豊橋駅で見つけた「日本一しょぼい0キロポスト」――なぜペンキで手書きなのか調べてみた

スライド1
previous arrow
next arrow

私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

豊橋駅に掲げられていた 「0キロ」がしょぼいこと。

先日、豊橋駅で、思わず足を止めてしまうホワイトボードを見つけました。 そこには、駅長さんの手書きで、こんなことが書かれていました。

> 豊橋駅には日本一「しょぼい」0キロポストがあります

「日本一しょぼい」と、駅長さんが自分で言ってしまっています。もう、この時点で面白すぎます。 説明によると、飯田線の起点を示す0キロポストが豊橋駅の4番線にあるとのこと。

普通なら、コンクリート製の三角柱に大きな「0」が刻まれているのですが、豊橋駅では、ペンキで小さく「0K」と手書きされているだけなのだそうです。

しかも駅長さん自身、最初は「0K」ではなく、「OK=オーケー」と書いてあるのだと思ったというのです。

これは確かめたくなります。

そもそも豊橋駅の0キロポストとは何なのか。なぜ飯田線の1・2番線ではなく、4番線にあるのか。そして、なぜ他の駅にあるような立派な0キロポストを設置しなかったのか。気になったので、詳しく調べてみました。

そもそも「0キロポスト」って何?

鉄道の線路には、起点からの距離を示す「キロ程」というものがあります。

例えば、「12K350M」と表示されていれば、路線の起点から12キロ350メートルの地点という意味です。信号機、踏切、橋、トンネル、ポイントなどの設備がどこにあるのかを示したり、故障や事故が発生した場所を正確に伝えたりするために使われます。

12K350M の キロ程 のイメージを生成AIで画像化しました。
12K350M の キロ程 のイメージを生成AIで画像化しました。



いわば、線路上の住所です。

その距離の原点となるのが「0K000M」。一般に、この場所を示す標識が「0キロポスト」と呼ばれています。

1キロごとの距離標には、昔ながらのコンクリート製の三角柱がよく使われてきました。一方、起点となる0キロポストは駅の記念物として整備されることも多く、金属板、石碑、タイル、床面の装飾など、実際の形はさまざまです。

したがって、「0キロポストは必ずコンクリートの三角柱でなければならない」というわけではありません。それでも、豊橋駅のものは、さすがに簡素です。

実際の豊橋駅の0キロポスト
実際の豊橋駅の「ゼロキロポスト」。オーケーにしか見えません。



なにしろ、柱すらありません。コンクリートの壁に、白いペンキで小さく「0K」と書いてあるだけです。

実物を見たら、本当に「OK」にしか見えなかった

実際の豊橋駅の0K表示を撮影した写真も見つかりました。

豊橋駅の0キロポストは、OKにしか見えない
豊橋駅4番線ホーム下に白いペンキで書かれた「0K」。赤線と拡大枠は撮影者による bf85b81e.jpg (1600×1200)から

写真は、5・6番線側から4番線方向を撮影したものです。向かい側のホームのコンクリート壁をよく見ると、上の方に白い文字が小さく書かれています。

近くを拡大しなければ、ほとんど分かりません。

「0K」と言われれば確かにそう見えますが、何も知らずに見たら「OK」と読む人の方が多いでしょう。駅長さんが間違えたのも無理はありません。

しかも、この表示には「飯田線」「起点」「0キロポスト」などの説明が一切ありません。乗客から見えやすい方向でもなく、観光記念物として設置された形跡もありません。

実物を見る限り、これはもともと乗客に見せるためのものではなく、線路や設備を管理する人が、距離の原点を確認するために記した実務的な表示だったと考えるのが自然です。

「ポスト」と呼ばれているのに、ポストですらない。これが「日本一しょぼい」と言われる最大の理由です。

飯田線は豊橋駅から始まっている

飯田線は、愛知県の豊橋駅から、静岡県北部を通り、長野県の辰野駅までを結ぶJR東海の路線です。

全長は195.7キロ。起点と終点を含めて94もの駅があります。

その始まりは1897年。私鉄の豊川鉄道が、豊橋から豊川までの区間を開業させました。その後、豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道という4つの私鉄が、それぞれ別の目的を持ちながら線路を延ばしていきました。

