田んぼアートはハイテク?――巨大な絵を支えているのは、最先端技術と農家の「稲を見る目」
私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。
田んぼ一面に、人物の顔や動物、歴史上の場面、アニメのキャラクターなどが鮮やかに浮かび上がる「田んぼアート」。
展望台から眺めると、まるで田んぼそのものが巨大なキャンバスになったように見える。
これほど大きく、複雑で、しかも色鮮やかな絵を、いったいどのように描いているのだろう。
コンピューターで図柄を処理し、人工衛星から位置を測り、特殊な機械で色を付けているのだろうか。
そう考えると、田んぼアートは、いかにも「ハイテク」の産物に見える。
実際、現代の田んぼアートには、コンピューターによる画像処理、遠近法、測量、CAD、GNSS、ドローンなどの技術が使われることがある。その意味では、確かにハイテクである。
しかし、田んぼアートについて詳しく考えていくと、別の姿が見えてくる。
田んぼアートは、コンピューターや測量機器だけでは作れない。
色の異なる稲を植えれば、それだけで絵になるわけでもない。
丈夫な苗を育て、田面を平らにし、苗を活着させ、分げつを促し、適切な時期に中干しをし、水と肥料を調節し、雑草や病害虫を防ぎ、倒伏させずに育てなければ、図柄は完成しない。
つまり田んぼアートとは、
最先端の設計・測量技術と、長い稲作の歴史の中で蓄積されてきた農家の経験知が結びついた、農業技術の集大成
なのである。
目次
- 1 田んぼアートは、田んぼに絵の具を塗っているのではない
- 2 田んぼアートは、完成するまで色が変わり続ける
- 3 普通の絵を、そのまま田んぼに植えても正しく見えない
- 4 図柄を田んぼに移す測量技術
- 5 しかし、測量が正確でも、田面が平らでなければ絵は崩れる
- 6 田んぼアートは、育苗の段階ですでに始まっている
- 7 苗を植えた後、「絵を田んぼに定着させる」水管理
- 8 分げつによって、点が面になる
- 9 「中干し」がなければ、田んぼアートは難しいのか
- 10 肥料を多く与えれば、色が濃くなるのか
- 11 雑草一本が、顔の「染み」になる
- 12 倒伏すれば、色が同じでも絵は壊れる
- 13 最も大切なのは、毎日の「田回り」
- 14 田んぼアートは「ハイテク」なのか
- 15 ハイテクを成立させる「ローテク」
- 16 田んぼアートは、稲作を利用したアートではない
- 17 結論――田んぼアートは、農業がもともとハイテクであることを教えてくれる
- 18 はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。
田んぼアートは、田んぼに絵の具を塗っているのではない
まず確認しておきたいのは、田んぼアートでは稲に塗料を塗っているのではない、ということだ。
色の違いは、基本的には稲の品種や系統の違いによって生み出される。
普通の食用稲は、葉緑素を多く含むため緑色に見える。一方、葉や葉鞘にアントシアニン系色素が現れる稲は、紫色や黒紫色に見える。葉緑素が少ない稲は、黄緑色や黄色に見える。さらに、白い縞の入る葉を持つ稲や、赤、紫、白などの穂を出す観賞用稲もある。
農研機構が紹介する観賞用稲には、赤い穂を付ける「祝い茜」、紫色の穂を付ける「祝い紫」、葉に白い縦縞が入り、穂が濃い紫色になる「奥羽観383号」などがある。しかも、それぞれ熟期、草丈、倒伏への強さなどが異なっている。
紫や黒紫に見える部分も、必ずしも「黒米」を植えれば作れるわけではない。
黒米や紫黒米は、玄米の果皮にアントシアニンが蓄積する稲である。しかし、米粒が黒紫色だからといって、葉まで紫色になるとは限らない。田んぼアートで必要なのは、展望台から見たときに、葉、茎、葉鞘、穂などが色の面として見えることである。
白も、絵の具のような純白ではない。
葉に白や淡黄緑色の部分が多く現れる稲を遠くから見ると、細かな緑の縞が視覚的に混ざり、全体として白っぽく見える。また、白く長い芒が穂を覆う品種では、出穂した後に田んぼの表面が白く見える。
赤や橙色も同様である。
赤紫、桃色、白、緑などが一枚の葉や一株の中に混在し、それを遠くから見ることで赤や橙色の面として認識される場合がある。
その意味では、田んぼアートの色は、絵の具による塗り分けというよりも、色の異なる小さな点を並べ、離れた位置から一つの色として見せる点描画に近い。
田んぼアートでは、一本一本の稲が「画素」になっているとも言える。

