戦前の歴史に似ている――今の防衛費拡大路線が、日本を再び「敗北」へ導く理由

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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

「戦前の歴史に似ている今の防衛費拡大路線」を解説する図。戦前と現在を対比し、防衛費拡大が企業、研究、港湾・空港、自治体、行政、金融へ広がり、軍事力を縮小しにくい社会構造をつくる危険性と、独立審査や情報公開など『止める制度』の必要性を示している。

今の日本は「戦前の歴史と同じ」ではなく、「似た方向」に進んでいる

今の日本を見て、「戦前の歴史に戻っている」と言う人がいます。一方で、「今は選挙も国会も言論の自由もある。戦前とはまったく違う」という反論もあります。戦前の歴史を振り返るとき、私は、この二つの見方のどちらか一方だけでは、現在の危険を正確に捉えられないと思います。

今の日本は、すでに戦前と同じ体制になったわけではありません。自衛隊は内閣の統制下にあり、軍人が独立した権力として内閣を倒す制度もありません。徴兵制も、国家総動員法のような全面的な人員・物資の統制もありません。

私は、どちらか一方だけでは、現在の危険を正確に捉えられないと思います。

今の日本は、すでに戦前と同じ体制になったわけではありません。自衛隊は内閣の統制下にあり、軍人が独立した権力として内閣を倒す制度もありません。徴兵制も、国家総動員法のような全面的な人員・物資の統制もありません。

しかし、防衛力、すなわち軍事力を拡大する政策が、憲法上の原則の隙を通って少しずつ広がり、それを支える産業、研究、公共インフラ、自治体、雇用まで形成していく構造には、戦前の歴史と似たものがあります。

問題は、「現在が戦前と同じ場所にあるか」ではありません。

戦前と似た、後戻りしにくくなる方向へ進んでいないか。

これを問う必要があります。

戦前の歴史――軍は憲法の外で暴走したのではない

戦前の軍部は、初めから大日本帝国憲法を破壊して登場したのではありません。むしろ、憲法に置かれた統帥権や軍に関する天皇大権を根拠とし、その解釈と制度上の隙を利用して、内閣や議会による統制から離れていきました。

戦前の軍部が、統帥権の独立や軍部大臣現役武官制など明治憲法下の制度を利用して政治への影響力を強め、軍備拡張と国家総動員法によって軍需産業や経済的利害が拡大し、軍事力の縮小が難しくなった過程を示す図解

統帥権の独立が政治の統制を弱めた

統帥権は、軍の作戦・指揮を一般の国務から区別する仕組みでした。しかし、「統帥権の独立」が強調されるにつれ、政府や議会が軍事判断に関与すること自体が「統帥権干犯」と攻撃されるようになります。また、軍部大臣現役武官制の下では、陸海軍が大臣を出さなければ内閣を成立させない、あるいは倒すことさえ可能になりました。

国立国会図書館の「文民統制の論点」も、明治憲法体制では、統帥権独立制や軍部大臣現役武官制を利用した軍の政治介入によって、政軍関係の立憲主義的運用に失敗したと整理しています。

もちろん、統帥権だけで日本が戦争に突入したわけではありません。世界恐慌、農村の困窮、中国大陸での権益、国際的孤立、政党政治への不信、テロと弾圧など、複数の要因が重なりました。

ただ、戦前の歴史を振り返れば、軍事的必要性を主張する側が、その必要性の範囲まで自ら決め、政治がそれを止められなくなったことは、破綻に至る重要な制度的要因でした。

戦前の歴史に見る、軍備拡張と経済的利害

さらに軍備拡張は、軍需工業、造船、航空機、鉄鋼、化学、金融、植民地経営などを結び付けました。1938年の国家総動員法以後は、政府が軍事目的のために労働力、物資、資金、価格、企業活動へ広く介入できる体制が整えられます。

戦前の歴史で注目すべきなのは、軍事力の拡大が、それを維持する官僚機構と経済的利害を作り、軍事力をさらに縮小しにくくしたことです。

コラム 戦前の歴史から見る軍拡大の過程

戦前の軍備拡張も、初めから一直線に進んだわけではありません。日清・日露戦争を通じて陸海軍は大きくなりましたが、国家財政への負担も重く、軍縮を求める動きもありました。1912年には、陸軍が朝鮮半島への二個師団増設を要求し、これを認めなかった第2次西園寺公望内閣が、陸軍大臣の辞任によって倒れています。一方、1920年代にはワシントン海軍軍縮条約や宇垣軍縮によって、艦艇や陸軍師団の削減も行われました。