1937年に豊橋から辰野までが一本の線路でつながり、1943年には4社が国有化されて「国鉄飯田線」になりました。1987年の国鉄分割・民営化後は、JR東海の路線となっています。

つまり、豊橋駅は飯田線の歴史的にも制度上も正式な起点です。だからこそ、ここが0キロ地点になります。

豊橋駅の0キロポストは、飯田線。どこへ行く起点?



ところが、不思議なのはその場所です。

現在、飯田線の列車は主に豊橋駅の1・2番線から発車します。それなのに、「0K」の表示があるのは4番線なのです。

なぜ飯田線の1・2番線ではなく、東海道線の4番線にあるのか

豊橋駅の在来線ホームは、少し複雑です。

なぜ、豊橋駅の0キロぽすとは、4番線にあるのか。



1・2番線は飯田線、3番線は名鉄名古屋本線、4番線は東海道本線と一部の飯田線、5~8番線は主に東海道本線が使用しています。

飯田線の1・2番線は、ホームの途中で線路が行き止まりになる「頭端式ホーム」です。ところが、現在の1・2番線のレールは、飯田線の正式な0キロ地点まで届いていないと考えられています。

1999年に豊橋駅を詳しく調査した記録によると、飯田線には独立した0キロポストがなく、最初に現れる距離標は「0K100」、つまり起点から100メートルの位置を示すものでした。

さらに、その0K100の距離標は、現在の1・2番線の線路終端から約80メートルの位置にあったといいます。

正式な0キロ地点から0K100までは、当然100メートルです。しかし、現在の線路終端から0K100までは約80メートルしかありません。

単純に計算すると、現在の1・2番線の線路終端は、正式な0キロ地点から約20メートル、飯田線側に入った位置にあることになります。

言い換えると、本来の0キロ地点は、現在の飯田線の車止めより約20メートル後ろにあるということです。

その0キロ地点を、線路を横切るように横方向へ延ばしていくと、4番線ホームの側壁付近に当たります。そこに、あの小さな「0K」が書かれているのです。

2011年の現地記録でも、「飯田線の列車は1・2番線から発着するが、駅中心までレールが来ていないため、0キロポストは4番線にある」と説明されています。

つまり、「どうして飯田線の0キロポストが4番線にあるの?」という疑問の答えは、飯田線の線路自体が、正式な0キロ地点まで届いていないからなのです。

駅の改築で、飯田線の線路が短くなった?

では、なぜ飯田線の線路終端と0キロ地点がずれてしまったのでしょうか。

豊橋駅は、長い歴史の中で何度も大きく姿を変えています。

1943年には、飯田線の前身である豊川鉄道の吉田駅が国鉄豊橋駅に統合されました。1945年の豊橋空襲では駅舎が全焼。1950年には、全国初の「民衆駅」として再建されました。

さらに1970年には豊橋ステーションビルに改築され、1996年には東西自由通路と現在の橋上駅舎が完成。1997年には新しい駅ビルが全面開業しています。

このような大規模な改築の過程で、飯田線1・2番線のホームや車止めの位置が変更され、線路が以前より短くなった可能性があります。

しかし、線路が短くなったからといって、路線全体の距離の基準を簡単に変更するわけにはいきません。沿線にある信号、踏切、橋、トンネルなど、すべての設備のキロ程に影響するからです。

そこで、正式な0キロ地点は従来の場所に残したまま、実際の飯田線ホームだけが少し後退した。その結果、「飯田線の線路が存在しない場所に、飯田線の0キロ地点がある」という不思議な状態が生まれたのではないでしょうか。

ただし、以前は0キロ地点まで本当に線路が延びていたのか、過去にコンクリート製の0キロポストが存在したのか、どの工事で現在の位置関係になったのかを示す公式資料は、今回確認できませんでした。

