「田んぼの中干し」に興味を持ったので、その歴史・科学的効能を具体的に調べてみた
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
先日、近所の掲示板を見ていたら、「水田の中干し」というお知らせが貼られていた。

令和8年7月19日から26日まで、田んぼへの通水をいったん止めるという内容である。天候によって期間が変わることや、中干しの終了後には通水を再開することも書かれていた。
田んぼというものは、稲を育てている間は、ずっと水を張っておくものだと思っていた。しかし、実際には、稲の生育途中で水を抜き、田んぼの土を意図的に乾かす時期がある。
なぜ、わざわざ水を抜くのだろうか。
最初は、土を固くして、収穫のときに機械が入りやすくするためなのだろうと思った。確かにそれも重要な目的の一つである。しかし調べていくと、中干しは、単に田んぼを乾燥させる作業ではなかった。
土の中の酸素、微生物、鉄、硫化水素、窒素、稲の根、茎の本数、メタンの発生、さらには農業用水の配分までを調節する、非常に複合的な栽培技術だったのである。
さらに、その歴史をたどってみると、中干しは、古代から変わらず行われてきた単純な伝統農法でもなかった。
江戸時代までには一部の地域で行われていたが、戦前には全国共通の技術ではなく、戦後の土地改良、圃場整備、農業研究、肥料や農薬の普及などを背景として、急速に全国へ広がった技術だった。
田んぼの掲示板に貼られた一枚のお知らせから、日本の稲作の科学と近代化の歴史が見えてきたので、具体的に整理してみたい。
目次
1 水田の中干しって何?
中干ししてない田んぼ

中干ししている田んぼ

中干しとは、稲がある程度まで成長した段階で、田んぼへの給水を止め、いったん水を抜いて土を乾かす水管理のことである。
農業土木の定義では、稲の栄養成長期のうち、最高分げつ期を過ぎ、分げつの停止期に近づいたころに落水し、水田を一時的に畑のような状態にする操作とされている。一般には田植えから約1か月後、有効な茎の数がほぼ確保され、これ以上新しい茎を増やす必要が少なくなった時期に行われる。
「分げつ」とは、稲の根元から新しい茎が枝分かれするように出てくる現象である。
田植えされた一本一本の苗は、そのまま一本の茎として育つわけではない。成長するにつれて根元から新しい茎を出し、一株の中に多数の茎を形成する。その中の一定数が、最終的に穂をつける有効な茎になる。
したがって、生育の前半には、ある程度まで分げつを進めなければならない。しかし、必要な本数を超えて茎が増え続けると、穂をつけない「無効分げつ」が多くなる。
中干しは、必要な茎数を確保したところで、水分や窒素の吸収をいったん弱め、それ以上の過剰な分げつを抑える操作でもある。
中干しの期間は、どの田んぼでも一律ではない。
JA全農大阪の一般的な栽培指導では、一株当たりの茎数が約20本になったころ、田植え後30~35日程度を目安として、5~7日間ほど行うことが示されている。しかし、実際の期間は、地域の気温、土質、排水性、品種、田植えの時期、その年の天候などによって変わる。
暖かい地域では20日を超える比較的強い中干しが行われる場合がある一方、北海道では数日程度にとどめることが指導されてきた。つまり「7月になったから一週間乾かす」という単純な暦上の作業ではなく、稲の生育状態と土地条件を見ながら行う作業なのである。
また、中干しは田んぼを完全に干上がらせることを目的としているわけではない。
田面に小さな亀裂が入り、足跡が軽く残る程度まで乾かすのが一般的な目安とされる。大きく深い亀裂が入るほど乾かすと、稲の根が切れたり、再び水を入れたときに漏水しやすくなったりする。中干しは、強ければ強いほどよいものではない。

2 どういう目的でやるの?
