褒めることの大切さを、日々感じています。2023年6月5日

スライド1
春日井市在住です。
スライド2
プレゼンテーション1
previous arrow
next arrow

母が、すい臓がんステージⅣになりました。(←をクリック)
そして、2023年6月22日に亡くなりました。
母のいのちと向き合うブログを書いています。
この記事も、そのブログの一記事です。
その他の記事は、↓のボタンからクリック!!

起きたら、苦しい・・・・の朝から、思う「褒めることの大切さ」

昨日に続いて、母はぐっすり寝ていました。夜に起きることなく、朝も穏やかな顔で寝ていました。

ただ、今日はデイケアに行く日なので、やっぱり起きてもらわなくてはなりません。

僕が「ゆっくり起きてね~」と声をかけると

母が「ゆっくり起きるよ~」とのんきな声で返してきます。

大事なことは、母が自分の意志で自然と起きようとすること。だから、ここからは必要に、早く起きない!とせかすようなしません。いまの母の身体の状態では、余計なストレスは即、からだの痛みや苦しみに繋がってきます。

実際に身体が起き始めると、からだに痛みや苦しみが襲い掛かってくるのです。今日も「痛い!」と言いながら、激しく息切れをしていました。
甘いスイカのカットを2切れ食べて、薬を飲ませて、トイレに活かせる・・・・ ひとつひとつの動作が母にとってはものすごくしんどいものになってきています。
苦しさを紛らわそうと、いろんなことをやろうとします。

でも、家族がしっかり状態を看て対応しているだけでも違います。私は、こういう声掛けを母にします。

「頑張らなくていいんだよ」
「つらいときは、つらいと言っていいんだよ」
「痛い時は、痛いと言ってね」

時にはほほをさすったり、手を握ってあげるだけでも、安心感を与えます。
実際に、母は自分から「手を握って欲しい」ということも出てきました。

「苦しいのは続くよ。でも、よしひろが家族が一緒にいるからね」
「つらいとつらいと言える家族がいるなんて、お母さんは幸せ者だからね。僕もそれを言ってもらえることが嬉しいよ」

こういう声掛けもします。苦しい現実もしっかりと伝えて、一緒に乗り越えていくんだ!家族がいるんだ!という意思を伝えることも大事です。

ひとつひとつの動作ができたときは、「よく頑張ったね、頑張らないから、頑張ったね」とほほをさすりながら褒めてもいます。

結局は、コミュニケーションにおいて「褒める」ことが、心の『楽』に繋がるのだと思います。

楽な状態を作るには、①身体の楽 と ②心の楽 をつくることが大事。

幸せづくりは、「楽」づくりだとも思い始めています。

母の膵臓癌と向き合って、特にそう思います。身体の変化とともに、苦しみも変化します。その中で、身体が楽であることもそうなのですが、心が楽である状態を作っていくことも大事です。

心が楽とは、言い換えれば、①苦しみを知り、②安心感に変えていく ということだと思います。

私の場合は、次のようなプロセスを経て、母の心の楽をつくるコミュニケーションをしています。

母の心の『楽』をつくるコミュニケーション

  • 母の苦しみを知る
    どのように苦しんでいるのか、知ろうとすること。
  • 母の苦しみを分かる(理解する)
    要は、苦しみを言葉として理解するということ。例えば、「痛い」「気持ち悪い」「ムズムズする」など。簡単な言葉で良い。
  • 母の苦しみを受け入れる
    母の苦しみを自分ごとのように受け入れること。
  • 母の苦しみを表現すること。
    「痛いの?」「吐き気がするの?」「気持ち悪いの?」と聞く。自分の気持ちにそっていれば、母は、うなづく
  • 母の気持ちを代弁すること。(特に負の気持ち)
    ⓸で、母がうなづいたときは、その時の気持ちや感情を代弁する。
    「辛かったよね~」「悲しかったよね~」
    気持ちを代弁することで、母の気持ちが落ち着き始める。本当に、気持ちを代弁した時は、頷いたり、反芻したりなど、何らかのリアクションが母からある。
  • 負の感情を解決する行動をする。
    嫌な身体の感覚は、必ず負の気持ちを出しています。①~⑤のプロセスは、それを導き出します。しかし、それだけでは問題があります。 問題を明確にしたからこそ、それを解決することが、本当の安心感を創り出します。その行動を起こし、実際に解決するところまで導くと、信頼感が生まれます。

夕方に母は、外に出たいと言った。

デイサービスから帰ってきて、しばらくしてから、母は「外に出たい」と言ってきました。とは言っても、もう既に自分の気持ちを素直に出せません。いろんなやりとり(私自身が、上のコミュニケーションを基本としながら、かなりのやり取りを母とした)をしながら、はじめてわかりましたが、車いすで外に出ました。

母は、自分の家の風景を外から見たかったようです。

これは、実際に家の花壇に咲いていた花ですが、母は「きれいだね~」と言っていました。
増してや、この花の奇麗さを実感したかったらしく、一つ、花をちぎり取っては、口に入れていました。

そして、母は、今の家を感じたかったらしく、この風景を見ました。

私としては、ベランダが剥げているし、正直、「こんな姿で申し訳ない」という気持ちがあったので、母に聞いたのです。

「こんな状況で悲しい?」

そしたら母は答えました。

「悲しいより嬉しい」

うれしいんだあ・・・・僕の気持ちもなんだか晴れやかになりました。
母としては、何か感じたかったのだと思いますが、こんなボロボロな状況で申し訳ないと思っていた私の心を和ませました。
本当にありがとう。母ちゃん!!!

これが幸せだなあ・・・と思いました。