春日井市の行政としての問題点。春日井PFAS訴訟に見る、「PFASの暫定基準値越えの非公表」から見えるもの。
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
私は、春日井市がPFAS(有機チッ素化合物)の暫定基準値越えの事実を公表していないことを知った時から、問題意識をもち、住民訴訟を提起しました。
そして、この訴訟から、春日井市の行政としての問題点も明らかになってきました。
今日は、その点について、訴訟を通して明らかになったことを、分かりやすくまとめたいと思います。
目次
春日井PFAS訴訟が明らかにする、春日井市の行政としての問題点
序 春日井PFAS訴訟とは何か ― 隠された「8月1日データ」の意味
春日井PFAS訴訟は、春日井市の水道水から有害化学物質PFAS(PFOS・PFOA)が国の暫定基準値を超えて検出されたにもかかわらず、その事実を市が公表しなかったことを出発点とする住民訴訟です。
令和5年8月1日、春日井市は町屋地区の水源で水質検査を行い、その結果、PFASが国の定めた暫定目標値を超えていることが明らかになりました。これは、市民の健康や生活に直結する重大な情報です。とくにPFASは体内に蓄積しやすく、胎児や乳幼児、妊婦などへの影響が懸念されています。つまり、この結果を知ることで、市民は「水を飲むのを控える」「浄水器を利用する」など、具体的に自らを守る行動を取ることができたのです。
ところが、市はこの8月1日の検査結果を「水質検査計画の対象外のデータだから」という理由で公表せず、代わりに18日後の8月21日に行った再検査の結果(基準値以下)だけを市民に知らせました。つまり、市民にとって最も重要な「基準値を超えた事実」が見えなくされ、「安全そうに見えるデータ」だけが表に出されたのです。
このやり方は単なる技術的な判断ミスではありません。行政が自らの責任を回避するために、都合の悪い情報を隠し、都合の良い情報だけを見せるという、統治のあり方そのものに関わる問題です。ここには、①行政が自ら定めた「検査結果は公表する」という原則を破ったこと、②住民の知る権利と健康権を奪ったこと、③議会への虚偽答弁によって民主的統制を空洞化させたこと、④財政的にも合理性を欠いた契約を結んだこと――こうした多重の問題が重なっています。
したがって、この訴訟の本質は「一自治体の不手際」ではなく、「行政がルールを守らずに情報を隠すとき、民主主義と市民の安全はどう守られるのか」という立憲主義の根幹に関わる問いかけです。司法がこの問いにどう答えるかは、春日井市だけでなく、全国の自治体にとっても大きな意味を持ちます。
そこで以下では、本訴訟を通じて明らかになった春日井市の行政としての問題点を、いくつかの視点から整理してみます。
1 行政裁量の逸脱・濫用 ― 市が自ら定めたルールを破った
行政には「裁量」という言葉があります。つまり、ある程度の幅をもって判断できる権限です。しかし、この裁量には限界があり、勝手気ままにやっていいというものではありません。とくに、自ら住民に対して「こうします」と公言した基準を守る責任は極めて重いものです。これを「自己拘束の原則」といいます。
春日井市の水質検査計画には「水質検査計画および検査結果は公表します」と明記されていました。市民から見れば、検査が行われれば、その結果は必ず公表されると信じるのが当然です。ところが、令和5年8月1日に実施された検査でPFASが国の暫定基準値を超えていたにもかかわらず、市はこれを「計画外の検査だから公表しない」としました。つまり、「公表する」と宣言しておきながら、都合の悪いデータは外してしまったのです。
このやり方は、行政法の観点では典型的な「裁量の逸脱・濫用」に当たります。行政裁量の統制にはいくつかのチェックポイントがあり、自己拘束の破り方、考慮すべき要素を無視した判断、制度の本来目的から逸れた利用、そして過剰な制約を課すやり方が含まれます。春日井市の対応は、まさにこれらのすべてに当てはまるものでした。
本来、市が最も重視すべきだったのは「住民の健康と安全」でした。異常が見つかったときこそ、正直に公表し、必要に応じて注意喚起するべきでした。それをしなかった結果、市民は「安全」と思わされ、判断の機会を奪われたのです。この「判断の機会」を奪うこと自体が、重大な権利侵害であり、市の裁量の使い方が完全に間違っていたことを意味します。
2 行政手続と説明責任 ― 情報公開を骨抜きにした
もうひとつ大きな問題は、市の説明責任の欠如です。春日井市は「検査結果は公表します」と掲げながら、実際には都合の良いデータだけを公表しました。しかも、その裏で「別契約」を結び直し、あたかも新しい検査を行ったかのように見せかけました。これは、市民に対する説明責任を根本から裏切る行為です。
とくに深刻なのは、市議会での答弁です。市長は議会でPFASについて、「引き続き検査結果を公表しています」と答弁しました。しかし実際には、8月1日の基準超過データは隠され、8月21日の“通常時”の数値だけが出されていたのです。これは事実と異なる説明であり、議会制民主主義の根幹を揺るがすものです。議会は市民を代表して行政を監視する機能を持っています。その議会に対し、正確な情報を隠すことは、監視機能を空洞化させる行為にほかなりません。