中干しには、大きく分けて五つの目的がある。
第一は、過剰な分げつを抑えること。
第二は、稲の根が活動しやすい土壌環境をつくること。
第三は、窒素の効きすぎを抑え、稲の成長を適正化すること。
第四は、稲を倒れにくくすること。
第五は、田面を固くし、農作業や収穫をしやすくすることである。
必要な茎だけを残す
稲の収量を増やすためには、一定数の穂を確保する必要がある。そのため、生育前半には分げつを促す。
しかし、茎が多ければ多いほど米が多く取れるわけではない。
遅く出てきた茎は十分な穂を形成できず、穂をつけても籾の数が少なかったり、登熟が遅れたりする。茎が密集しすぎると、株の内部まで光や風が入りにくくなり、病害が起こりやすくなる。
また、多数の茎が同じ株の根や葉から栄養を奪い合うため、一つ一つの茎が細く弱くなりやすい。
そこで、必要な有効茎数が確保された段階で水を抜き、分げつの勢いを弱める。これは、穂になりそうな茎へ水分・養分・光合成産物を集中させるための調整である。
根を守る
水を張り続けた田んぼの土は、空気との接触が少なくなり、内部の酸素が不足する。
稲は水田に適応した植物なので、葉や茎から根へ酸素を運ぶ通気組織を持っている。しかし、土壌の還元状態があまりに強くなれば、稲自身の酸素輸送だけでは対応できなくなる。
中干しによって土壌へ空気を入れ、根の周囲の状態を改善することは、根腐れや根の早期老化を防ぎ、登熟期まで根の働きを維持することにつながる。
農林水産省の暗渠排水に関する技術資料でも、適度な透水性のある水田では古い根の活力が維持されやすい一方、排水不良田では根の老化が早く、硫化水素、二価鉄、有機酸などによる異常な根が発生しやすいと説明されている。
稲の成長を「止める」のではなく「整える」
中干しは、一時的に稲へ水分ストレスを与える。
しかし、その目的は稲を弱らせることではない。生育前半の「茎や葉を増やす段階」から、生育後半の「穂をつくり、籾を実らせる段階」へ、成長の重点を切り替えるためである。
人間に例えれば、成長を止めるのではなく、体を大きくする時期から、中身を充実させる時期へ切り替えるようなものだろう。
適切な中干しをすると、稲が必要以上に背高く伸びることや、茎が密集することが抑えられる。茎の基部も充実し、風雨による倒伏を防ぎやすくなる。
土を固め、機械が入れる状態にする
田んぼの土は、水を多く含むと非常に軟らかい。
排水して乾燥させると、土壌粒子の間から水が抜け、土が収縮する。小さな亀裂が生じ、田面の支持力が高まる。
これにより、農家が田んぼの中を歩きやすくなり、後の管理作業も容易になる。秋にはコンバインなどの収穫機械が沈みにくくなる。
現在では、機械のために田面を固めることも大きな目的である。ただし、中干しという技術そのものは大型機械が普及する以前から存在していたので、これだけが本来の目的ではない。
中干しには、稲の生理を調整する目的と、田んぼの物理状態を改善する目的の両方がある。

3 科学的に「中干し」はどのように説明できる?
中干しの仕組みを科学的に理解するためには、水を張った田んぼの土の中で何が起こっているのかを考える必要がある。
水を張ると、土壌は酸素不足になる
水田に水を張ると、土の隙間、すなわち孔隙が水で満たされる。
水の中では、空気中と比べて酸素が移動しにくい。土壌表面から供給された酸素も、植物の根や微生物の呼吸によって消費されるため、湛水後の土壌内部は次第に酸素不足になる。
酸素がほとんど存在しなくなると、土壌中の微生物は、酸素の代わりになる物質を順番に利用して有機物を分解する。
硝酸、マンガン化合物、三価鉄、硫酸などが利用され、土壌は次第に「還元状態」へ移行する。
この状態は、酸化還元電位、英語でRedox potentialと呼ばれるEhで表される。農林水産省の資料では、Ehが300ミリボルト以下になると還元的になり、三価鉄が二価鉄へ変化し始める。さらに電位が下がれば、より強い還元状態になると説明されている。
土壌がある程度還元されることは、稲にとって必ずしも悪いことではない。リンなどの養分が溶けやすくなり、稲が利用しやすくなる面もある。