田んぼアートは、完成するまで色が変わり続ける
普通の絵画は、描き終わった時点で色がほぼ固定される。
しかし、田んぼアートは違う。
相手は生きている植物である。

田植え直後には、苗は細く、水面や泥の部分が広く見えるため、図柄はまだほとんど分からない。
その後、苗が活着し、分げつして葉が増えると、株と株の間が埋まり、色の面がつながっていく。緑、黄、紫、白、赤などの境界が次第に見えるようになり、巨大な絵が浮かび上がる。
さらに出穂期を迎えると、葉の色に加えて、赤い穂、紫色の穂、白い芒などが現れる。
その一方で、成長が進むと葉色が変化し、普通の緑色の稲も秋に向かって黄金色になる。観賞用品種の赤や紫も、成熟とともに薄くなったり、褐色を帯びたりする。
つまり田んぼアートは、特定の瞬間だけを切り取った静止画ではない。
田植えから出穂、成熟まで、毎日少しずつ姿を変える「生きた映像作品」なのである。
田舎館村では、一般に7月中旬から8月中旬が見頃とされるが、その後も葉や穂の色の変化によって、違った表情を楽しめると説明されている。現在では、7色10種類の稲を用いた作品も作られている。
普通の絵を、そのまま田んぼに植えても正しく見えない
田んぼアートを作る上で、非常に重要なのが遠近法である。
私たちは通常、田んぼアートを真上から見るのではない。展望台や建物の上から、斜め下に向かって見る。
そのため、普通の絵をそのまま田んぼに拡大して植えると、手前は大きく、奥は縮んで見える。人の顔なら、横に太って見えたり、額や頭が小さく見えたりする。
田舎館村では2003年、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」を描いたが、この年は十分な遠近補正を行わなかったため、展望台からは少し横に太った姿に見えた。その経験を踏まえ、その後は観覧地点から自然に見えるように図柄を変形させる技術が導入された。

現在の田んぼアートでは、まず観覧地点を決める。
展望台の高さ、田んぼまでの距離、目の位置、田んぼの縦横の長さなどをもとに、観覧地点から見たときに正しい形になるよう、元の図柄をコンピューター上で変形させる。
その結果、実際に田んぼの地面で見ると、人物の頭が異様に縦長だったり、奥側の文字が大きく引き伸ばされていたりする。
しかし展望台から見ると、それが自然な形に見える。
これは道路に書かれた「止まれ」の文字や、競技場の広告が、斜め方向から見たときに正しく見えるよう縦長に描かれているのと同じ原理である。
ここには、幾何学、画像処理、遠近法という、確かにハイテク的な要素がある。
図柄を田んぼに移す測量技術
遠近補正した図柄が完成しても、それだけでは田んぼに植えられない。
次に、その図柄を実際の田んぼの座標に置き換える必要がある。
人物の目の輪郭、口の端、文字の角、衣服の境界などを、多数の点として設計する。
それぞれの点について、
「基準点から東へ何メートル、北へ何メートル」
という現地座標を求める。

そして田んぼの中に入り、測量機器を使って境界点を確認し、杭を打つ。杭と杭をロープや色付きのテープで結び、どの区画に、どの色の稲を植えるかを示す。
田舎館村の田んぼアートでも、設計図をもとに職員が測量作業を行い、展望台からの眺望に合うよう、遠近法と測量技術を駆使して植え付けている。
現在では、トータルステーション、GNSS、RTK測位、ドローンなどを利用すれば、以前よりも正確かつ効率的に位置を決められる。
一方で、最終的には人が田んぼの中を歩き、杭を打ち、テープを確認し、その境界に沿って苗を植える。
つまり、人工衛星から得た位置情報が、最後には泥の中の一本の苗に結び付くのである。
これほどハイテクと手作業が直結している作品も珍しい。
しかし、測量が正確でも、田面が平らでなければ絵は崩れる
ここからが、田んぼアートのもう一つの本質である。
どれほど正確な図面を作り、ミリ単位で測量しても、田んぼの状態が悪ければ、設計どおりの作品にはならない。
最も基本的で、しかも重要な技術の一つが、耕起と代かきによって田面を平らにする「均平」である。
田面に高低差があると、低い場所では水が深くなり、高い場所では土が水面から出てしまう。
水が深すぎれば、植えたばかりの苗が水没したり、活着が遅れたりする。反対に水が浅すぎれば、苗が乾燥しやすく、雑草も生えやすくなる。

