取った。これら一連の出来事は私にとって、苦が「測れる」「変化する」「関係性に依存する」現象だと教えてくれた。仏教は主観の呻きを普遍化する道具立てをすでに持っている。私はそこに、経験科学としてのリアリティを見た。
集諦:縁起=ネットワーク──因と条件の編成としての苦
苦は単因で立たない。華厳経が言う法界縁起は、インドラ網の比喩に象徴される「全結合のネットワーク」だ。原子物理学の語で言えば、個の状態は周囲の場(フィールド)と密結合し、相互作用項の総和が「いま」を規定する。母の苦も同じだった。疾患(腫瘍負荷、胆管閉塞)、身体条件(筋力低下、黄疸、脱水)、環境(ベッド、マット、酸素、室温)、ケア介入(鎮痛薬、点滴、体位保持具)、対人(姉や孫の来訪、私の声かけ、触れ合い)、意味づけ(父や祖父母の写真、祈り)──それらが重なり合い、苦の波形を編む。6月7日、母は私を「最高の息子」と褒め、6月13日には「お父さんにありがとうって伝えて」と頬を撫でた。6月15日には「ギュ~ッとして~」と求め、私は抱擁の圧と時間を最適化した。これらは心理でも感傷でもない。系に安心の境界条件を与える「相互作用」の強度調整だ。ネットワーク理論的には、苦のクラスタへ向けて「橋」を架ける介入で、エッジの重み(関係の強さ)を変える操作である。私は、移乗や排泄が苦を増幅する「トリガーノード」であることを確認し、その周辺に緩衝ノード(クッション、姿勢固定、声のテンポ)を配置した。こうして因(原因)と縁(条件)のグラフを書き換えると、苦の伝播経路が変わる。四聖諦の「集」は、犯人探しではなく、ネットワークの再配線なのだと、私は母の傍らで学んだ。
滅諦:空と平衡──「場の静けさ」としての安らぎ
滅は消滅ではない。苦が最小化される「定常点」への収束だ。中観は一切法の自性を否定し、現象を「空=依存的成立」とみる。量子場理論で言えば、真空は「何もない」の同義ではなく、相互作用が最小化された基底状態だ。母にとっての基底状態は、右側臥位で酸素を受け、静かな声と手の温度に包まれる時間にあった。私は試行錯誤の末、貼付オピオイドで痛みのベースを下げ、点滴姿勢を崩さない工夫をし、夜間の覚醒時は言葉を減らして呼吸同期だけを合わせた。ここで重要なのは、「今日の楽は明日には通じない」という可塑性だ。系のパラメータは刻一刻と変わり、昨日の最適解は今日の局所解に退化する。だから私は、苦の周波数、発語、皮膚色、まなざしの焦点を毎回測り直し、空の洞察──固定的な「私の介護法」なる本質はない──を実践に移した。華厳的に言えば、滅の安らぎは、全体の相即相入として立ち現れる。家族が来訪しても母が「楽そう」に見えるベッドの姿は、他者の安心も同時に生み、結果的に母の苦の低減へとフィードバックした。私は、安らぎが「関係の秩序化」として実在することを、まさに手の温度で学んだのだ。
道諦:看取りプロトコル──再現可能な慈悲(KPIとフィードバック)
道は宗教的観念ではなく、運用可能なプロトコルである。私は在宅緩和を「四つのKPI」で回した。(1) 苦の頻度(痛み・嘔気・息切れ)(2) 回復時間(介入から安定まで)(3) 交流質(言葉・微笑・頷き・抱擁の受容)(4) 睡眠の連続性。介入は、薬理(貼付オピオイド、レスキュー)、体位(右側臥位固定、移乗動線の短縮)、環境(酸素・マット・照度・温湿度)、コミュニケーション(呼吸同期・少語・触覚)の四系統で、1回ごとに事後評価を行い、翌日の計画に反映した。たとえば点滴3時間の姿勢保持が崩れると、苦の増幅が起きるため、クッション配置と体動抑制の「柔らかな壁」を導入し、夜間覚醒時は言語刺激を減らして自律神経の過緊張を避けた。「甘いもの」「ご飯が欲しい」への対応は、嚥下負荷が小さい範囲で味覚の喜びを返す実験だった。これらは全て、仏教でいう「止観」の具体策であり、科学でいえば探索—活用のバランスを取る強化学習だ。道諦の本質は、「安らぎを生む相互作用を、検証可能な単位で積み重ねること」。私は、母の手を握る圧と時間、声の間(ま)を微調整し続け、最後の朝に至るまで、プロトコルを畳み込んだ。
意識と宇宙:二諦・観測問題・祈りの演算
現代物理学が抱える観測問題は、私にとって看取りの核心と同型だ。量子測定は、系と装置(観測者を含む)の相互作用が状態を更新する過程であり、日常語でいえば「関わり方が世界を変える」。中観の二諦(世俗諦と勝義諦)は、これを二層で語る。世俗諦のレベルでは、痛みや黄疸や倦怠という現象は確かにある。勝義諦のレベルでは、それらは自性をもたず、因縁に依存して立つだけだ。その二層を往還する実践が、私の祈りである。祈りは超自然ではなく、「注意の向け方(アテンション)と呼吸の同期」を通して、系のハミルトニアンを書き換える穏やかな操作だ。右側臥位での安定、短い言葉、頬を撫でる手、写真に囲まれた部屋──それらは母の内的宇宙を再編し、安らぎの定常点へ引き寄せる。華厳は世界を相即相入する鏡像の網として描いた。私は、その網の一点に過ぎないが、私の一点が変わると、全体の反射も変わる。看取りの場は、ミクロ(原子・分子レベルの生理学)とマクロ(意味・関係・物語)が干渉し合う干渉縞であり、仏教の「空」は、その干渉を可能にする余白として機能する。母のまなざしがやわらぐ瞬間、私は、意識と宇宙が分かれていないことを、比喩ではなく手応えとして受け取った。