しかし、還元が強くなりすぎると、二価鉄、有機酸、硫化水素などが増加し、根の働きを阻害する。
特に硫化水素は、根の呼吸や養分吸収を妨げる。水田で昔から「秋落ち」と呼ばれてきた、生育後半に稲の勢いが急に衰える現象にも、過度な還元と硫化水素の生成が関係している。
稲には水田で生きる仕組みがある
稲が水を張った田んぼで生育できるのは、体内に「通気組織」を持っているからである。
葉や茎から取り込まれた酸素は、植物内部の空気の通り道を通って根まで運ばれる。根の周囲へ放出された酸素は、根の表面に薄い酸化層を形成し、還元物質から根を守る。
しかし、この能力にも限界がある。
土壌の還元が強くなり、硫化水素や有機酸が多量に発生すると、根の先端や分岐根が傷む。活発な根は白色に近いが、還元障害を受けた根は黒色や赤褐色に変化し、養分や水分を吸収する能力が低下する。
中干しによって土壌へ酸素を入れることは、稲が自分の体内から運ぶ酸素を補助し、根の周囲の化学的環境を回復させる意味を持つ。
中干しは土壌を酸化側へ戻す
田んぼの水を排出すると、土の表面や亀裂から空気が入り始める。
酸素が入ると、土壌のEhは上昇し、強い還元状態が緩和される。
二価鉄の一部は酸化され、硫化水素や硫化物も酸化される。有機酸の分解も進み、根にとって有害な物質が蓄積しにくくなる。
つまり、中干しは土壌を完全な畑の状態へ変えるのではなく、還元側へ傾きすぎた水田土壌を、一時的に酸化側へ引き戻す操作である。
農林水産省の技術資料も、暗渠排水の整備によって中干し時の酸素供給が容易になり、土壌の過度な還元を抑制できるとしている。
窒素の形と吸収も変わる
湛水状態の水田では、土壌中の窒素は主としてアンモニウムイオン、NH₄⁺の形で存在する。稲はこのアンモニウム態窒素をよく利用する。
排水して酸素が入ると、硝化菌の働きによって、アンモニウムの一部が亜硝酸を経て硝酸、NO₃⁻へ変化する。
それと同時に、土が乾燥することで根の吸水や窒素吸収も一時的に弱くなる。その結果、葉や茎の過度な成長が抑えられ、分げつの増加速度も低下する。
再び水を張れば、一部の硝酸は脱窒菌によって窒素ガスへ変換され、空気中へ失われることもある。
したがって中干しは、肥料を増やす技術ではない。窒素が効きすぎる状態を一時的に弱め、稲の栄養成長を適正な水準へ戻す技術である。
これは、化学肥料が普及し、窒素を多く施す稲作が一般化するほど重要になったと考えられる。窒素が多すぎれば、茎葉が過繁茂し、倒伏や病害の危険も高くなるからである。
メタンの発生を抑える
湛水した水田では、酸素がほとんどない強い嫌気状態になると、メタン生成菌が有機物を分解してメタンを発生させる。
稲わらや根などの有機物がメタン生成菌の材料となる。発生したメタンの一部は泡となって水面から放出されるが、かなりの部分は稲の通気組織を通って大気中へ移動する。
中干しで酸素が供給されると、メタン生成菌の活動が抑えられる。また、すでにできたメタンの一部は、メタン酸化菌によって二酸化炭素へ酸化される。
このため現在では、中干しは稲の栽培技術だけでなく、温室効果ガスを減らす技術としても注目されている。
農研機構が全国8県の試験結果をまとめたところ、各地域で行われている通常の中干し期間を約一週間延長すると、水田からのメタン発生量が平均約30%減少した。ただし、乾燥期間を過度に延ばすと収量が減少する可能性があり、田の状態や稲の生育を見ながら行う必要がある。
ここでも、中干しは強ければ強いほどよいわけではない。
根を健全にし、過剰な分げつを抑え、メタンを減らす一方で、乾燥が強すぎれば根を傷め、穂数や籾数を減らす可能性がある。中干しとは、土壌と稲の状態を見ながら、適度なところへ調整する技術なのである。

4 気候変動対策として注目されている「中干し」の技術
中干しは、もともと稲の過剰な分げつを抑え、根の働きを維持し、田面を固めるために発達してきた栽培技術である。
しかし近年では、これまでとは別の観点からも注目されている。
それが、水田から発生するメタンを減らす気候変動対策としての役割である。
ここで正確に区別しておきたいのは、通常の中干しを行うこと自体というよりも、地域で従来行われてきた中干しの期間を、稲の生育に支障が出ない範囲で延長する技術が、温室効果ガスの削減策として評価されているという点である。