豊橋駅の改築と動かなかった0キロポスト


ここから先は、現地の距離関係と駅の改築史を踏まえた、かなり可能性の高い推測ということになります。

なぜ立派な0キロポストを新しく造らなかったのか

では、4番線に立派な記念碑や標柱を設置すればよかったのではないか、とも思います。

もちろん、現在でもその気になれば、解説板や記念碑を設置することはできるでしょう。しかし、鉄道設備として考えると、あえて造る必要がなかったのだと思います。

まず、正式な0キロ地点は飯田線1・2番線のレール上ではありません。4番線は東海道本線の列車も使用します。そこに大きな「飯田線0キロポスト」を置くと、かえって線路との関係が分かりにくくなります。

また、ホーム上にコンクリートの標柱を置けば、乗客の通行や安全確認の邪魔になる可能性があります。線路側に設置する場合も、車両との間隔や保守作業への配慮が必要です。

その点、ホームの側壁にペンキで書けば、場所を取らず、列車にも乗客にも干渉しません。設備を管理する人が位置を確認できれば、実務上の役割は果たせます。

現在の鉄道に関する技術基準も、必要な線路標を設けることは求めていますが、全国すべての0キロポストを同じ形のコンクリート柱にすることまでは求めていません。標柱を建てにくい場所では、特殊な標識を使ったり、壁面に直接距離を記入したりすることもあります。

豊橋駅の「0K」は、まさにこの壁面への直接表示です。

そして何より、これまで豊橋駅では、0キロ地点を観光資源や記念物として見せる発想がなかったのでしょう。東京駅などの立派な0キロポストは、実務的な標識であると同時に、鉄道の歴史を伝える記念物でもあります。

一方、豊橋駅の0Kは、長い間、ホーム下でひっそりと役割を果たしてきました。

「しょぼい」の向こうに、豊橋駅の歴史が見えてきた

ここまで調べてみると、あの小さな「0K」が、単に予算をかけなかった結果とは思えなくなってきます。

飯田線の前身となった私鉄の歴史。吉田駅と豊橋駅の統合。豊橋空襲による駅舎の焼失。戦後の民衆駅としての再出発。何度も繰り返された駅の改築。そして、現在の飯田線ホームと正式な起点がずれてしまった可能性。

あのペンキの「0K」には、そうした豊橋駅の複雑な歴史が凝縮されています。

そう考えると、「日本一しょぼい」というより、「日本一、事情がありそうな0キロポスト」なのかもしれません。

そして私は、これを立派なコンクリート柱に造り替えない方がよいのではないかと思います。

現在の「0K」は、そのまま残す。5・6番線か4番線の見やすい場所に、「この小さなOKのような文字が、実は飯田線の0キロ地点です」と説明する案内板を設置する。それだけで、十分に新しい豊橋名物になります。

何も知らなければ、ただの落書きのように見える。けれども、調べてみると、全長195.7キロ、94駅に及ぶ飯田線の壮大な旅が、あの小さな文字から始まっている。

しかも、その文字は「0K」なのか「OK」なのか、一瞬迷ってしまう。

これほど親しみやすく、ちょっと笑えて、しかも歴史を掘り下げたくなる0キロポストは、ほかにはなかなかありません。

駅長さんが「日本一しょぼい」と紹介したことで、これまで誰にも気づかれずにいた小さな0Kが、一気に注目されるようになりました。「しょぼさ」を隠すのではなく、逆に面白さとして堂々と紹介する。その姿勢も含めて、とても豊橋らしい魅力だと思います。

豊橋駅を訪れたら、ぜひ探してみてください。

ただし、本当に小さいので、見つけられなくても「ノーケー」ではなく「オーケー」です。

はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。

私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。

    お名前(必須)

    住所(少なくとも、市町村までは必須)

    メールアドレス(必須)

    電話番号(必須)

    URL

    ご用件(必須)

    お問い合わせ内容(できるだけ、詳しく)