人が生きるということ:母の最期、私の変化、そして父の死を経て
6月22日の朝、自宅で母は静かに逝った。穏やかな顔を見た私は、「看てきてよかった」と心の底から言えた。翌日、私は自分の中に「真っ白な子」を見つけた。涙が尽きた後に現れる、無垢で言葉を持たない層だ。二週間が過ぎたころ、私は「空」で支えることの意味をようやく言語化できた。空とは虚無ではない。関係が編む安心の網に、自我の硬さを一度溶かして参加することだ。看取りは、誰かの「死」を支える物語ではなく、自分が「生き直す」ための再構成でもある。母は最期の日々、私に「最高の息子」と言い、「お父さんにありがとうを伝えて」と頬を撫で、「ギュ~ッとして」と抱擁を求めた。私は抱きしめる圧と時間を学び、言葉を削り、呼吸のリズムを合わせる術を身につけた。やがて2024年8月、認知症の父も病院で逝った。私は二つの死を通して、「人が生きる」とは、苦のネットワークの中で安らぎの通路を見つけ、他者と共有可能な手順へ落とすことだと確信した。科学の語彙で言えば、これはマルチスケールな最適化であり、宗教の語彙で言えば、慈悲の修習だ。私は今日も、在宅の一室で学んだ微細な調整(体位・声の間・触覚・写真・光)を、仕事や政治や対話の場へ拡張している。生は独立ではなく、相即相入の網の一点として続く。だから私は、自分の点を整える。整うほどに、世界は穏やかに反射するからだ。
結語:科学と言葉と祈りを結ぶ──私の実践宣言
私は、四聖諦を「観測可能なプロセス」として回し、華厳の全体観と中観の空を、量子場・ネットワーク・原子物理学で補助線化した。苦は測れる。集は再配線できる。滅は基底状態として実在する。道はプロトコルとして共有できる。宗教はここで、比喩の世界から「再現可能な慈悲の技術」へと降りてくる。私の看取りの記録は、その技術が個人の生活世界で機能することを示している。在宅というフィールドで、私は小さな介入を反復し、安らぎのネットワークを増幅した。その過程で得た洞察を、私は他領域──組織づくり、コミュニティ、政治──へと転写する。関係の相が荒れているなら、エッジの重みを変える。苦のクラスタが暴れているなら、緩衝ノードを置く。意味が硬直しているなら、空の余白で可塑化する。仏教と科学を対立させない。むしろ、両者を往復することで、私たちは「やさしさを実装する手順」を洗練できる。母の最期の顔は、その妥当性を黙って教えてくれた。あの日の静けさを、私は研究の基準にする。だから今日も、問いは単純だ──この場の苦は、どこから立ち上がり、どこで静まるのか。測り、つなぎ、ほどき、整える。その反復の先に、私の祈りとあなたの安らぎが、静かな同位相で重なる。
参考:本文に登場する出来事の出典(私の記録)
・2022年12月13日:母の膵臓がん(ステージⅣ疑い)判明、緩和医療を選択。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ
・2023年6月6日:余命1か月の説明。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ
・6月7日:貼付オピオイド導入、「最高の息子」とのやり取り。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ
・右側臥位が最も安楽。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ
・6月18日:「甘いもの」「ご飯が欲しい」。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ
・2023年6月22日朝:自宅で看取り。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ
・翌日と二週間後の記録。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ+1
・2024年8月21日:父の逝去(小牧第一病院)。はらだよしひろ(原田芳裕)のページ
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