尾張から見た春日井市― 名古屋の「となり町」を越えた、境界と流通の文化都市 ―
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
愛知県春日井市というと、多くの人がまず思い浮かべるのは「名古屋のベッドタウン」「サボテンの町」かもしれません。地図を眺めてみると、春日井市は愛知県の中で尾張地方東部に位置し、名古屋市の北東にぴったり寄り添うように広がっています。city.kasugai.lg.jp
けれど、「尾張」という視点で春日井を見直してみると、単なるベッドタウンではない、**境界性と中継性に満ちた「尾張文化の縮図」**としての姿が浮かび上がってきます。今日は、そのあたりを私なりに整理してみたいと思います。
目次
1 「尾張の北東端」という境界性
まず押さえておきたいのは、春日井市の地形と位置関係です。
春日井の北部から東部にかけては、弥勒山・道樹山など標高400m前後の山地が連なり、その向こうはもう岐阜県多治見市側の盆地へと続きます。一方、西側に向かうほど標高は下がり、庄内川を経て名古屋の平野部へとつながっていく、典型的な「東高西低」の地形です。city.kasugai.lg.jp
この配置は、そのまま文化・経済圏の境界を示しています。東側には木曽川水系・中山道方面を通じた「木曽・信州」の香りが漂い、西側には熱田・名古屋を中心とする「尾張商人・町人文化」が広がる。春日井はちょうどその接点に立っているのです。
- 山地側には、古くからの信仰の場としての内々神社(内津)や、山里の暮らしと結びついた文化が残る。city.kasugai.lg.jp
- 平野側には、勝川・味美・小野といった宿場・集落が連なり、名古屋城下との往来が盛んだった。
尾張の中でも、春日井は**「尾張」と「木曽・東山」をつなぐ境界の町**として発展してきた、と言えるでしょう。
2 古代から続く「条里制」と安食荘の記憶
春日井の「尾張らしさ」を語るうえで欠かせないのが、**勝川周辺に広がっていた安食荘(あじきのしょう)**です。
平安末期〜中世にかけて、春日井一帯には醍醐寺領の荘園・安食荘が広がっていました。その絵図を分析した研究によれば、荘園の境界線が直線的に引かれており、条里制に基づく区画が前提になっている可能性が高いとされています。city.kasugai.lg.jp+1
さらに、この安食荘絵図には「柏井」「味鏡(味美)」などの地名が記されており、現在の勝川地域東部が荘園の中核をなしていたと推定されています。city.kasugai.lg.jp
ここから見えてくるのは、春日井がかなり早い段階から計画的に区画された「条里の地」だったということです。
条里制は、古代国家が税収と支配を効率よく行うための「土地の方眼紙」のようなものですから、春日井は早くから政治・経済のシステムに組み込まれた土地だったとも言えます。
つまり、春日井の農村景観・道の通り方・集落の位置は、尾張の古代国家体制の記憶を色濃く残している。
勝川周辺の何気ない区画や地名の背後には、「条里制×荘園×尾張」という歴史のレイヤーが重なっているのです。
3 上街道・下街道と「中継地・勝川」
尾張文化の大きな特徴のひとつに、「道と流通」によって栄えてきた地域であることがあります。その象徴が、春日井を縦断する上街道・下街道です。
上街道(かみかいどう)
上街道は、名古屋城下から北へ伸び、小牧・犬山を経て中山道へつながる重要な往還でした。現在の春日井市域では、味鋺原から味美を通って北へ進み、航空自衛隊小牧基地の西側をかすめながら、安藤家のある下屋敷などを経て伸びていきます。Network2010+1
このルート沿いには、
- 一里塚
- 芭蕉の句碑や常夜灯
- 豪農・庄屋として栄えた安藤家(徳川慶勝が御小休に立ち寄った屋敷)city.kasugai.lg.jp
などが点在し、旅と信仰と物流が一体化した尾張街道文化が、今も痕跡を残しています。
下街道(したかいどう)と勝川宿
一方、名古屋城下から善光寺・木曽方面へ向かうルートとして栄えたのが下街道です。江戸時代、この道は名古屋伝馬町から大曽根・山田・瀬古を経て庄内川を渡り、勝川宿に入っていきました。city.kasugai.lg.jp
勝川宿は、
- 北へは小牧街道
- 東へは大草道
- 西へは名古屋城下
という交通のハブであり、商人たちや伊勢・善光寺参りの旅人で賑わう「尾張北部の中継拠点」だったとされています。city.kasugai.lg.jp
この「中継地・勝川」の性格は、現代にも受け継がれています。
JR中央本線や国道19号、名古屋第二環状自動車道が集まり、2010年代の再開発で駅前にはホテルや商業施設、マンションが立ち並ぶ一方、その足元には昔ながらの商店街が残る。
