山あいの癒し湯に捧げる吹奏楽の為の「MISENSOU」物語
川本町吹奏楽作曲コンクールに応募した曲です。
曲想としては、以下のことを心掛けています。(コンクールに提出した説明文より)
【引用はじめ】
この作品を作曲するときに心がけたことは以下です。
- 川本町に生きる人々の歴史と誇りにコミットすること。
- 小笠原氏が統治した歴史・・湯治の湯としての歴史。
- 脈々と受け継がれてきた自然と営み・・・そして神とのつながり(神楽)
- 石見神楽など、川本町に根付く音楽を意識する
- 郷土の音楽を新しく再生させる
- 石見神楽の音階・リズムはまさしく「生活の音」でもある。
- 郷土の音楽を新しく再生させる
- 日本のハーモニーを使った和音構成で、「吹奏楽」を通して「川本町と湯谷温泉の音の色がする」音楽であること。
- 雅楽の「笙」のハーモニーを、石見神楽等ののリズムを通して活用すること。
- 律動感溢れる音楽にすること
- 過去⇒現在⇒未来へと川本町で人が活き活きと生き継がれてきた時代の躍動感を表現する。
- 川本町の方が「誇りに思う」作品であること。
- 日本、そして世界で演奏される作品であること。
川本町の人々が自然と営みを脈々と生き受け継いでいる人々に想いを馳せ、未来にむかって進んでいく姿をこの作品では表現しています。
はじめの出だしは「ほら貝」と「お湯」を重ねてイメージしています。戦いに敗れた武将が湯谷温泉で湯治して、新たな営みを始めるところから来ています。
川のせせらぎは新たな命を育み、活き活きとした日々を取り戻します。豊かな自然にはぐくまれた穏やかな日々が、温泉と共にあります。そこには今を生きて未来を切り開き続ける人々の素朴で輝かしい日々があります。そこにはいつも湯の癒しと、自然の音、川の音がありました。しかし、自然と共に生きること言うことは困難も伴います。今を受け入れ、時には戦い、神様への感謝を忘れずに神楽を奉納する日々があります。
この曲の後半は、「神楽」を奉納している姿をイメージしました。川本町の人々にとって、石見神楽こそ音楽の素地であり、自然と神と生活に直結するものです。とはいえ、ここで表現しているのは、石見神楽そのものではなく、生きる人々の感謝と未来への希望へと直結していく律動感を、日本的ハーモニーを通して神様に向かって踊る姿です。
お湯や自然、人の営みを表現しながら、神楽へと昇華していき、過去⇒現在⇒未来へと希望をつないできた「物語」がこの作品では描かれています。
【引用終わり】
私の中で、描いていたのは「音楽と山里の再生」でした。過去の郷愁から音で懐かしむのではなく、私たちが今まで注目してこなかった些細な営みから未来を創造する姿です。