大きな転換点は、1931年の満州事変です。現地軍の行動を政府が抑えられず、占領地域の拡大が新たな兵力と予算を必要としました。さらに1937年の日中戦争以後は、戦線の拡大に伴って軍事費、軍需生産、資源確保が膨張します。1938年の国家総動員法によって、企業、労働力、物資、資金までが戦争目的へ動員され、軍拡は軍隊だけの問題ではなく、社会と経済全体を組み替える政策になりました。

この戦前の歴史が示すのは、軍備を一度増やせば必ず戦争になる、という単純な因果関係ではありません。「目前の危機への例外的な対応」として始まった拡張が、次の拡張を必要とし、それを支える組織や産業を生み、後戻りを困難にしていったことです。

戦後は「自衛」という例外が拡張してきた

戦前の歴史と戦後の日本を比較すると、軍事力を正当化する制度的な仕組みは大きく異なります。戦後の日本国憲法第9条は、戦争を放棄し、戦力の不保持と交戦権の否認を定めました。その一方で、政府は、日本にも固有の自衛権があり、そのための「必要最小限度の実力」は保持できると解釈してきました。

戦後日本で、憲法9条の下の「自衛」と「必要最小限度」の解釈が、警察予備隊、自衛隊、海外派遣、米軍への後方支援、限定的な集団的自衛権、反撃能力へと拡張してきた過程と、政府解釈を外部から統制する制度上の課題を示す図解。

原則を残したまま積み重ねられた例外

この「自衛」という例外は、警察予備隊から自衛隊へ、国内防衛から海外派遣へ、米軍への後方支援へ、そして限定的な集団的自衛権の行使容認へと広がりました。2022年の国家安全保障戦略以後は、相手国領域内のミサイル発射拠点などを攻撃し得る「反撃能力」と長射程ミサイルの保有まで進んでいます。

政府はそのたびに、「専守防衛は変わらない」「必要最小限度の範囲内である」「従来の基本方針は維持している」と説明してきました。

つまり、原則を正面から廃止するのではなく、原則の名称を残したまま例外を積み重ね、その中身を変えてきたのです。

政府解釈を外部から止められるのか

戦前の歴史と戦後の日本を比べると、軍事権力の所在は明らかに異なります。戦前は、統帥権の独立によって軍が政治から離れていきました。戦後は、選挙で選ばれた政府が、国会多数派に支えられながら、自衛権と「必要最小限度」の範囲を拡張しています。

しかし、両者には共通する問いがあります。

軍事力を拡大する側と、その拡大が憲法上許されるかを判断する側が、事実上重なっていてよいのか。

ということです。

国会では多数派が政府を支え、裁判所が高度に政治的な問題として実体判断を避ければ、政府解釈を外部から止める制度は極めて弱くなります。

防衛費拡大は「自衛隊への支出」だけではない

現在の防衛費拡大を、戦闘機、艦船、ミサイル、自衛官の給与だけの問題と考えると、本質を見誤ります。

防衛費拡大が、自衛隊の装備や人件費だけでなく、防衛企業との契約、製造基盤への公的支援、大学・研究機関の研究開発、空港・港湾、サイバー、宇宙、自治体や地域経済まで広がっている構造を示す図解。

予算の中心は企業などとの契約である

防衛省の2026年度予算資料では、防衛力整備計画の対象経費として8兆8,093億円、同年度に着手する事業の契約額として8兆2,607億円が計上されています。さらに、研究開発や公共インフラなど防衛力の抜本的強化を補完する取組まで合わせると、政府は対GDP比2%水準を前倒しし、11兆円程度を措置すると説明しています。

重要なのは、その資金が自衛隊の内部だけで完結しないことです。

2026年度の物件費は6兆4,196億円です。新規契約では、維持・修理、装備品購入、航空機、艦船、施設整備、研究開発などに巨額の資金が向かいます。複数年度契約による後年度負担は、企業に数年間の需要を約束する仕組みでもあります。

