「済州島 声たち」について、済州4・3事件の遺族として思うこと。
目次
映画「済州島 声たち」が、日本で公開されます。


映画「済州島の声たち(原タイトル목소리들)」が日本で、2026年11月7日から公開されます。
私が住んでいる愛知県では、2026年11月28日より、シネマスコーレで公開されます。
私の母方の故郷での兎山里での虐殺事件については、このホームページの私の紹介のところでも書いています。
実際に書いている内容を、ここでも示しますね。
私の母は、在日コリアンです。※現在は日本国籍 昭和17年に京都で生まれ、昭和20年に終戦を迎えると、祖父(母から見たら父)の生地である済州島表善面兎山里に祖母(母から見たら母)と帰ります。 ※祖父が亡くなったという事情もここにはあると思われる
そして、事情があり、昭和22年ごろまでには日本に戻ってきました。そして、1948年(昭和23年)4月3日に済州島4・3事件が始まります。
この事件では、3万人の島民が虐殺されました。私の母もこの時まで済州島に残っていれば、この虐殺された一人だったかもしれません。
済州島四・三事件 - Wikipedia (事件の内容は、左をクリック)
そして、実際に、様々な虐殺エピソードが済州島のあちこちに残されています。そして、そのうち、祖父の生地である兎山里での虐殺をモチーフにした小説が、日本の講談社から、出版されています。
この小説では兎山里はT村という名前で出てきますが、この時の虐殺の時、私の大叔父が実際に亡くなっています。
また、この兎山里の虐殺を生き延びたかたの、その後のことについて、語った映画もあります。
母は運よくこの壮絶な事件で命を奪われることはありませんでした。しかし、この事件の影響は、日本における母の人生にも、大きな影響を与えていたことは間違いありません。
別のところで、語るかもしれませんが、母は、自分らしく生きることに、シビアに、文化的に、人間らしく、独立独歩ながら、家族への愛情を降り注いだ人でした。平和時においても、権力は人を都合よく生かそうとします。
ひとりひとりが自分らしく生きるということは、意思をもって生きることであり、自分が自分らしく生き抜くことなのだと思います。ちなみに、私は「母は、在日コリアンです」ではなく、「母は在日済州島人です」と言っています。これは、自分のルーツを誇り高く名乗るとき、コリアンよりも済州島人のほうがしっくりくるからです。
また、私の父…そして母方の虐殺事件について、語り継いでいます。
つまり、私は4・3事件の遺族なのです。
そして、私は縁あって、この「済州島 声たち」の大阪での試写会に行き、前もって見てきました。
正直なところ、なんとも言えない、言葉に例えることのできない感覚が全身にわたりました。
「ことばが肉体を離れずに拒絶する‥‥」ような身体の硬直感で、言葉が出ないのです。
それでも、無理して言葉にすれば、
心が、殺され続けながら、生き続けようとする痛みに、涙が溢れては、殺されながら生き続ける痛み・・・・ という循環に嵌っては、溺れずに死に続けるいのち・・・・
という表現になるでしょうか。
特に兎山里の話は、私の親族が殺された話でもあり、実際に連れ去られ、逃げ伸びたハルモニが言葉にできない姿を見ると、実際に親族(私からすると、大叔父)が殺された時のことが、躰の全体に硬直として現れたかのようになり、なんとも言えないのです。
親族として、直接、当時の状況を聞いている人間だからこその、この映画のなかにある、語れないもの=虐殺の本質を語ろうと思います。
沈黙について・・(私が遺族として、この映画に感じること)
私は、正直、この映画を冷静に見ることはできません。
親族から直接聞いた虐殺の状況・・・・は、戦争体験を語り継ぐ|父の満州と済州島4・3 でも書いていますが、ここでも引用します。
母の故郷は、済州島南東部の兎山里です。
1948年12月14日、兎山里の住民が集められました。
18歳から40歳ほどの男性たちが選別され、連行されました。女性たちは「月を見ろ」と命じられ、月明かりの下で若い女性が選び出されたと伝えられています。
選ばれた人々は、表善海岸などで殺されました。
母方の大叔父も、この時に殺されました。母の父のすぐの弟にあたる方です。。
その妻は、夫を失い、幼い子どもたちを育てなければなりませんでした。
兎山里に建てられた母子像の碑文には、夫を失った母親たちが、乳飲み子や何も分からない幼い子どもを胸に抱き、夜空の星と月を見上げながら、何年、何十年と声もなく泣いてきたことが記されています。
