小牧・長久手の戦いと上条城の真実|春日井に残る“ジョージョージョー”と地租改正の物語

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私、はらだよしひろが、個人的に思ったことを綴った日記です。社会問題・政治問題にも首を突っ込みますが、日常で思ったことも、書いていきたいと思います。

「ジョージョージョーがなくなるらしい」――何が失われようとしているのか

一つ、中日新聞の記事を紹介します。

「春日井市のジョージョージョーが無くなるらしい」? 聞き慣れない言葉を深掘りすると…

2025年11月20日 05時10分 (11月20日 05時10分更新)

 「ジョージョージョーがなくなるらしい」「貴重なジョージョージョー。今までよく残っていた」。はて、ジョージョージョー? 話の腰を折って尋ねると、どうやら春日井市上条町には鎌倉時代に造られた「上条城」があったらしい。13日、城跡を訪れた。

発掘調査中の上条城跡=春日井市上条町で(島田組提供 中日新聞記事から)

 行ってみると、マンション建設の準備中。ショベルカーが動き回って、土を掘ったり埋めたりしていた。先月まで残っていたという土塁や堀は解体され、現在は更地に。遺構を見学して、当時に思いをはせることはもうできない。

 「春日井市史」などによると、上条城は1218年に小坂孫九郎光善が築城した。近江に移り住んだ光善の後裔(こうえい)、林重之が再び戻り、庄屋として一帯を治めた...

「春日井市のジョージョージョーが無くなるらしい」? 聞き慣れない言葉を深掘りすると…:中日新聞Web から

中日新聞のこの記事には、地元の人たちが口々に
「ジョージョージョーがなくなるらしい」
「貴重なジョージョージョー。今までよく残っていたのに」
と語る様子が紹介されています。

この聞き慣れない「ジョージョージョー」の正体が、春日井市上条町に残る中世城館跡・上条城だということが、記事の中で明かされます。鎌倉時代に築かれた城が、宅地開発の波の中で、土塁や堀ごと消えてしまうかもしれない――その危機感がにじむ記事でした。

参考ページ


第89回「ふるさと春日井学」研究フォーラム・ ・ ・ ・テーマ: 『どうする「史跡・上条城」-その歴史的意義-』

私はこの記事を読みながら、「上条城」という一点から、日本の歴史の大きな流れ――**戦国の戦争史(小牧・長久手の戦い)**と、**明治の土地制度改革(地租改正)**が一本の線でつながって見えてきました。


上条城とは何か――中世豪族屋敷から、今や「草むらの土塁」へ

上条城は、建保6年(1218年)に小坂孫九郎光善が佐渡から移り住み築いたと伝えられています。のちに林氏を名乗るようになり、城は平城(平地の城)で、典型的な中世豪族屋敷としての遺構を残してきました。

現在の上条城跡は、土塁と堀がまだはっきり確認できるものの、その多くは草に覆われ、周囲は駐車場や宅地として開発が進んでいます。
それでも「人呼びの丘」と呼ばれる櫓台の高まりや、林金兵衛の頌徳碑などが、かろうじてここが“只の空き地ではない”ことを語りかけてくれます。

この記事が伝える「ジョージョージョーがなくなる」という不安は、単に一つの城跡が消えるという話ではありません。
そこには、800年近くにわたる「土地と権力」の記憶が刻み込まれているからです。


小牧・長久手の戦いと上条城――戦国の最前線だった春日井

天正12年(1584年)、織田信雄・徳川家康連合軍と羽柴秀吉が対峙した小牧・長久手の戦いは、尾張・三河一帯を舞台に繰り広げられました。

この戦いのさなか、上条城周辺は、いわば前線基地・陣城のネットワークの一角を担っていたとされます。

  • 戦国期の上条城には、池田恒興が陣を構えたという伝承が残り、
  • 豊臣秀吉が竜泉寺からの帰途に立ち寄ったとも伝えられています。

さらに、上条城は天正14年(1586年)、小牧・長久手の戦い後の講和条件として吉田城などとともに破却されたとされます。

つまり、上条城は

  1. 鎌倉期以降の土豪・豪族が土地支配の拠点とした居館であり、
  2. 戦国末期には秀吉と家康が覇権を争う巨大な戦争の現場の一端となり、
  3. 講和の条件として破却されることで、戦国の終わりと天下統一のプロセスに組み込まれた城
    だったわけです。