企業の製造能力そのものを公費で支える

さらに政府は、完成した武器を購入するだけでなく、防衛産業の製造能力そのものを公費で支える段階へ進みました。

防衛生産基盤強化法は、供給網の強靱化、製造工程の効率化、企業のサイバー対策、撤退企業の事業承継、資金貸付けへの配慮、装備輸出の円滑化を支援します。必要な場合には、国が装備品の製造施設を取得し、民間企業へ管理を委託することまで可能です。政府自身が、防衛生産・技術基盤を「いわば防衛力そのもの」と位置付けています。

研究・インフラも防衛政策に組み込まれる

研究も同じです。2026年度には、防衛省全体の研究開発として約7,095億円が示され、安全保障技術研究推進制度129億円、ブレークスルー研究237億円、民生研究を装備品の実用化につなぐ橋渡し研究141億円などが計上されています。安全保障技術研究推進制度は、大学、研究機関、企業の先端的な基礎研究を対象としています。

加えて、内閣官房は、防衛力の強化と「不可分一体」の取組として、研究開発、公共インフラ、サイバー安全保障、国際協力の4分野を進めています。自衛隊や海上保安庁が平時から使えるよう空港・港湾を整備する「特定利用空港・港湾」も、その一部です。

こうして防衛政策は、防衛省の塀を越え、企業、大学、研究機関、建設業、通信、宇宙、港湾、空港、自治体へ広がっていきます。

自民党政権の巧みさは、軍事を軍事に見せないことにある

私は、自民党政権は、この進め方が極めて巧みだと思います。

長距離攻撃能力は「反撃能力」、軍需企業への公的支援は「生産基盤の強化」、大学や企業の軍事利用可能な研究は「先端技術」「デュアルユース」、空港・港湾の軍事利用は「公共インフラの強靱化」、他国軍への装備供与は「安全保障能力強化支援」、武器輸出は「防衛装備移転」と呼ばれます。

自民党の巧みさは、軍事を軍事に見せないことを、表した図解。

個々の施策では見えにくい全体像

一つ一つの施策には、それぞれの合理性があります。サイバー防御は市民生活にも必要であり、港湾整備は災害対応にも役立ちます。先端研究には民生上の成果もあり、安全保障技術研究推進制度も研究成果の公表を制限しないとしています。したがって、関連する政策をすべて一括して「戦争準備」と決めつけるのは正確ではありません。

しかし、個々の政策ではなく、合算した全体を見る必要があります。

長距離ミサイル、弾薬と燃料の備蓄、軍需工場の維持、民間研究の装備化、空港・港湾の利用、通信・サイバー体制、装備輸出を一つにつなげれば、出来上がるのは、長期間にわたって戦争を遂行できる国家の基盤です。

しかも、それぞれが別の法律、別の予算、別の省庁、別の政策目的として進められます。そのため、国民は全体像を掴みにくく、憲法9条との関係も見えにくくなります。

自民党政権の巧みさを一文で表すなら、こうなります。

9条を正面から破壊するのではなく、9条の問題に見えない政策を積み重ね、9条が抑制できない国家構造を作っていく巧みさ。

最も危険なのは、防衛費を減らせない社会ができること

HIPHOP風の鮮やかな人物ビジュアルを中心に、防衛費拡大によって企業、研究機関、建設業者、金融機関、自治体、雇用者が利益を得て、防衛予算への依存が広がり、防衛費を減らしにくい社会が循環的に形成される構造を示した図解。

防衛支出によって利益を得る企業、研究機関、建設業者、金融機関、自治体、雇用者が増えると、防衛費拡大を支持する理由は、安全保障だけではなくなります。

「雇用を守るため」「地域経済のため」「技術力を維持するため」「輸出契約を守るため」「投資した設備を無駄にしないため」という理由が加わります。

軍事的緊張が高まれば受注が増える。受注が増えれば企業と地域が防衛予算に依存する。その産業と雇用を守るため、さらに防衛予算が必要になる。この循環が形成されれば、仮に政府が交代しても、防衛力を縮小することは難しくなります。

これは、誰か一人が設計した秘密の陰謀という意味ではありません。政治家、官僚、企業、大学、自治体が、それぞれの立場で合理的に利益を求めた結果、全体として軍事力の自己拡張を支える構造が生まれるのです。明確な指令者がいないからこそ、かえって止めにくいともいえます。