水田はなぜメタンを発生させるのか
水田に水を張り続けると、土の隙間が水で満たされ、土壌内部へ酸素が届きにくくなる。
土の中に残っていた酸素も、植物の根や微生物の呼吸によって次第に消費される。その結果、土壌は酸素の乏しい嫌気的な状態になる。
このような環境では、メタン生成菌と呼ばれる微生物が活動する。
メタン生成菌は、稲わら、稲の根、堆肥などに含まれる有機物が、ほかの微生物によって分解されてできた物質を利用し、メタンを発生させる。
発生したメタンは、土の中にとどまり続けるわけではない。
気泡となって水面から出るものもあれば、水中を拡散して放出されるものもある。さらに、かなりの部分は、稲が葉から根へ酸素を運ぶために備えている通気組織を、逆方向に通って大気中へ放出される。
稲にとって必要な「酸素の通り道」が、土壌で発生したメタンにとっても、大気へ出ていく通路になっているのである。
農林水産省は、水田からのメタン排出が、日本全体のメタン排出量のおよそ4割を占めるとして、その削減を重要な温暖化対策に位置づけている。
中干しを延長すると、なぜメタンが減るのか
中干しによって田んぼの水を抜くと、土の表面や亀裂から空気が入り、土壌中へ酸素が供給される。
酸素のある環境では、嫌気性微生物であるメタン生成菌の活動が抑えられる。また、すでに土壌中で発生したメタンの一部は、メタン酸化菌によって酸化される。
したがって、田んぼが湛水されている期間を短くし、土壌が空気に触れる期間を長くすれば、栽培期間全体を通じたメタン排出量を減らすことができる。
農研機構が全国8県の試験結果をまとめたところ、それぞれの地域で通常行われている中干しを、おおむね一週間延長することによって、水田からのメタン発生量が平均約30%削減された。中干し後に湛水と落水を繰り返す間断灌漑と組み合わせることで、さらに削減効果を期待できるとされている。
これは、新しい施設や大規模な機械を必ずしも導入しなくても、従来から行われてきた水管理の期間を調節することで温室効果ガスを減らせる、という点で特徴的である。
言い換えれば、農民が長い時間をかけて蓄積してきた栽培技術を、現代の土壌学や微生物学によって捉え直し、気候変動対策として応用したものなのである。
J-クレジットの対象になった中干し期間の延長
2023年3月には、「水稲栽培における中干し期間の延長」が、国のJ-クレジット制度における方法論として承認された。
J-クレジット制度とは、温室効果ガスの排出削減量や森林などによる吸収量を国が認証し、「クレジット」として取引できるようにする制度である。
中干しの方法論では、原則として、その水田における直近2年以上の中干し日数の平均と比べ、7日間以上延長することが要件となる。実施した水田の面積、中干しの開始日と終了日、稲わらや堆肥などの有機物の施用状況などを記録し、所定の審査を経た上で、メタンの削減量に相当するクレジットの認証を受ける仕組みである。
これは、農家が米を生産するだけでなく、温室効果ガスを減らすという環境上の価値も生み出し、その価値に経済的な評価を与えようとする取り組みである。
従来の農業政策では、農家の仕事は、主として農産物の生産量や品質によって評価されてきた。しかし、中干しによるJ-クレジットは、
田んぼを適切に管理し、メタンを減らすこと自体にも社会的な価値がある
という考え方を制度化したものだと言える。
中干しを長くすればよい、という単純な話ではない
もっとも、温室効果ガスを減らすために、中干しを無制限に長くすればよいわけではない。
中干しが早すぎたり、乾燥が強すぎたりすると、必要な有効茎数を確保できず、穂数が不足するおそれがある。幼穂形成期に水不足が起これば、籾数や登熟、最終的な収量へ影響する可能性もある。
粘土質で排水の悪い田と、砂質で水が抜けやすい田とでは、同じ日数でも乾燥の程度がまったく違う。高温で雨の少ない年と、曇天や降雨の多い年でも条件は変わる。
いったん水を抜いた後に、確実に再給水できるかどうかも重要である。水不足の地域では、中干しを延長した結果、その後に必要な水を入れられなくなる危険もある。