ここでの「月」は、ただ美しい夜空の月ではありません。
女性たちが「月を見ろ」と命じられ、選別された時の月と重なります。
生き残った母親たちが後年見上げた月は、夫や家族が連れ去られた夜を照らした月でもあったのではないでしょうか。
月は、慰めであると同時に、虐殺の記憶を呼び戻す光でもありました。
戦争体験を語り継ぐ|父の満州と済州島4・3 から
そして、多くの人々が沈黙を強いられました。国家権力によって強いられた沈黙もあるでしょう。しかし、話すこと自体の恐怖が身体に染み覆うことによって、語ることができないこともあったのではないかと思います。
兎山の叔父は、抑えに抑えてきた感情を、その一言に凝縮してほとばしらすように、「血に染まった服だけを渡されたんだ!」 と語りました。恐怖が解けても、冷静に語れるものではないのです。
金石範『満月』における、虐殺が「語れない」描写は、「済州島 声たち」そのものである。
金石範『満月』は、虐殺に対して、なぜ、人は語れないのか、体感覚に近い描写で迫ります。
その一部を紹介します。
さらにハルモニの話が作り上げた記憶の洞窟に入る。その夜、村全体が包囲されて、村の全員が集会場に押し込められたあと、十八歳から四十五歳までの男だけを百数十名、若い女たち十余名が広場で狩り出された。女たちの前で立ち止まった討伐隊が、月を見ろ! 顎をしっかり上げて! と、女たちの顔を月に向けさせた。広場に降り注ぐ月光に照らし出された女たちの恐怖に歪んだ顔、反射的に媚を売らんとする女たちの顔も歪んでいた。わざと赤ん坊をひねって泣かせながら同情を引こうとする女……。何人かの美しい故に引き抜かれて他へ連れて行かれた女たちは、翌日になっても帰ってこなかった。そのなかには赤ん坊のムンを背負った若い母がいた。男たちはそれから全員が家へ帰らなかった。そして三日間にかけて銃殺された。明るい月に顔を照らし出されて他へ連行された女たちは、裸で逆さに吊されて拷問を受けた……。これはどこから出た話なのか。これは母について何の記憶もないムンのなかで生涯にわたって反芻され、脳の一部でも取り除かない限り、消えない事実として記憶化されていた。しかし事実そのものが実体のないものであり、その記憶にすぎない。皮膚が剥がれて出血する傷だらけの女体……。この性拷問をかつて経験した現存の女たちは、何十年前の事実を絶対に口にできない。男たちが裸体で逆さに吊されたという類の話はないのに、女の場合は出てくるのだが、それは必ず男の口を通してである。済州島でかつての体験の取材をされた一老婆は、すでに数十年前のことなのに、心身に痙攣を起こして話せない……と失神してしまった。かつての拷問の暴力が身体で、時空を超えて再現されるために、ことばが肉体を離れずに拒絶する……。
金石範 『満月』 61~62頁より
『済州島 声たち』は、まさしく、この描写を肌で感じるドキュメンタリーです。
「この性拷問をかつて経験した現存の女たちは、何十年前の事実を絶対に口にできない。」
「済州島でかつての体験の取材をされた一老婆は、すでに数十年前のことなのに、心身に痙攣を起こして話せない……と失神してしまった。かつての拷問の暴力が身体で、時空を超えて再現されるために、ことばが肉体を離れずに拒絶する……。」
メイン証言者のキム・ウンスンさんのシーンは、語れない姿そのものです。まさしく、かつての拷問の暴力が身体で時空を超えて再現されて、かつて経験した性拷問を、絶対に口にできない姿そのものでした。
私は、なぜ、「済州島 声たち」を見て、身体が硬直したのか。
私は、この映画の試写会で、感じた硬直感は、この「ことばが肉体を離れずに拒絶する‥‥」身体の感覚だったことを述べました。
しかも、私は、兎山里の虐殺当時のことを、血族として直接聞いています。
殺戮を肌で感じながらも、記憶として再生できないことが、五感の硬直に繋がったように思うのです。
言葉にできない。身体がかたまる、これは何だ。
大量の死が血泥と共に、喉奥から吐き出され続ける感じなのです。
虐殺を感じるということは、生きて死を体に感じ続けることなのだと実感します。
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私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。







