思いがけないところで知った、母の僕への気持ち。2023年6月20日

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春日井市在住です。
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母が、すい臓がんステージⅣになりました。(←をクリック)
そして、2023年6月22日に亡くなりました。
母のいのちと向き合うブログを書いています。
この記事も、そのブログの一記事です。
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痛がる、苦しがる、という頻度が増えてきた・・・・

昨日の日記でも、言いましたが・・・・

今日も、母は、痛がる、苦しがる、という頻度が増えてきました。それは、実際に身近で見ていると分かります。
それに、オキノーム散5㎎を1時間おきに2回飲ませるということも起きて、このままだと、母が苦しみに耐えなければいけない時間が増えてしまう!と焦りました。

ただ、幸い、今日はしんまちクリニックの先生の訪問診察日、現状をしっかりお伝えした上で、『とにかく、母の苦しむ時間を一秒でも少なくしたい!』と訴え、痛み止めの薬の処方をグレードアップしてもらうことにしました。

  • オキノーム散5㎎⇒オキノーム散10㎎
  • フェントステープ1.0mg⇒フェントステープ2.0mg

そして、新しく処方してもらったお薬を先に使い、今までの残りの薬を、今後の調整用に取っておくように言われました。

看護師さんが毎日訪問介護に来られて、そのデータを共有できるからこそ、すぐに対応してもらえる! 訪問医療・看護が一体となっているクリニックの存在は、本当にありがとうございます!と感じます。

思いがけないお見舞い・・・・デイケアのケアマネさん。

今日は、思いがけないお見舞いの方がいらっしゃいました。

母が通っていたデイサービスのケアマネさんです。母が膵臓癌になっても、ベットの入れ替えなど、在宅ケアの環境づくりに、いろいろとお世話になっています。

もう、かれこれ10年になるでしょうか。母が脳梗塞で、右半身が動きにくくなり、リハビリを兼ねたデイケア(介護老人保健施設)に通い始めたところからのお付き合いです。

実は、介護施設に通うようになったのは、母が最初なのです。母が10年前に右半身が動きにくくなって、デイケアに行くようになり、その約5年後、父が認知症になって、そこにお世話になり始めたのです。
いずれにしても、このケアマネさんと長い間、信頼関係を築いていったことが、父が認知症になって、特養にスムーズに入所できたり、母が膵臓癌になっても緩和ケアが在宅でスムーズにいくようになっていったのは、間違いありません。

この方がお見舞いに来たときは、母の容体は安定していました。母の見舞いをしながら、肝臓がんになってから、母が私のことをデイケアでどのように言っていたのかを教えてくれました。

  • ものすごく、やさしい息子。
  • 息子と一緒に最後まで家にいたい。
  • 私の世話をするようになって、料理が上手くなった!!

この話を聞いて、僕は思わず涙が出てきました。なんとも言えない涙が出てきました。
人生の最後、自宅で一緒にいたかったんだなあ・・・・と思うと、なんとも感慨深いものがありました。

母は、この話を聞いて、目をつむりながらでも、大きく頷いていました。

「誰かが来たー」と言った母。

夕方ごろの頃です。ケアマネさんも帰られて、しばらくして。母の息遣いが荒くなりました。

そして、母は言ったのです。
「誰かが、来た。」「誰かが、来た。」と。

僕は、言いました。「お迎えが来たんだね。もう、お母ちゃんが楽していいよ!って。一生懸命生きてきたの認めるよ! 一緒に行こうって。これで安心して言いよって、迎えに来たんだよ!」と。

そうしたら、母の息が整ってスヤスヤと眠り始めました。