農研機構も、中干しの適切な延長にはメタン削減だけでなく、場合によっては米の品質向上などが期待できる一方、過度な延長によって収量が低下する可能性があるため、地域の栽培基準や生育状況を踏まえて判断する必要があるとしている。
また、水田は米を生産する場所であると同時に、カエル、オタマジャクシ、ドジョウ、水生昆虫などが生息する人工的な湿地でもある。
中干しを長くすれば、水の中で生活する生物が成長する前に田んぼが乾燥し、生息場所が失われることがある。メタン削減のための中干し延長と、水田の生物多様性を守るための水管理が、常に同じ方向を向くとは限らない。
したがって、中干しの延長を気候変動対策として進める際には、
- メタンをどれだけ減らせるか
- 稲の収量や品質に影響しないか
- 再給水できる水利条件があるか
- 水生生物の生息時期と重ならないか
- 農家の記録・管理負担に見合うか
を総合的に検討しなければならない。
昔からの技術が、現代的な意味を持ち始めた
中干しは、気候変動対策として新たに発明された技術ではない。
もともとは、土壌の過度な還元を抑え、根を健全にし、分げつを調節し、田面を固めるために行われてきた。
ところが、土壌中の微生物と温室効果ガスの関係が明らかになったことで、中干しには「メタンの排出を抑える」という別の意味があることが分かってきた。
農研機構は、中干し期間の延長について、従来の農法を少し改良することで導入できる技術として確立し、J-クレジットの方法論化を通じて社会への普及を進めている。
そこには興味深い歴史の循環がある。
江戸時代の農民が経験的に行っていた「土用干し」が、戦後に科学的な栽培技術として全国へ広がり、さらに現在では、地球規模の気候変動へ対応する技術として再評価されている。
中干しとは、伝統農法と近代農学、戦後の土地改良、そして現代の環境政策をつなぐ技術なのである。
5 中干しの技術は、どのように始まり、どのように広がっていった? 地域差も含めて
中干しが日本でいつ始まったのかは、正確には分かっていない。
日本列島では弥生時代から水田に水を入れたり、排出したりする水管理が行われていた。しかし、稲の分げつが一定数に達した時期を見計らい、計画的に田を乾かしてから再び水を入れるという、現在の中干しと同じ管理が行われていたことを示す直接的な証拠は確認されていない。
農村工学研究所の研究では、江戸時代の複数の農書に中干しの記述があることから、遅くとも江戸時代には一部地域で行われていたとされている。当時は夏の土用のころに田を干すことから、「土用干し」と呼ばれることも多かった。
当時の農民が、酸化還元電位やメタン生成菌という言葉を知っていたわけではない。
しかし、田んぼを水に浸したままにしておくと、根の色や稲の勢いが悪くなること、茎が増えすぎると穂が十分に実らないこと、一度乾かすとその後の稲の生育がよくなることなどを、経験的に把握していたのだろう。
長年の観察を通じて、現象と結果の関係をつかみ、それを農作業として伝承してきたのである。
戦前には全国共通の農法ではなかった
1933年に農林省農務局がまとめた『水稲及陸稲耕種要綱』を後に分析した研究によると、当時「土用干し」が記録されていたのは22県だった。
つまり、昭和初期にはかなり広い地域で知られていたものの、全国一律の標準農法ではなかった。戦前には、用水が豊富で、いったん水を抜いても再び確実に入れられる一部地域に限られていたとされる。
全国18地区について、各時期に用いられていた稲作技術を調査した資料では、中干しを実施していた地区は、1940年には5地区、1955年には10地区、1965年には12地区へ増えている。1975年も12地区だった。数字からも、戦前には限定的だったものが、戦後に急速に広がったことが分かる。
中干しには「排水」と「再給水」の両方が必要
中干しは、単に田んぼの栓を抜けばできるわけではない。
まず余分な水を排出できなければならない。ところが、低湿地や地下水位の高い田では、排水口を開けても水が抜けず、土が乾かない。
反対に、水持ちの悪い田や水不足地域では、一度水を抜いたら、再び必要な量の水を入れられない危険がある。