さらに、契約の在り方も問題です。当初の契約が有効なまま残っているのに、同じ対象について「別契約」を結んで再検査を行い、その結果だけを公表する。これは「二重契約」であり、財務的にも不当です。地方財政法4条は「必要かつ最小限度の支出」を原則としていますが、本件はそれに真っ向から反します。
つまり、春日井市のやり方は「情報公開」と「財政規律」の両面を踏みにじったものでした。住民が信頼できる行政とは、透明性と説明責任を守る行政です。今回の不公表と虚偽答弁は、その根本を崩してしまいました。
3 市議会制民主主義への侵害 ― 虚偽答弁の重み
春日井市の問題をより深く考えると、それは単に「水道検査を隠した」という技術的な問題にとどまりません。市議会という民主主義の中核が、虚偽答弁によって欺かれたという構造的な問題があります。
市長が令和5年の9月の市議会で「引き続き検査結果を公表しています」と発言した瞬間、議会は「市は隠していないのだ」と誤解させられました。これは議会制民主主義にとって致命的です。議会は市民の目線で行政をチェックする存在ですが、その前提となる「正しい情報」が与えられなければ、議論も判断も形骸化します。
また、議会の審議は公開され、市民もそれを前提に自らの意思形成を行います。議会で虚偽や誤導的な答弁が行われれば、住民は誤った事実を基に判断せざるを得なくなります。これは、住民の自己決定権の侵害に直結します。
さらに、このような虚偽答弁がまかり通れば、今後も同様のことが繰り返されかねません。「不都合なデータは見せない」「議会には都合のいい説明をする」という運用が常態化すれば、議会制民主主義そのものが空洞化します。今回のPFAS訴訟は、単なる環境問題の枠を超え、「議会制民主主義を守れるかどうか」という問いを社会に突き付けています。
4 この件で認められる、春日井市の憲法違反
春日井市の対応は、単なる条例違反や契約手続上の瑕疵にとどまらず、憲法の定める基本的人権に真正面から反するものでした。
第一に、**憲法21条(表現の自由・知る権利)**の侵害です。市は自ら作成した水質検査計画に「検査結果は公表する」と明記しておきながら、暫定基準値を超えた8月1日検査の結果を非公表としました。この行為は、市民が「自らの健康を守るために必要不可欠な情報」にアクセスする権利を奪い、知る権利を形骸化させたものにほかなりません。
第二に、**憲法25条(生存権)**の侵害です。安全な水を飲むことは生存の最低限度に直結します。市は危険を示す情報を隠すことで、市民が自主的に取水制限や浄水器使用など自己防衛を行う機会を失わせました。これは、行政が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべき義務を放棄したものといえます。
第三に、**憲法99条(憲法尊重擁護義務)**違反です。市長をはじめとする執行部は、国会議員や裁判官と同様に憲法を尊重し擁護する立場にあります。にもかかわらず、自ら定めた計画に背き、虚偽答弁によって議会統制をすり抜け、市民に虚偽の安全感を与えました。これは、憲法秩序そのものを揺るがす行為です。
以上のように、市の行為は単なる「行政の裁量権の逸脱」にとどまらず、憲法21条・25条・99条という、民主主義と市民生活を支える基本原理を同時に侵害したものです。この違憲性を直視しない限り、本件の本質は捉えられません。
まとめ ― 行政に求められる「正直さ」と「憲法遵守」
春日井PFAS訴訟が明らかにしたのは、行政にとって「正直さ」と「透明性」がいかに不可欠かということです。
市は自ら定めたルールを破り(裁量の逸脱)、都合の良い情報だけを選んで出し(説明責任違反)、議会に対しても誤導的な答弁を行い(民主主義の空洞化)、さらに財政規律まで歪めてしまいました。これは単なる手続き上の失敗ではなく、市民の知る権利と健康を奪い、憲法21条・25条・99条といった根本規範にも抵触する重大な問題です。
この問題は春日井市だけにとどまりません。全国の自治体が同じように「計画外」「別契約」といった言葉で都合の悪い事実を覆い隠すリスクを抱えているのです。司法がこの問題にどう判断を下すのかは、地方自治と立憲主義の未来に直結します。
そして、この訴訟の社会的インパクトは、判決が報道される瞬間に一気に広がる可能性があります。行政の不正や隠蔽は、市民にとって最も身近な「水」という命の基盤に関わるからです。新聞やテレビが取り上げれば、多くの人が「これは自分の町でも起こりうる」と直感的に理解し、行政への信頼や政治への関心が揺さぶられるでしょう。すでに公開されている裁判資料ページやSNSの発信は、その注目を受け止める受け皿となり、社会的な議論の場を広げるはずです。
市民の健康と命を守るには、行政が最も厳しい場面でこそ正直に情報を開示することが欠かせません。この訴訟は、その最低限の当たり前を司法に問い直し、行政に「憲法を守れ」という当たり前の要求を突きつけるものなのです。
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