派遣としての安定した働き方を模索して・・・・・ 2023/12/21
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
実は、今日、派遣での就業先が決まりました。母の膵臓癌の看病・・そして死から、私は、自分の人生の再設計を図るために動いてきました。
実は、その一番初めの計画が、「禅宗のお坊さんになる!」というもので、実行したのですが、その修行道場が、実は、とんでもない状況に陥っていた!ということで、頓挫してしまいました。
ですから、再度やり直しを図ったときに、プランの中に、「自営業を一旦廃業し、週40時間を働くことで、安定的に稼ぐ!」というのを入れて、派遣での就業で、とにかく一年でいいから、安定的に働いて収入を得て、プランの基盤を確立するための礎を作ろうと思いました。
実は、それが・・・「派遣社員として週40時間、働く!」ということなのです。
なぜ、派遣社員なのか? 自分の人生設計で、「派遣として働くこと!」をどのように活用していくのか、私なりの考え方を述べたいと思います。
~プロローグ~(なぜ、派遣で働こうとしたのか。)
※ちょっと長いです。
まずは、なぜ、私が派遣で働こうとしたのか、その前提のお話をします。
もともと、はらだよしひろさんは、何をしていたの?
私は、もともと、職場環境改善工房という屋号で、主に、ハラスメントの防止のコンサルタントを約10年間、自営でやっていました。(2013年3月開業、2023年11月廃業)
こういうことをするきっかけは、前職でハラスメントと1年間半闘ったことです。実は、この闘いを「本」として出版しています。「パワハラ地獄敢闘記」という本です。
この経験から、「やっぱり、世の中ハラスメント無くさないといけないなあ~」と思い、起業を思い立ったのです。
この、職場環境改善工房、①「企業コンサル」 ②「個人相談対応(ほぼ、無料)」の二つを軸に、実際のハラスメント現場を知っているコンサルタントとして、やっていました。
特に、ハラスメントの個人相談は、この10年で控えめに言って、1000件以上対応してきました。
ハラスメントの個人相談は、労働法の知識が豊富で、それを、心の底から納得できる解決に導くリアルなノウハウを持っていないと、できません。
実は、私が住んでいる東海地方で起こった、ニュースになるようなハラスメント事件でも、私は大なり小なり関わってまいりました。
恐らく、ハラスメントの現場での解決方法をリアルに知っていて、企業コンサルをしているケースはレアではなかったでしょうか?
しかし、私は、これを廃業することにしました。それは、自分の人生の中で、仕事を放ってでも向き合わなければいけないことがあったからです。
廃業のきっかけ:母が膵臓癌ステージⅣになり、命尽きるまで向き合ったこと。
実は、この日記を書いている、ほぼちょうど一年前の2022年12月12日、当時80歳であった、母が膵臓癌ステージⅣになっていることが分かりました。
母の意向、そして、担当医の見解(抗がん剤治療は年齢から言って体力的にも難しい)も踏まえ、私は母を幸せに死なせる!という決意をしたのです。
要は、家族が常に一緒にいて、最後までそばにいて、看取る!ということです。
実際に、私は、このような理念を立てました。
母を幸せに死なせる指針
理念
母が幸せ実感をもって、死を迎える
指針
- 【母が】自宅で生を終える。
- 母に苦痛を感じさせない環境づくりに、邁進する。
- 家族と母が、触れ合える状況をできるだけ多く創る
- 母が余生を穏やかに過ごせる環境を創る。
家族が癌になったら。母がすい臓がんステージⅣになった経験から思うこと。 - はらだよしひろ(原田芳裕)のページ (pawaharasoudan.jp) から
本当に、これを実行し、2023年6月22日 母は、自宅で亡くなりました。その時の最後の1か月ほどを記録したのが、このブログです。
実際にこれをやってみて、感じたのは、「一日一日、キチンとそばにいないと、できない」ということです。
ですから、私は、自分の自営業をほったらかしにして、母の看病に付き添ったのです。
母が亡くなった時、私の自営業としての売り上げはゼロになっていました。
しかし、大事な家族をキチンと看取ったのです。
生活をゼロから立ち直らせることを私は、はじめました。
【母の死後】安定して生活をするために必要なこと。
母の死からの再出発・・・・・自営業であった私の売り上げはゼロになった・・・・・
私は、自分の「稼ぐ環境づくり」についての整備も始めました。というより、自分が次の人生を歩んでいくための環境づくりです。
その為に、どうしても整理しておかないといけないことがありました。
- 父の財産の管理を姉弟でやっていくこと
- 父の世話をどうするか。
- 母の財産をどうするのか。
- 私自身の借金を一度精算し、廃業すること。
認知症の父(※父は特別養護老人ホームに入所中)の名義の財産等を子供たちが共同で管理していく体制を作っていくことが課題でした。
膵臓癌発覚前までは、父の財産は母が管理していましたが、癌発覚以降は、私が管理するようになりました。