農研機構も、水田の均平化は安定した苗立ちと雑草対策に重要であり、低い場所では水深が深くなって苗立ちが低下し、高い場所では土が露出して除草剤の効果が得られにくいと説明している。
普通の水田でも生育むらは問題になるが、田んぼアートでは、そのむらがそのまま絵の欠損になる。
人物の頬の一部だけ苗が育たなければ、顔に穴が開いたように見える。
文字の一画で苗が枯れれば、別の字に見えるかもしれない。
白い区画の一部だけ生育が弱ければ、汚れや影のように見える。
田面の均平は、派手な技術ではない。
しかし、田んぼアートにとっては、絵を描く前のキャンバス作りに当たる。キャンバスがゆがんでいれば、どれほど優れた設計図も生かせない。
レーザー均平機やGNSS均平機を使う場合はハイテクである。
一方、田面を見て、高い場所と低い場所を判断し、代かきの仕上がりを見極めるのは、農家の経験である。
ここにも、新旧の技術が重なっている。
田んぼアートは、育苗の段階ですでに始まっている
田んぼアートの田植えの日に、色の違う苗を用意すればよいわけではない。
苗作りの段階から、作品制作は始まっている。
田んぼアートでは、複数の品種を別々の育苗箱で育てる。
しかし品種によって、発芽の速さ、草丈、葉齢、根の張り方、低温への強さ、育苗中の色の現れ方などが異なる。
緑色の一般品種と、葉緑素の少ない黄色や白色の観賞用品種とでは、生育の勢いが同じとは限らない。
出穂の早い品種と遅い品種もある。

そこで田植えの日から逆算し、品種によって播種時期を変えたり、播種量や温度、水分を調整したりして、田植え時の苗の大きさをそろえなければならない。
通常の田植機用の良い苗には、生育がそろい、根が十分に絡み、適度な強さの苗マットになっていることなどが求められる。
田んぼアートでは、それに加えて「品種を絶対に取り違えない」という管理が必要になる。
育苗箱のラベル、置き場所、運搬の順序、現場で使う色札などを明確にしなければならない。
田植えの時点では、将来赤や白になる稲であっても、普通の緑色に近く見える場合がある。
一箱取り違えれば、人物の目が違う色になったり、文字の一部が消えたりする。
後から修正するのは容易ではない。
つまり田んぼアートには、高度な品種管理だけでなく、非常に地道な整理整頓と確認作業が必要なのである。
苗を植えた後、「絵を田んぼに定着させる」水管理
田植えを終えても、作品が田んぼに固定されたわけではない。
植えた直後の苗は、根の一部が切れ、まだ田んぼに十分根付いていない。
水が深すぎれば苗が水没し、倒れたり泥に埋まったりする。水が浅すぎれば、風や乾燥によって弱る。水の流れが強ければ、苗が浮いて移動してしまうこともある。

大事なのは、活着
田植え後、苗が新しい根を出して水田に根付くことを「活着」という。
活着期には、水温と地温を保ち、苗の蒸散を抑えながら、根付きを促す水管理が必要になる。農林水産省の資料でも、活着を早めるためには水深を調節し、保温と水温・地温の確保を図ることが示されている。
田んぼアートでは、この活着が、そのまま絵柄の定着になる。
顔の輪郭を作る数株が浮けば、線が途切れる。
文字の角の苗が枯れれば、形が丸くなる。
通常の水田なら、数株の欠株は収量に大きな影響を及ぼさないこともある。しかし田んぼアートでは、数株の欠損が、目、鼻、文字などの重要部分を変えてしまうことがある。
田植え後の水管理は、単なる稲の管理ではない。
巨大な図柄を泥の上に固定する、作品制作の工程なのである。
分げつによって、点が面になる
田植え直後の苗は、一本一本が離れている。
そのままでは、色の点が並んでいるだけで、面としてつながらない。
稲は成長すると、根元から新しい茎を増やす。これを「分げつ」という。
分げつが進むと株が横に広がり、隣の株との隙間が埋まる。すると、紫、黄、白、緑などの色が連続した面として見えるようになる。