戦争とは、つきつめれば「土地の支配権」をめぐる争いです。
小牧・長久手の戦いの時代、上条城はまさにその最前線の一角を占めていました。


そして明治へ――上条城生まれの林金兵衛と地租改正

時代は飛んで明治。
ここで再び上条城が歴史の表舞台に姿を現します。

林金兵衛(はやし きんべえ)
彼は、上条城で生まれた林家28代当主であり、明治初期の**地租改正をめぐる「春日井事件」**の中心人物です。

明治政府は、近代国家の財政基盤をつくるため、田畑の収穫ではなく**地価の3%を金納させる「地租改正」**を進めました。これは封建的な年貢制度を解体し、土地私有制を確立するという、近代日本の出発点となる大改革でした。

しかし、その運用は決してスムーズではありませんでした。
本来は

  1. 一筆ごとの土地を測量し、
  2. その収穫を積み上げて村の「村位(格付け)」を決め、
  3. その村位に応じて地租を課す、
    という手順を踏むはずでした。

ところが、愛知県春日井郡では、事業の遅れを取り戻そうとして、実態とはかけ離れた「郡全体の平均収穫」から村位を一方的に押しつけるやり方が取られ、多くの村で大幅な増税となりました。

この不当なやり方に異議を唱え、**「地租改正そのものへの反対ではなく、規則どおり、公平・公正な手続きでやってくれ」**と歎願し続けたのが、和爾良村(上条村を含む地域)の戸長であり、のちに第三大区長となる林金兵衛でした。

金兵衛は、42か村の代表を率いて上京し、地租改正事務局(当時のトップは大隈重信)に何度も嘆願を繰り返します。その途中で福澤諭吉に助力を求め、福澤も人脈を通じて支援に動きました。

参考ページ

最終的には、

  • 旧尾張藩主・徳川慶勝からの3万5000円の救助金
  • 地価見直しの約束、
    によって一定の解決が図られ、金兵衛は初代東春日井郡長に就任します。

参考ページ

ここで重要なのは、林金兵衛の運動は、しばしば「地租改正反対」とだけ言われますが、実際には

不当な査定と手続きの飛ばし方に対する是正要求であり、正規の手続きと公平さを求める運動だった
と地元の郷土誌でも繰り返し指摘されている点です。

戦国の上条城の主だった林氏の末裔が、明治国家を相手に
「ルールを守れ」「手続を正せ」「不公平をただせ」
と訴え続けた――このドラマは、単なる郷土の逸話にとどまらない重みを持っています。


上条城がつなぐもの――戦国の「戦」と、明治の「税」と、今ここにいる「私たち」

こうして見てみると、上条城という一つの場所を通じて、次のような大きな流れが見えてきます。

  1. 中世〜戦国
    • 土豪・林氏の居館として、土地支配の拠点となる
    • 小牧・長久手の戦いの際には陣城・軍事拠点として機能し、講和条件として破却される
  2. 明治
    • 同じ土地から生まれた林金兵衛が、地租改正における「不公平な地価査定」に立ち向かう
    • 土地は今度は「税の対象」「近代国家の財源」として再定義される
  3. 現代
    • 上条城跡は「ジョージョージョー」と呼ばれ、開発の波の中で消えようとしている
    • 土地はマンションや駐車場、宅地として再び価値づけされ、歴史的文脈は切り落とされつつある

戦国の合戦も、明治の地租改正も、突き詰めれば**「土地を誰がどのようなルールで支配し、そこからどのように富を吸い上げるか」**をめぐる闘争でした。
その舞台が、まさに春日井・上条城周辺の大地だったのです。

そして今、私たちはその大地の上に暮らしながら、

  • 森林・農地・都市開発、
  • 固定資産税や都市計画、
  • PFASをはじめとする環境問題、
    といった、新しいかたちの「土地と権力」の問題に直面しています。

おわりに――「どうする上条城?」は、私たち自身への問い

春日井市では、「どうする上条城―その歴史的意義―」というテーマでフォーラムも開かれています。そこでは、上条城が

  • 小牧・長久手の戦いにおける林家の役割、
  • 地租改正期の林金兵衛の運動の舞台、
    として、重層的な歴史を背負った場所であることが改めて語られています。

中日新聞の記事が伝える「ジョージョージョーがなくなるらしい」という一言は、私たちにこう問いかけているように感じます。

あなたは、この土地の歴史を、どう引き継ぎますか?
戦国の戦、明治の税、そして今の暮らしの問題を、同じ地面の上の出来事として意識していますか?

上条城跡を歩くと、雑草に覆われた土塁の向こう側に、

  • 鎧兜の武将たちの気配と、
  • 役人と渡り合う林金兵衛の「なんとかせにゃあいかん」という義気が、同時に立ち上がってくるように思えます。

「ジョージョージョー」をどうするか、という問題は、
春日井というローカルな土地から、近代日本の成り立ちと、これからの地域のあり方を問い直すための絶好の入口だと、私は感じています。

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