しかし、後々の財産争いを防ぐためにも、母の遺産相続を含め、姉弟(姉二人、私)3人で父の財産を管理する必要があると考え、整理しました。
それに、私の本音を言ってしまえば、父の財産や、母の遺産に関わる、全てのもの(通帳・権利書など)を私だけが知っているということは、とても危険だと感じていたのです。正直、お金の在りかが分かってしまっているが故に、私が手を出してしまう可能性は出て来る・・・と感じていたので、それらを全て、姉にも伝えて、3人で共同で管理する状況にしました。
おかげさまで、姉たちも協力してくれて、私が勝手に父の通帳などから、自分のところにお金を入れることはできない状況になりました(これが、一番ホッとしています)。
あと、これに付随して、今住んでいる家(父の名義)に、家賃無しで住めることも確定しました。
また、自営業をやっていた関係で、少し借金もありました。それをキチンと精算し、借金ゼロのところから、スタートをし始めないと、借金返済で苦しみながら、生活をしなければいけません。
ただでさえ、売り上げゼロで、借金を抱えて自営業を継続するのは、安定した生活が営むことができない!ということで、この借金も精算することにしました。
これらをキチンと整理して、最低限の出発ができる環境を整えました。
・・・そして、なんと、禅僧になろうとしたのですが・・・・思いがけず頓挫しました。
それは置いといて、いずれにせよ、再出発ができる環境は整ったのです。
安定して生活するための「働く条件」
~最低賃金、夜勤無し、フルタイム~
そうなると、今度は安定して生活するために、必要な「お金を稼ぐ」環境の設定が必要になります。
ここで、私自身、いろいろ計算したのですが・・・・・・
最低賃金で、フルタイムでも、最低限の生活はできる!
という結論に至りました。
もともと、私が住んでいる春日井市の西部は、働き場所は身近に結構あるのです。平野で、製造業の工場なども結構あります。それに、春日井は区画整理率が高いこともあり、私の家の周辺300メートル以内に、スーパー、薬局、ダイソー、酒屋、テニススクール、病院、中学校、老健施設・・・など、生活・介護に関わるほとんどの環境があるという状況なのです。
ですから、私が設定した「働く条件」は、
- フルタイムで働く(日中のみ 一日8時間 週5日)
- 家から自転車で20分以内で行けるところ。
でした。私の場合、家賃がかからないのが大きくて、フルタイムで働けば、余裕を持った生活はできる環境でもあるのです。
こうした環境で、「無理してまで、稼ぐ必要も無い!」ということで、夜勤があるようなところは選択肢から排除しました。人生のやり直しなのですから、身体を壊すような働き方は、しない!というプラン立ても必要です。
それに、自分の将来の為に使う時間も必要です。無理して稼ぐ必要が無いのであれば、自分の時間をつくる必要もあるのです。
派遣でも、安定した働き方できるんじゃないか!?
そうして、職を探し始めたのですが、だんだんと分かってきたのが、「派遣の方が、実は職が探しやすいのでは?」ということです。
派遣は、不安定な働き方!と言われてきました。しかし、派遣を巡って様々な問題が起き、法改正などもされ、派遣法自体が、ものすごく縛りの強い法律になってきています。残業の部分も、正社員と同じ、月45時間を超えるようなことができなくなってきており、むしろ、日勤でフルタイムで非正規を選ぼうとするなら、選びやすい就労形態だとも言えるのです。
これは、私自身が、ハラスメント解決の専門家として、派遣法の改正の経緯を見てきたから、気づいたことなのですが、労働法の知識を実践レベルで知っていれば、派遣で働いても、安定した働き方ができるのでは?と思ったのです。
これは、もし、派遣先で何かトラブルが起きても、法を知っていれば、対応ができるということです。
ましてや、最低賃金も1000円を超えて(愛知は1023円)、慢性的な人手不足、しかも、派遣法の縛りがかなりきつくなっている以上、派遣でも安定した働き方はできると思ったのです。
実際に、探してみると・・・・分かったことが、
- 直雇用のパート・アルバイト・・・・時給1050円ぐらい
- 派遣での求人・・・・・・時給1200円以上が多い。
ということでした。なぜ、派遣の方が時給が高いのか。それは、人を欲している企業が、自分たちで探すよりも、派遣を通したほうが人を確保しやすいというメリットがあると思います。そのためには、最低賃金ギリギリではなく、それを少し上回る程度の賃金をだすことは止むを得なくなってきている。ということなのだと思います。
上手くやれば、派遣で働くことも、人生設計のために活用することはありだと思います。
おかげさまで、私は目論見通り、家からわずか5分のところで、派遣先を見つけることができました。
はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。
私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。