活着後から分げつ前期にかけて浅水管理を行うことは、分げつを促進する基本的な方法の一つである。
しかし、田んぼアートでは、分げつが多ければ多いほどよいわけではない。
株が広がりすぎれば、紫色の葉が隣の白い区画に入り込み、境界がぼやける。
細く設計した線が、成長後には太い帯になることもある。
人物の目や口、文字の細い部分では、数センチの葉の重なりが、印象を変えてしまう。
したがって田植えの段階で、成長後の株の広がりを予測し、株間や植付本数を決める必要がある。
どの程度の間隔で植えれば、見頃の時期にちょうど色面がつながるのか。
どの品種が横に広がりやすいのか。
葉が立つ品種か、横に垂れる品種か。
これは図面だけでは判断できない。
実際に稲を育ててきた人の経験が必要になる。

「中干し」がなければ、田んぼアートは難しいのか
ここで、「田んぼアートには中干しが欠かせないのではないか」という疑問が生じる。
中干しとは、稲の生育途中で一時的に田んぼの水を抜き、土を乾かす管理である。「土用干し」と呼ばれる場合もある。
「田んぼの中干し」に興味を持ったので、その歴史・科学的効能を具体的に調べてみた (←こちらもクリックしてみてください。)
中干しには、土中に酸素を供給して根の活力を保つ、土壌中の有害物質を減らす、窒素の吸収を一時的に抑えて過剰な分げつを抑制する、土を固めて作業性を高める、といった目的がある。
田んぼアートの絵そのものは、中干しによって描かれるのではない。
図柄は、田植えの段階で品種を植え分けることによって作られる。
したがって、「中干しをしなければ絶対に絵が現れない」という意味での必須技術ではない。

中干しは、田んぼアートの鮮明さのためには、重要
しかし、作品を鮮明な状態で維持するためには、中干しは大きな役割を持つ。
分げつが過剰になれば、株が横に広がり、色の境界線がぼやける。
稲が軟弱に育てば、風雨によって倒れやすくなる。
根の状態が悪くなれば、生育後半に葉色が落ちたり、一部が早く枯れたりする。
中干しによって生育を適度に引き締め、根を健全にし、倒伏を防ぐことは、田んぼアートの輪郭と色面を守ることにつながる。
ただし、中干しは強ければ強いほどよいわけではない。
土に大きな亀裂が入るほど干せば、根が切れたり、その後の保水性が悪くなったりする。
特に田んぼアートでは、普通の緑色品種だけでなく、生育の弱い黄色や白色の観賞用品種が混在している可能性がある。
同じ強さで一律に干すと、弱い品種の生育が止まり、色の面が薄くなることも考えられる。
重要なのは、
「予定の日が来たから水を抜く」
ことではない。
茎数、葉色、草丈、土の状態、天候を見て、中干しに入る時期と強さを判断することである。
ここに必要なのは、機械よりも、農家の「稲を見る目」である。
肥料を多く与えれば、色が濃くなるのか
緑色の稲は、窒素肥料が多いと葉色が濃くなりやすい。
それなら、場所ごとに肥料の量を変えれば、同じ品種でも濃淡を付けられるのではないか。
理論上、葉色や生育量にある程度の差は生じるだろう。
しかし、田んぼアートの基本的な色分けを肥料だけで行うのは難しい。
水田では、水や土壌を通じて肥料分が移動する。絵の輪郭に沿って肥料の効果を完全に分けることは困難である。
また、窒素を多く与えすぎれば、草丈が伸び、分げつが増え、葉が軟らかくなり、倒伏や病害の危険が高まる。
農研機構も、窒素施肥を抑えることが稈の伸長抑制や耐倒伏性、耐病性の確保につながる場合があると説明している。

田んぼアートでは、肥料は色を塗る道具というより、異なる品種の生育をできるだけそろえるための調整手段である。
緑色部分を濃くしすぎると、濃緑や紫色との違いが見えにくくなることもある。
黄色や白色の品種だけが生育不足になれば、そこだけ株の密度が低くなり、土や水面が見えてしまう。
必要なのは、葉色を一律に濃くすることではない。
作品全体の草丈、密度、発色時期をそろえることである。
雑草一本が、顔の「染み」になる
通常の稲作において、雑草は稲と光、水分、養分を奪い合い、収量や品質を低下させる。
田んぼアートでは、それに加えて、雑草そのものが別の色として見えてしまう。
紫色の区画に緑色のヒエが生えれば、遠くから緑の点に見える。
白い区画に濃緑色の雑草がまとまって生えれば、人物の顔の染みや、文字の誤植のように見える。
黄色の稲の間に普通の緑色の雑草が入り込めば、色の面がまだらになる。