中干しを行うためには、
「必要な時期に水を抜けること」
と同時に、
「必要になったら確実に水を戻せること」
の両方が必要なのである。
しかも、昔の田んぼでは、一つの水路が用水と排水を兼ねていたり、上流の田から流れ出た水を下流の田へ送る「田越しかんがい」が行われたりしていた。
この場合、一枚の田だけが自由に水を抜くことは難しい。上流から水が流れ込むこともあれば、下流の田へ水を送る責任があるため、自分の田だけ給水を止められないこともある。
中干しは、農家個人の判断だけで完結する作業ではなく、地域全体の水利慣行や共同管理に左右される技術でもあった。
地域によって普及率が大きく異なった
1966年の作物統計では、中干しを行った水田面積の割合は全国平均で59%だった。
地域別に見ると、北海道は2%、東北56%、北陸68%、関東51%、東山65%、東海69%、近畿65%、中国68%、四国67%、九州75%となっていた。北海道ではほとんど実施されていなかった一方、北海道以外では、すでに半分以上の水田で行われていた。
この地域差には、気温、土壌、水利条件が関係している。
北海道や東北北部では、稲の生育期間が短く、低温や冷害への対策が重要になる。水田の水には温度変化を和らげる働きもあるため、強い中干しより、深水管理や保温を優先しなければならない場合がある。
一方、暖かい地域では、生育期間が長く、稲が過剰に分げつしたり、土壌の還元が強くなったりしやすい。そのため、比較的長い中干しが行われる場合がある。農業土木の定義でも、中干しは暖地や排水不良地で特に有効とされている。
ただし、「暖かい西日本ほど必ず実施しやすい」と単純には言えない。
瀬戸内や四国の一部のように、降雨量が少なく、ため池や限られた用水へ依存する地域では、いったん水を抜くと再給水できない危険がある。逆に北陸のように水が豊富な地域でも、低湿地や重い粘土質の田では排水が難しく、干したくても干せない場合がある。
1966年の調査で、中干しを行わない理由として挙げられたのは、水掛かり不良田31%、排水不良田22%、中干しが不要13%、水利慣行10%、漏水田7%、労力事情6%、その他11%だった。水の入りにくさ、抜けにくさ、漏れやすさに関する理由だけで計60%を占めている。
これは、中干しの普及が農家の知識だけで決まったのではなく、用排水施設という物理的基盤に強く左右されていたことを示している。
中干しの普及と収穫の安定性
中干しを行っていた地域ほど、必ず米の収穫が安定していた、とまでは言えない。
冷害、洪水、旱ばつ、台風、病虫害など、中干しだけでは防げない要因が多数あるからである。
ただ、中干しを適切に行える田んぼは、
「水を抜ける」
「必要なときに水を戻せる」
「田ごとに水位を調節できる」
という条件を備えている。
したがって、中干しの実施率は、その地域で人間が水田の環境をどの程度制御できていたかを示す、一つの指標にはなる。
戦前までの稲作は、気候や地形、水利条件、村落の水利慣行に強く拘束されていた。中干しが行われるかどうかにも大きな地域差があり、それは収量や作柄の安定性に関わる地域差の一部を反映していたと考えられる。

6 戦後の農地改革がもたらした「中干し」の全国化
ここは、少し用語を厳密にして考える必要がある。
中干しを全国化した直接の事業は、「農地改革」そのものではない。
戦後の農地改革は、主として地主と小作人の関係を変え、小作地を耕作者へ移して、自作農を広く生み出す改革だった。
一方、田んぼの区画を変え、用水路と排水路を整え、農道を造り、暗渠排水を入れるのは、「土地改良」や「圃場整備」である。
したがって、より正確には、
農地改革を起点として、土地改良法、土地改良区、圃場整備、農業研究、普及指導が連動し、中干しの全国化を可能にした
という関係である。

農地改革は土地の「所有者」を変えた
戦前の日本農業には、地主が土地を所有し、小作人が小作料を納めながら耕作する構造が広く存在していた。
戦後の農地改革では、地主の農地を国が買い上げ、実際に耕作している農民へ売り渡した。これによって、多数の小作農が自作農となった。