この点が、戦前の歴史に見られる「軍事が国家と経済全体を包み込んでいった過程」と似ています。

戦前の歴史との決定的な違いも見失ってはならない

戦前と現在の軍事拡大の違いを比較し、戦前は軍事が政治から離れて暴走したのに対し、現在は政治・行政・産業・研究・自治体が軍事を中心に結びつく危険があることを示す図解。両者に共通する、軍事的必要性を外から止める制度の弱さも示している。

もっとも、現在を「戦前そのもの」と断定すれば、かえって問題の所在を曖昧にします。

今も選挙による政権交代は可能です。国会は予算と法律を審議し、自衛隊は文民で構成される内閣の統制下にあります。裁判を起こし、報道し、政府を批判し、市民運動を行う自由もあります。軍部大臣現役武官制も、軍による独立した統帥権もありません。

現在の危険は、軍人が政治を乗っ取ることよりも、民主的手続を通じて選ばれた政府が軍事力を拡大し、その政府を国会多数派が追認し、民間経済の側も防衛支出を必要とするようになることです。

つまり、戦前は軍事が政治から離れて暴走しました。現在は、政治、行政、産業、研究、自治体が軍事を中心に結び付き、社会全体として拡大路線から離れにくくなる危険があります。

形は違います。しかし、軍事的必要性を唱える側に、必要性の判断、限界の設定、予算配分、情報管理まで委ね、外から止める制度が弱いという核心は共通しています。

必要なのは、戦争を始める手続より、止める制度である

防衛力を政府と国会多数派だけに委ねるのではなく、防衛関連支出の公開、独立機関による審査、国会少数派や市民による停止・司法審査、武力行使の継続・撤退・終結の定期審査など、「戦争を止める制度」の必要性を示す図解。文民統制を、軍事による政治的・経済的利害を国民が統制できることとして整理している。

防衛力の保有を認めるとしても、それを政府と国会多数派だけに委ねてよいとは限りません。必要なのは、防衛力を拡大する制度だけでなく、縮小し、停止し、検証する制度です。

防衛関連の契約、補助金、研究費、装備輸出、後年度負担、特定利用空港・港湾について、受益企業、金額、目的、成果を原則公開する。政府から独立した機関が、「自衛」の範囲と個々の武力行使を審査する。国会の少数派にも調査と停止を求める権限を与える。市民一人からでも司法審査を起動できるようにする。武力行使の開始だけでなく、継続、撤退、終結を定期的に審査する。防衛需要に依存した企業や地域が、民生分野へ移行できる支援策も用意する。

文民統制とは、政治家が自衛隊を指揮することだけではありません。

軍事によって形成された政治的・経済的利害を、主権者である国民が統制できること。

そこまで含めて初めて、現代に必要な文民統制になるはずです。

歴史から学ぶとは、同じ姿を探すことではない

歴史は、同じ制服、同じ法律、同じ標語をまとって繰り返すとは限りません。

戦前の日本は、大日本帝国憲法の隙を通って軍事権力が拡大し、それを政治が止められなくなり、国家全体が破綻しました。戦後の日本では、日本国憲法第9条の下で「自衛」という例外が政府解釈によって広がり、その防衛力を支える産業・研究・インフラが社会へ浸透し始めています。

今はまだ、戦前の戦時体制ではありません。だからこそ、まだ止められます。

しかし、戦前と同じになってから気づいたのでは遅いのです。戦前の歴史から学ぶとは、現在の中に過去と同じ完成形を探すことではありません。過去に破綻へ向かった構造と方向を、まだ途中にある段階で見抜くことです。

現在の防衛費拡大路線を一言で表すなら、私はこう考えます。

戦前と同じ場所にいるのではない。だが、軍事力が自らを支える政治と経済を作り、国民がそれを止めにくくなるという、戦前と似た方向へ進んでいる。

いま問われているのは、自衛隊を持つか持たないかだけではありません。

「自衛」という例外権力を、誰が審査し、誰が止めるのか。

その具体的な制度を作れるかどうかが、戦前の歴史を本当に繰り返さないための分岐点だと思います。

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私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。

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