雑草防除には、除草剤だけでなく、代かき、水深管理、畦畔管理、手取り除草などを組み合わせる必要がある。田面の均平が悪く、土が露出する場所があると、雑草の発生を抑えにくくなり、除草剤の効果にもむらが出やすい。
つまり、先ほど述べた均平、水管理、雑草防除は、別々の作業ではない。
すべてがつながっている。
田んぼアートでは、そのつながりが、普通の水田以上に目に見える。
倒伏すれば、色が同じでも絵は壊れる
稲が風雨で倒れることを「倒伏」という。
倒伏すると、収穫作業が難しくなり、品質や収量にも影響する。
田んぼアートでは、さらに深刻である。
稲が倒れると、葉や穂の向きが変わる。
光の当たり方が変わり、同じ品種なのに明るく見えたり、暗く見えたりする。
隣の区画へ倒れ込めば、別の色を覆ってしまう。
人物の輪郭が流れ、文字が崩れ、細い線が消えることもある。
観賞用稲は、色だけでなく草丈や倒伏への強さが異なる。
農研機構の資料では、「祝い茜」は極短稈で倒伏に強い一方、「祝い紫」はそれより稈が長く、耐倒伏性も同じではないことが示されている。

したがって、品種を選ぶ際には、
「何色に見えるか」
だけでなく、
「どのくらいの高さになるか」
「いつ穂が出るか」
「葉がどの方向に広がるか」
「風雨に耐えられるか」
まで考えなければならない。
さらに、過剰な窒素を避け、適切な栽植密度を保ち、中干しやその後の間断かんがいによって根と土の状態を整える必要がある。水管理は、分げつの制御だけでなく、根の健全性や耐倒伏性を高める上でも重要な技術である。
田んぼアートの色は、品種だけで決まらない。
稲が立っているか、倒れているか、葉がどちらを向いているかによっても、見え方は変わるのである。
最も大切なのは、毎日の「田回り」
田んぼアートでは、田植えが終わった後も、定期的に展望台や高所から図柄を確認する。
現在なら、ドローンで撮影し、設計図と重ねて、生育の遅れている場所や輪郭のずれを確認することもできる。
しかし、ドローンの写真だけでは分からないことがある。
水の深さ。
土の柔らかさ。
苗の根付き方。
葉の色のわずかな変化。
病斑や虫食い。
新しい分げつの出方。
稲が倒れ始める兆候。
これらを確認するには、実際に田んぼへ行き、近くから稲を見る必要がある。

農家は田んぼを見て、
「昨日より葉色が落ちた」
「この場所だけ水が深い」
「分げつが多すぎる」
「この品種は肥料が効きすぎている」
「このままでは風で倒れる」
と判断する。
その判断は、数値や画像だけで完全に置き換えられるものではない。
気温、雨量、日照、水温、土質、過去の生育などを総合して、次に何をするか決める。
水を入れるのか。
水を抜くのか。
中干しを始めるのか。
もう少し待つのか。
追肥するのか。
雑草を取るのか。
補植するのか。
田んぼアートにおいて、ドローンやセンサーは農家の目を補助する。
しかし、最終的に作品を育てるのは、田んぼに足を運び、稲の変化を読み取る人間である。
田んぼアートは「ハイテク」なのか
では、改めて問い直したい。
田んぼアートはハイテクなのだろうか。
答えは、「ハイテクである。ただし、ハイテクだけではない」となる。
遠近法を用いた画像変形。
CADによる設計。
測量機器による座標設定。
GNSSによる位置確認。
レーザーやGNSSを利用した均平。
ドローンによる生育確認。
これらは、明らかに現代的な技術である。
一方で、その設計を実際の作品へ育てるためには、
丈夫な苗を作る。
代かきで田面を平らにする。
水深を細かく調節する。
苗を活着させる。
適度に分げつさせる。
中干しで生育を整える。
肥料を効かせすぎない。
雑草を防ぐ。
病害虫を見つける。
倒伏を防ぐ。
毎日、田んぼを見る。
という、普段の稲作技術が欠かせない。
田舎館村の田んぼアートは、1993年に、地域の基幹産業である稲作を生かした田植え・稲刈り体験から始まった。当初は3種類の稲で岩木山と文字を描き、現在では7色10種類の稲を使う精巧な作品へと発展している。
この歴史は、田んぼアートの本質をよく表している。
田んぼアートは、農業とは別の場所から持ち込まれた娯楽ではない。
稲作の中から生まれ、稲作の技術を見える形にした文化なのである。
ハイテクを成立させる「ローテク」