しかし、所有関係が変わっても、田んぼの形や水路が自動的に変わるわけではない。
一戸の農家が所有する田が村内の何か所にも分散し、一枚一枚が小さく、曲がった畦で囲まれ、農道が狭く、排水路がないという状態は残った。
つまり農地改革は、
「誰が土地を所有するのか」
を大きく変えたが、
「その土地をどのような生産基盤として利用できるのか」
という問題は、土地改良に引き継がれたのである。
1949年の土地改良法
1949年には土地改良法が制定された。
この法律は、農地改革の民主化の流れを受け、自作農や耕作者が主体となって、用排水施設の整備、農道整備、区画整理、農地の集団化などを進める制度をつくった。
従来の土地所有者中心の水利・耕地整理組織から、耕作者を中心とする土地改良区へ制度を転換したことに大きな意味がある。
土地改良区は、農家が共同して農業用水路や排水施設を整備・管理する組織である。
水は土地の境界を越えて流れるため、一戸の農家だけで用水路や排水路を整備することはできない。上流から下流までを一つの地域として扱い、費用負担や水の配分について合意を形成する必要がある。
土地改良法は、一定地域の農家が申請し、受益者の同意を得て、地域全体の事業を実施する仕組みを整えた。1949年以降、かんがい施設の新設・改良・管理を法的な手続の下で行う体制が形成された。
敗戦直後は食料増産が最大の課題だった
敗戦直後の日本では、深刻な食料不足が起きていた。
戦争による生産力の低下、資材不足、1945年の水稲不作に加え、海外から多数の復員者・引揚者が帰国した。政府は緊急開拓、干拓、既耕地の土地改良を進め、まず食料の生産量を増やそうとした。
この時期の問題意識は、まず「より多くの米を安定して収穫すること」だった。
その中で、1949年から米作日本一表彰事業が始まった。農村工学研究所の研究によれば、1位となった農家はいずれも中干しを実施しており、これをきっかけに、水管理が多収技術として注目されるようになった。
さらに1956年から1960年ごろには、水田土壌の透水性と稲作収量の関係に関する研究が行われた。
それまで農民の経験として伝承されてきた「土用干し」が、根の活力、土壌の還元、分げつ、窒素吸収などとの関係から説明され、再現可能な農業技術として整理されていった。
農薬と肥料の普及も中干しを後押しした
戦後に中干しが広がった理由は、土地改良だけではない。
研究によれば、昭和20年代前半には除草剤2,4-Dの普及とともに中干しも広がったとされる。それまで田んぼの水管理は雑草の発生とも密接に関係しており、落水すれば雑草が増えやすいという問題があった。除草剤が使用できるようになると、雑草を抑えながら水を抜くことが容易になった。
また、化学肥料の普及によって窒素を多く施すようになると、稲が過剰に分げつし、茎葉が伸びすぎ、倒伏する危険も高まった。
中干しは、窒素の吸収を一時的に弱め、過繁茂を抑える技術として、以前より重要になった。
したがって中干しは、単なる昔ながらの自然農法ではない。
用水を比較的自由に使えること、排水できること、肥料による成長を調節する必要があること、雑草を別の方法で抑えられることなど、戦後の農業技術体系の中で大きく普及した技術なのである。
圃場整備が水田の構造そのものを変えた
高度経済成長が始まると、農村の若者が工場や都市へ移動し、兼業農家も増えた。
農業では、少ない人数でより広い面積を耕作する必要が生じた。小さく不整形な田んぼ、狭い農道、排水の悪い湿田では、トラクター、田植機、コンバインなどの機械を効率よく使うことができない。
そこで1963年に圃場整備事業が創設された。
当時は30アール、すなわちおおむね100メートル掛ける30メートルの長方形区画を標準として、田んぼの区画整理、用排水路、農道、換地処分を一体的に進めた。これにより、農地の機械化と集団化を進めようとしたのである。
圃場整備による変化は、田んぼを大きく四角くしたことだけではない。
重要なのは、用水路と排水路を分け、各田に取水口と排水口を設けたことである。
整備前の田んぼでは、上流の田から流れてきた水を下流へ送る田越しかんがいが多く、一枚ごとに水位を変えることが難しかった。