都会的な玄関口と、下町的な通りの混在――
これはまさに、尾張の町人文化が得意とする「新旧ごちゃまぜの心地よさ」であり、勝川という場所が、今もなお「人・モノ・情報が行き交う結節点」であり続けていることの証拠だと感じます。
4 尾張らしい「ものづくり」と果樹栽培
尾張文化のもうひとつの柱は、**現実的で手堅い「ものづくり」**です。名古屋や瀬戸、美濃との間に立つ春日井も、そのネットワークの一部として発展してきました。
古くて新しい「農と工」のまち
春日井北部〜東部の丘陵地は、古くから果樹栽培に適した土地として開発されてきました。郷土誌の調査によれば、**桃山(田楽原)**と呼ばれる一帯が、市内における桃栽培の発祥地とされており、明治30年ごろに海部郡から入植した伊藤亮治郎氏が桃を植え始めたのがきっかけとされています。city.kasugai.lg.jp+1
桃の後にはぶどう・柿なども盛んになり、春日井は果樹園の広がる丘陵都市としての顔を持つようになります。
その一方で、戦時期には上街道沿いがゼロ戦の部品輸送路として使われたり、戦後には名古屋工業地帯と多治見・瀬戸の陶磁器産地を結ぶ物流の要衝としても機能し、現代では自動車関連産業や機械金属など、尾張らしい「ものづくり産業」の集積地となっていきます。
農と工が共存し、そこに交通・物流が乗る――
これはまさに、尾張経済文化の典型的なパターンであり、その一モデルケースとして春日井を位置づけることができるでしょう。
5 古代から続く「祈り」と文化財
尾張というと、どうしても商業・町人文化のイメージが強くなりがちですが、その基盤には古代からの信仰と祭祀の歴史があります。春日井の文化財を見ていくと、この点がよくわかります。
- 味美二子山古墳:全長90mを超える前方後円墳で、国指定史跡。尾張における有力首長の存在を物語る。city.kasugai.lg.jp
- 密蔵院(熊野町):重要文化財の多宝塔などを有する古刹。city.kasugai.lg.jp
- 内々神社(内津町):日本武尊伝説が伝わる古社で、山と水の信仰が色濃く残る。city.kasugai.lg.jp
これらは、春日井が尾張の古代祭祀・宗教文化の北東拠点であったことを示しています。
面白いのは、こうした信仰の拠点が、今お話ししてきた街道・荘園・丘陵農地と、地理的にもいい具合に連関していることです。
- 古墳 → 古代の政治・祭祀の中心
- 荘園(安食荘) → 中世の経済・土地支配の単位
- 上街道・下街道 → 近世の交通・流通の要
- 勝川の再開発 → 現代の都市生活の中心
時代ごとの「中心」が、少しずつ場所をずらしながらも、春日井という一つのエリアの中で受け継がれている。その全体像を俯瞰したとき、**春日井こそが「尾張文化のタイムカプセル」**なのではないか、と感じます。
6 「合理性・庶民性・革新性」という尾張気質の凝縮
最後に、「人」の側から春日井文化を眺めてみます。
私の実感として、春日井の人たちには、次のような気質が見え隠れします。
- 合理的で段取りを大事にする(条里制や街路計画、インフラ整備に通じる感覚)
- 庶民的で気さく(商店街・祭り・地蔵講など、地域コミュニティの濃さ)
- 新しいものを柔軟に取り入れる(勝川駅前の再開発や、住民主導のまちづくりなど)
これはそのまま、尾張全体に見られる「町人文化の精神」を、コンパクトに凝縮した姿だと思います。
名古屋ほど大都市ではなく、犬山や瀬戸のように「観光地」として名が通っているわけでもない。その分、春日井は生活と歴史と産業がほどよく混ざり合った、地に足の着いた尾張文化を、今も自然体で保っているように見えます。
おわりに:春日井は「尾張の縮図」であり、これからを映す鏡でもある
こうして見てくると、春日井市は
- 古代:条里制と古墳
- 中世:荘園・安食荘
- 近世:上街道・下街道と勝川宿
- 近代〜現代:果樹栽培・工業と交通ネットワーク
- 現在:再開発された駅前と、残る下町・社寺・文化財
といったレイヤーが重なり合う、**「尾張の歴史文化の見本市」**のような場所だとわかります。
名古屋という大都市の陰に隠れがちな春日井ですが、「尾張」という広いレンズを通して眺めると、
むしろ尾張文化のエッセンスをバランスよく内包した都市として、とても面白いポジションにいるのではないでしょうか。
これから人口構成や産業構造が変わっていく中で、
古代から続く「境界」と「中継」の記憶をどう活かすのか。
春日井は、尾張の過去を映す鏡であると同時に、
尾張の未来を試す実験場でもある――
そんなことを感じながら、上街道や勝川の街並みを歩いてみると、また違った風景が見えてくるはずです。
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