私たちは、コンピューター、人工衛星、ドローンなどを見ると、それを高度な技術だと感じる。
一方、代かき、水管理、中干し、補植、田回りなどは、昔から行われている普通の農作業に見える。
しかし、「昔から行われている」ことと、「簡単である」ことは同じではない。
水田の高低差を見抜く。
苗の活着を判断する。
茎数を数え、中干しの時期を決める。
葉色から肥料の効き方を読む。
天候を予測し、倒伏を防ぐ。
こうした技術は、長年の観察と経験によって蓄積された高度な知識である。
機械を使わないから低級なのではない。
あまりにも日常的に行われてきたため、技術として意識されにくいだけである。
田んぼアートが私たちに見せているのは、完成した巨大な絵だけではない。
普段の水田では見過ごされがちな、農家の技術そのものを見せている。
田面が平らであること。
苗がそろっていること。
水が適切に管理されていること。
稲が倒れずに立っていること。
葉色が均一であること。
雑草が少ないこと。
普通の水田では、それらは「何も起きていない」状態に見える。
しかし実際には、その「何も起きていない状態」を維持するために、数多くの判断と作業が行われている。
田んぼアートでは、その管理の差が、顔の輪郭、文字の鮮明さ、色面の均一さとして現れる。
普段は見えない農業技術が、巨大な絵となって可視化されるのである。
田んぼアートは、稲作を利用したアートではない
田んぼアートについて、
「稲作を利用して絵を描いている」
と説明することがある。
もちろん間違いではない。
しかし、この表現では、稲作がアートのための材料にすぎないように聞こえる。
実際には、逆ではないだろうか。

田んぼアートは、稲作の外側から絵を押し付けたものではない。
苗を育て、土を整え、水を管理し、稲の成長を見守るという稲作そのものが、結果として絵を生み出している。
稲作の上にアートが乗っているのではない。
稲作そのものがアートになっている。
コンピューターで作られた設計図は、あくまで始まりにすぎない。
設計図には、雨は降らない。
強風も吹かない。
雑草も生えない。
病気も発生しない。
品種ごとの成長速度の違いも、現実ほど複雑ではない。
それらを引き受け、数か月かけて作品へと育てるのが、農業の技術である。
だから田んぼアートは、単なる巨大なイラストではない。
自然、人間、地域、科学、経験が共同で制作する作品なのである。
結論――田んぼアートは、農業がもともとハイテクであることを教えてくれる

「田んぼアートはハイテクか?」と問われれば、私はこう答えたい。
田んぼアートは、確かにハイテクである。
遠近法、コンピューター設計、測量、GNSS、品種改良、ドローンなど、現代の科学技術が使われている。
しかし、本当に驚くべきことは、最新機器を使っていることだけではない。
それらの技術を受け止め、実際の水田で作品として成立させているのが、代かき、育苗、田植え、水管理、分げつ管理、中干し、施肥、除草、病害虫防除、倒伏防止という、普段の稲作技術であることだ。
中でも、中干しは象徴的である。
中干しが絵を描くわけではない。
しかし、中干しによって過剰な分げつを抑え、根を健全にし、倒伏を防ぐことが、絵の輪郭を守る。
派手な測量技術が「形」を決めるとすれば、地道な稲作技術は、その形を数か月間「生かし続ける」。
田んぼアートの完成度は、図柄の美しさだけで決まらない。
稲をどれほど理解し、土と水をどれほど細かく扱い、天候の変化にどれほど対応できるかによって決まる。
そう考えると、田んぼアートは「農業にハイテクを取り入れたもの」というだけではない。
むしろ、
農業そのものが、もともと極めて高度で複雑な技術であることを、誰の目にも分かる巨大な絵として示している
のではないだろうか。
展望台から見えるのは、人物や風景や文字だけではない。
そこには、田面を平らにした人がいる。
苗を育てた人がいる。
測量して杭を打った人がいる。
泥の中で一本ずつ植えた人がいる。
毎日、水を見て回った人がいる。
中干しの時期を判断した人がいる。
雑草を取り、倒伏を防ぎ、稲の色が最も美しくなる瞬間を待った人がいる。
田んぼアートとは、色の異なる稲で描かれた巨大な絵である。
同時にそれは、普段は目に見えにくい農業技術と、人間の手間と判断を、広大な水田の上に浮かび上がらせるアートなのである。
はらだよしひろと、繋がりたい方、ご連絡ください。
私、原田芳裕は、様々な方と繋がりたいと思っています。もし、私と繋がりたいという方は、是非、下のメールフォームから、ご連絡ください。ご相談事でも構いません。お待ちしております。