整備後には、それぞれの田で、
水を入れる。
水位を保つ。
水を抜く。
再び水を入れる。
という操作がしやすくなった。
さらに地下へ暗渠排水管を入れることで地下水位を下げ、湿田を乾きやすい田へ変えた。暗渠排水は、中干しによる土壌への酸素供給を容易にし、根の活力を維持する上でも重要な施設である。
つまり、中干しの全国化を支えた決定的な条件は、
農家が中干しの効能を知ったことだけではなく、必要な時期に排水し、その後に再び給水できる田んぼへ、水田そのものを造り替えたこと
だった。
1960年代には全国的な標準技術へ
こうした条件が重なり、1966年には全国の水田の59%で中干しが行われるまでになった。
北海道を除けば、全地域で実施率が50%を超えている。戦前には用水条件に恵まれた一部地域の「土用干し」だったものが、戦後約20年間で全国的な標準技術へ変わったのである。
日本の水稲の単位面積当たり収量は、品種改良、肥料、農薬、水利改良、圃場整備、普及指導などが複合して大きく上昇した。農林水産省は、1883年以降の約100年間で、水稲の10アール当たり単収が約180キログラムから約500キログラムへ、約3倍に増加したと整理している。
もちろん、この増加を中干しだけの成果とすることはできない。
しかし、中干しは、戦後農業が、天候や土地条件に合わせて受動的に稲を育てる農業から、水、肥料、土壌、茎数、根の状態を生育段階ごとに調節する農業へ変わったことを象徴する技術の一つだったと言える。
まとめ:中干しの掲示から見えてくるもの
今回見かけた中干しのお知らせには、農協生産組合が期間を定め、天候によって日程を変更することや、中干しの終了後に通水を再開することが記されていた。
これは、一枚一枚の田んぼが完全に独立して水を使っているわけではないことを示している。
水田の水は、水源、堰、用水路、分水施設、排水路などによって地域全体につながっている。中干しも、農家が勝手な時期に行うだけではなく、地域で給水を止め、設備を管理し、時期が来たら一斉に水を戻す共同の水管理として行われる場合がある。
一枚の田んぼの根の状態と、地域全体の水利制度がつながっているのである。
そして現在、中干しには新たな役割も加わっている。
一方では、水田から発生するメタンを減らすため、中干し期間の延長が検討されている。
他方では、中干しによって田んぼの水がなくなると、魚、オタマジャクシ、水生昆虫などの生息環境が一時的に失われる。兵庫県豊岡市などでは、コウノトリの餌となる水生生物を守るため、中干しの時期を通常より遅らせる取り組みも行われている。
つまり、現在の中干しには、
稲の収量を安定させること。
農作業を効率化すること。
農業用水を管理すること。
メタン排出を減らすこと。
水田の生態系を守ること。
という、時に互いに緊張する複数の目的が関わっている。
中干しは、ただ「水を抜けばよい」という技術ではない。
どの時期に、どの程度乾かし、いつ水を戻すのか。その判断には、稲の生育、土壌、気温、降雨、用水事情、生物多様性などを総合的に見る必要がある。
今回調べてみて、田んぼというものへの見方が少し変わった。
田んぼは、単に水をためて稲を植えている場所ではない。
水を張ることで還元状態をつくり、必要な段階で水を抜いて酸化側へ戻し、再び水を入れる。農家は、目には見えない土壌中の化学反応や微生物の働きを、経験的な観察と水管理によって調節してきた。
そして、その技術を全国で実施できるようにするため、戦後の日本は、水路、排水施設、農道、田の形、所有地の配置まで造り替えた。
掲示板に貼られていた一週間の「中干し期間」は、単なる地域行事の日程ではなかった。
そこには、江戸時代からの農民の経験知、戦後の農地改革と土地改良、農学の発達、機械化、地域共同体による水管理、そして現在の気候変動対策までが重なっている。
田んぼの水がなくなる一週間は、稲作を休んでいる時間ではない。
むしろ、土、根、微生物、水、窒素、稲の茎を、次の成長段階へ切り替えるための、積極的な生育管理の時間なのである。
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