嬉しい言葉は・・・母がバナナを食べながら言った「うれしい」 2023年5月28日
母が、すい臓がんステージⅣになりました。(←をクリック)
そして、2023年6月22日に亡くなりました。
母のいのちと向き合うブログを書いています。
この記事も、そのブログの一記事です。
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目次
今日は、母が涙を流しながら「うれしい」と言った。
今日は、昼12時頃でしょうか。バナナを食べながら、母は何度も「嬉しい」と言いました。少し涙も流れていたかな。そう言ってもらえて、私も嬉しかったです。
膵臓癌と向き合うことは、苦しみと向き合うこと!と昨日の日記でも書きましたが、そこを乗り越え、知恵が生まれたとき、心の安寧と嬉しさが生まれるのだと思います。それを、今日の母の「嬉しい」という言葉を聞いて、私は感じました。
この日記の中に、このような一節があります。
膵臓癌との闘いは、苦しみと向き合い、そこから、人間らしさを獲得していくのだと思います。
苦しみを乗り越える! そこから見えてくる知恵 2023年5月27日 - 母の膵臓癌と向き合う。 (pawaharasoudan.jp) から
人間らしさを獲得した瞬間というは、喜びの感情を感じて、素直に表現した時だとも思うのです。「嬉しい」も喜びの感情の一つだと思います。喜びの感情も実感しながら、安寧な時間を増やしていく。それが幸せの時間を増やしていくのだと思いますし、その為の、創意工夫をし続けることが大事なのだと思います。
「幸せの時間」を創るための工夫
膵臓癌は、とても苦しみが伴う病気だと思っています。死に向かう肉体は、それに抗おうとして様々な不快感も身体の感覚として刻んでいくからです。その最もたるものが、「痛み」ですね。
不快感を感じ続けて、幸せを創ることはできません。「痛み」に不快感も含むとしたら、身体的不快感は精神的不快感に繋がり、社会的な不快感に繋がり、自分自身の存在意義に対する絶望感を生みます。
身体的不快感を除去していく最低限の条件は、痛みをとる薬をキチンと服用していく・・・・ということだと思います。医者に定期的に見てもらい、適切な処方箋をもらって、薬を母にのんでもらう・・・が大事なのだと思います。
しかし、癌の進行とともに、身体の不調が増してくるのですから、定期的に薬を飲んでもらうことに固執すると、精神的な苦痛をもたらすこともあると感じています(←実際に、私も体験した・・というよりもやってしまっています)。解除する家族が「薬飲ませきゃ!!」と、無意識無自覚に押し付けると、それが精神的不快感に繋がり、身体的苦痛を増していく原因にもなりかねません。昨日、姉が来て、母が落ち着いたように、精神的な不快感を与えない工夫をし続けることが大事なのだと思います。
ですから、今日は、母は朝の11時に起きています。無理やり起こすのではなく、母が起きたいように起きる環境をつくるということですね。これも功をこうしたのか、バナナを食べて「美味しい! 嬉しい!」と実感し、表現するということに繋がったのだと思います。
母の幸せ時間をつくっていくための工夫(これからやろうとしていること)
- 母が起きたいときに起きる
若しくは、苦痛なく起きるように促しつづける。 - 母が食べたいものを食べたいときに食べさせる。
若しくは、苦痛なく食べるように促す。 - 家にいて、起きている時は、テレビを見たり、お出かけしたりして、退屈感が苦痛にならないような環境を作る。
- 母が意思表示したときは、キチンとそれを受け入れる
どうしても、場合によっては時間の制約が生じる場合もあります(例えば、デイサービスに行く日など)。そういう場合でも苦痛感を与えないで、母が自分から起きたり、食べたりできる環境を私たちがつくっていくことが大事だと思います。特に精神的安心感が意欲を生み出すと思うので、そのための工夫をしていきたいと思います。
・・・・て、書いていたら、母が「眠りたい」と言ってきましたので、ベットに連れて行ったら、すんなりと眠りました(すんなり、眠ってくれたのが嬉しい!!)。
母が「畳みたい!」と言って、畳んだタオル
今日の夕方、テレビを見ていたのですが・・・・、その部屋は洗濯物も干してあり、乾いてもそのままの状態の時があります。
母は、干して乾tいているタオルを見て、「畳みたい!」と言って、こんなに畳んでくれました。